「コーポレイトブランドと製品ブランド」 簗瀬充紀 2007年 創成社新書

この本は、企業の信用力を中心にしたコーポレイトブランディングの本になっています。網羅的に解説されおり、コーポレイトブランディングについての標準的な知識を得ることができます。

著書はアメリカン・ブランディングを代表する会社でブランドマネジャーを務めた方なので、実務的な部分でも多くの知見を得ることができるお勧めの1冊です。

なのですが、日本にはブランドが無いので、この本を読んだだけでは何も得るものはありません。読む側が、始めから勘違いをしていれば、その勘違いを改めることは本を読んだくらいではできない相談です。著者の責任でありません。

そのへんの事情は著者もよく分っていて、あえて正面から立ち向かおうとしないところが、日本的に「奥ゆかしい」本になっています。でも、読者に「?」を感じて欲しい言葉が幾つかあるのでそれを拾ってみましょう。

「日本では、アイデンティティ(同一さ)が守られていない」は導入部分では当然の指摘でしょう。

「マーケティングの世界にあるものは顧客の心の中にある知覚だけである。知覚こそが現実であり、その他のものは幻想である」(アル・ライズ)という言葉も有名ですが、日本では本当に理解されているとは思えません。

ブランド・エクステンションについて「カニバライゼーションが起きても短期的には利益がある」があるが、「ブランドロイヤリティの基盤になっている購買パターンや使用習慣を乱し、ブランドのアイデンティティは不明瞭になる」ことを繰り返し強調しますが、日本にはブランドがないのでエクステンションすらしようがないのです。「ブランドはフォーカスされ絞り込まれてこそ魅力と価値が高まる」(アル・ライズ)も、日本では企画書の飾り言葉でしかありません。

コーポレイト・ブランドについては、「日本企業は、顧客だけでなく従業員まで影響を及ぼそうとしている」「企業が売却されることがめったになく、企業とその製品構成は真に永続的だから可能である」と述べ、アメリカ企業は「M&Aを積極的に行うためにコーポレイトアイデンティティへの投資は難しい」と指摘しています。

「日本で重要なことは、競合との差別化ではなく、己の持つ価値への信頼なのだ」はその通りだと思われます。日本にあるのはブランドではなく、暖簾なのですから。

「(ナイキの靴が)ナイキ以外の会社で作られていても消費者は気に留めない」
「バドワイザーというブランドに価値があるので、アンホイザーブッシュという会社名は重要ではない」
「メルセデスのAクラスは、ブランドの価値を高めることはない」
「千円以下の消費財の場合、1つのNBをテイクオフさせるには、少なくとも2〜3年の時間、80億円のマーケティング経費を要する」
「日本ではテストマーケティングにおいて、企業名を製品のエンドーサー(保証人)として使った時にのみその製品がうまくいったというケースが多くある」(欧米的な考え方では、異常です)
「顧客はレクサスを作っているのがホンダであるかトヨタであるかを気にしない」

上記の言葉のマーケティング的な意味を現実感をもって受け取れる日本のビジネスマンは少ないと思われます。

だから、「ブランドアイデンティティとは、ブランドの連想の集合の範囲」のことである、という実務的な問題を、その実務を知っている筈の著者はさらりと一言だけですませてそれ以上の言及は避けています。(このへんは、著者が「知らない」とは思われたくないが、どうせ「解らない」と諦めている証拠です)

そして、この本の後半では、ブランドマネジャー不在の日本では「ビジュアルアイデンティティだけで終わる」「ブランドの一貫した原則が、別組織である広告部門や営業部門で適切に運営される可能性は低い」と、諦めにも似た記述が目立ちます。

ブランドマーケティングは、ポジショニング、コンセプト、セグメンテーション(ターゲッティング)、マーケティングミックスです。これらの「言葉」は、マーケッターなら誰でも知っています。でも、その意味は殆ど理解されていません。著者もそう感じていて、後半は諦観した記述になっているように感じられます。

それでも、「ポジショニングステートメントは、最も重要なドキュメント」であり、セグメンテーションは「入るべき市場の規模」を決める「ソースオブビジネス」であり、「誰もが好きではなく、誰かだけ」なのだと力説しています。私には、「頼むから解ってくれい」的な悲鳴にも聞こえます。

最後の締めくくるような「ブランディングは組織力である」は、身に浸みる言葉です。広告でブランドは作れない。物流をも含む関わる全ての活動が「一貫した」行動規範で貫かれていなければならないのです。

生禿は、「日本にはブランドは要らない」かも知れないと考えている人間です。ですが、世界に出たらブランドは必要なのも事実。日本発の数少ないブランドの一つであるレクサスは、トヨタを匂わせ(エンドーサーとして利用し)ながら、トヨタ車とは違うものとして、アメリカ市場でブランドを確立しつつあり(日本ではブランドにはなっていませんが)、無印商品は「ノーロゴ」という一見矛盾する究めて日本的なブランドを世界に通用させつつあります。

生禿はこれらを「暖簾的なブランド展開」と呼んでおります。それであっても、海外でのブランド展開は日本人が行なうのではなく、欧米の支社のマーケッターに任せた方が現実的でしょう。

ブランドを見たことも聞いたことも無いマーケッターに、ブランディングはできません。それは能力の問題ではなく、文化の問題なのです。