特捜検察のエースの不祥事がニュースを賑わしています。

特捜は、ロッキード事件以来「正義の味方」と言われてきました。それが問題なのです。

世論によって「正義の味方」になった組織は敵無しになってしまいます。いつしか、「我は正義なり」になり、「正義の味方」は「自分の見方」になってしまいます。

「正義」は、十人十色の考え方によって変わります。「カラスの勝手」なのです。どのような形であれ「正義の味方」になった組織は、「自分の見方」の味方にならざるを得ません。

特捜が悪いのか?そうではないでしょう。正義の味方を求める世の中に弱さがあるのです。正義の名の下に、全てのドロドロとした欲望が隠蔽されていきます。民主主義の欠陥?の一つだとも言えます。

法治主義、事実のみに基づく判断。検察も法の番人として、自らの正義感に基づくのではなく、法に基づく捜査に立ち返るべきでしょう。それが、民主主義の下での「正義」なのですから。