「よくわかる臨床心理学」 山口創 2001年 川島書店

臨床心理学は『主観』の問題で、科学には馴染みません。それを入門書として「科学的に」まとめようともがいた結果がこの本です。それだけに、類書は少なく、古い本ですが、最近まで版を重ねています。版を重ねているのに、改定されないのは、著者が『もうこりごり』と感じているからでしょう。書く側にとっては非常に『難しい』本です。

知識の本としては、心理療法はあくまでも主観の問題なので、それを第三者的に紹介しようとすると『上っ面の解説』になって詰らない。踏み込もうとすると、非科学的な思い込みの世界に嵌まり込む・・・。そういうモガキを感じさせない『淡白な』著述が、この本を『立派な教科書』にしています。同時に、だからこそ、現実には『何の役には立たない』ものになっています。そのようなものとして、意図的に、われわれの理性に『放り投げられたもの』が、本書です。

初学者以外がこの本を手に取った場合は、どう読むかが試される本かも知れません。生禿としては、この本の意図的な『上っ面」を受け止めるだけにしておきましょう。


○ 心の問題

平均からの『外れ』で『異常』を定義することはできません。「知能指数が平均より際立って高くても異常である」とは判断されません。また、「本人は苦痛なく振舞っている行動が、周囲の人たちに迷惑をかけている場合もある」「クライエントの心理的苦痛が無いため、治療への動機付け低く、治療が難航するケースが多い」。ロジャースによれば、「心理的不適応とは、理想自己と現実自己の間に乖離がある状態」としています。「あるがままの自分を受け入れ、自己一致を図ること」が、カウンセリングの目的になります。

エリクソンの心理社会的発達論では、「誕生から1年の間に、母親から無条件で愛され大切にされることでm基本的信頼が形成され」ます。「基本的な信頼感を獲得した赤ん坊は、辛い事があっても、希望を無くすことなく生きていくことができる」。幼児期では、「自分の要求を出したり引っ込めたりできることが大切」「親は時にはハッキリと叱り、また褒めることで、子供の自我をコントロールする感覚を身につけさせる」。児童期になると「自分の要求を達成するために友達を支配しすぎて、喧嘩が起きたりすることもある。この時期の喧嘩は健全な主導性の発達を促すことになる。『自発性』とは、自分の要求をコントロールしながら他社と関わること」です。

神経症欝状態では、鬱病とは違い、現実認識の能力は正常に保たれ、坑欝剤の効果も余り認められません。躁鬱病では、障害が朝方が強く、夕方に軽くなる傾向があります。朝の出勤が一番大変なのはこのためです。人格障害は、病気ではないが社会に適応できません。
生禿の認識では、治療する自信の無い難しい(本当の精神病の)患者に対して、医師が貼り付けるレッテルです。

「心の問題が精神的な苦痛や行動に表れたものが神経症と呼ばれるに対して、身体面に現われたものを心身症という」。心療内科が窓口になっています。「実際には、精神科を患っていても精神科を受診することに抵抗感があるために心療内科を受診する患者も居るし、神経症の患者も多い」。

心身症になりやすい性格特徴は、1) 情動を言語化することが貧しい、2) 思考に情緒が伴わない、3) 過剰適応がある、と言われています。大人の心身症で大事なことは、『症状と共に生活する』という態度で、「頑張って症状を無くそうとするのは誤った治療法である」と断言しています(この本にしては珍しく)。心身症に限らず、大切なのは『リラクセーション』です。


○ 心理検査(アセスメント)

臨床心理学のアセスメントは、「対処の仕方の目途をつける一連の作業」です。

・質問紙

間接的にしか測定できないものを『構成概念』と呼び、誰が何時測定しても同じ結果が得られる『信頼性』と、本等にその構成概念を測定しているのかを問われる『妥当性』が問題になります。著者は、「テレビや雑誌の心理テストや占いは、裏づけの無いもの」だと指摘していますが・・・、では心理療法にどれほどの科学性があるのでしょうか?

・投影法

文章完成法などの解釈は、検査者の主観です。

・観察法

『ありのまま』の状態を観察しますが、解釈は主観です。

・実験法

観察したい行動の環境を合理的に設定します。目的が明示的な分だけ、技術としては科学であることが可能です。

観察の手法は、
 − 日誌
 − 事象見本法(エピソード)
 焦点となる行動の要因や、行動の過程を分析する
 − 時間見本法
 行動を任意の時間間隔で区切り、その時点の出来事を記録する
 − 評定尺度法
 観察者が形容詞や尺度で評定する

・面接法

対象者と対面して非言語反応も含めて捉えます。面談者と対象者の信頼関係(ラポール)の形成や、面接の場所が重視されます。身振りや表情を分析するためにビデオに記録されます。

「自分のことを他人に自己開示することは心身の健康にとって良いことである」「辛く苦しい事があったら、他人に話すだけでも心の浄化作用(カタルシス)が起こるので、元気がでる」のです。「カウンセリングによって心の傷が癒される・・・。自分の過去は死んだ過去ではなく、現在と未来にわたって生き直すことができる過去である」。過去も未来も、現在に生きているのですから。


○ 心理療法

著者が臨床家であることが、「カウンセラーは神様のように崇められたり、その無能を軽蔑されるなど、クライエントの感情が向けられる」「カウンセラーは、別の精神分析家から精神分析を受け、絶えず自己自身を認識することが大切である」という記述で示されています。精神科は、独特の『職業病』にならないと務まらないビジネスです。揶揄しているのではなく、そうならざるを得ないのです。ご苦労様です(実は、もともと、そういう方が就く商売なんですけれど・・・)。

「クライエントの発声や呼吸の微妙な変化までもしっかりと受け止める感覚を養う」「相手の気持になったかのような理解であって、相手と同じ感情を抱くことではない」という独特の言い方もそうです。冷静で温和な、人間味溢れる無表情(仮面)の持ち主にならなければいけないのです。

心理療法の効果を考えるキーワードは、1) プラシーボと、2) 自然治癒の2つです。まず、人の思い込みや暗示の影響は大きく、それ自体が『治療』であるという考え方も成り立ちます。心理療法には『二重盲検法』は使えませんので、効果を確かめる方法もありません。

効果を確かめるためには、実験群(この場合は、心理療法を行う)と、統制群(心理療法を行わない以外は実験群と同じ)と、対照群(なにも行わない)を比較して、プラシーボ効果と自然治癒力を除いた効果を測定します。

実際にそのようにして測定した結果は、「自分から進んで治療を受けようという意志と、治る為の努力が必要なものなら、どんな活動でも治療効果を持つ」でした。「殆どの場合に心理療法の間で優劣の差は認められない」「心理療法を行わない統制群が心理療法を上回ることは無いが、1/3では心理療法と同等である」「カウンセラーとしての治療経験の長さと治療効果の間には関係が無い」「カウンセラーの魅力(性格が暖かいなどの評価)と治療効果の間には一貫した結果は得られていない」なども明らかになりました。


さて、本年もお付き合い頂きありがとう御座いました。

来年も宜しくお願い申し上げます。