女房と東京大学(東大)でデートです。飯田橋で乗換え。飯田橋は若い頃に事務所のあった場所。二人の娘が産まれた産院もあります。

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 久々に降りて、事務所のあった場所を歩きました。熊谷組の本社は相変わらずデンと立っています。

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 築土八幡神社は、正月に会社のメンバーとお参りに行きましたネ。

 嵯峨天皇の時代(809年 - 823年)が起源。その後、当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられたそうです。

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 太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されています。珍しい庚申塔です。

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 境内社の宮比神社。御祭神は、宮比神で大宮売命・天細女命ともいわれ、下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを遷座したそうです。

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 武家の“豪放磊落”が出ていて面白い狛犬さんです。この狛犬さんは好きでしたね。

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 築土八幡の隣りは、東京修道院があります。この取り合わせも変ですが・・・、ある意味では同類なのかな。

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 神楽坂芸者上りの粋な女将のいた焼き鳥屋さん。最初は、芸者時代のお馴染みさんで繁盛して、神楽坂の香りに引き寄せられて新たな贔屓がどんどんできて、神楽坂でも屈指の繁盛店でした。今も女将はご健在なのだろうか?横道に入ると黒板塀。神楽坂は、粋筋の街であることを想い出させてくれました。

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 一度も利用したことが無い、ラブホテル。事務所に近すぎ、当時は仕事が忙しくて・・・ ← 言い訳をするな!

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 有名な五十番。王さんの実家です。早稲田に13年通った生禿は中学時代から肉まんを食べてますが、味が落ちたような・・・ ← 他にも美味しい肉饅頭が出てきたからではないかと思われますが・・・。

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 神楽坂毘沙門天(日蓮宗)の狛犬。毘沙門天を護る力感溢れる作品です。これも、昔から好きな像の一つです。

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 江戸城外堀跡に架かる牛込橋。江戸城外郭門の一つ、牛込見附(牛込御門)跡。江戸城の外れです。江戸城と言えば桜田門〜大手門など千代田区のイメージが強いかも知れませんが、新宿も江戸城の一部です。

 娘たちが生まれた八千代助産院はありませんでした。助産婦を教える学校に併設された助産院で、自然分娩の推進役でした。今はどこにあるんだろう?

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 東京大学も秋深し。やっぱり銀杏がいい雰囲気出してます。

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 週末の東大は学生よりも、中国などからの観光客と、物見遊山のおじさんおばさん、東大受験の高校生などが大勢さん行き交う観光スポットです。

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 安田講堂。安田生命の創始者が寄付したもの。一橋大学の兼松講堂も、商社の兼松の創始者の寄付。明治時代は、産学共同と言うより、産業も学問も近代化を一緒に走っていました。

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 紅葉の三四郎池。写生をする人、写真を撮る人・・・、生禿も記念撮影をしている方から「シャッター押して」と頼まれました。昔の美人にも親切な生禿です。

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 三四郎池の上には、小さな滝があります。険しい坂道を登らなければならないので、訪れる方は少ないのですが、東大においでの際は、滝の音の静寂さを味わって下さい。

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 女房と合流して講演会会場へ。テーマは「ネアンデルタール・ミッション − 旧人遺跡の調査」。東大が手がけたイスラエルのアムッド洞窟や、シリアのドゥアラ洞窟(広義ではパルミア遺跡の一部)を中心に、ネアンデルタール人の人骨や石器の発掘と研究のお話です。

 弓矢で獲物を狩った新人に対して、槍の名人であったネアンデルタール人。ネアンデルタール人はどこまでも肉体派です。と言っても知能が低いわけではありません。たった50万年程度の進化の違いでは、人類に異種(亜種)が存在する筈はなく、同じ人類です。

 人類の多くは、大地溝帯から死海地溝帯への移動回廊を辿って世界へ旅立っていった。死海地溝帯の近くに位置するパルミラには、(今は乾燥して水は無いが)古パルミラ湖がありました。

 ネアンでルター人は80万年前に、スペインで生まれたとされています。西方では生き残れなかった?ネアンデルタール人ですが、東方にはアルタイ地方まで広がっていたことが確認されています。7万5千年前の寒冷化によって世界に広がったと想定され、石器の研究では中国やインドネシア・ニューギニアまで到達していたと推定されます。

 砂漠のシルクロードの要所にしてソグドの都、サマルカンド。年間降水量が400个杷の栽培の限界地域でもあります。オアシスには石器などが出てきますが、地層の崩壊などによって人骨などは残りにくいようです。ともかく、今も昔も、北と南のシルクロードを通って人類と文化は移動したことは確かです。

 4万6千〜8千年前の寒冷期に、ネアンデルタール人が減少し、そこに新人が入ってきた、など複雑な過程で中央アジアの交替も起ったと考えられるとのこと。

 何はともあれ、人類は、原人・デニソワ人・フローレンス人・ネアンデルタール人・クロマニヨン人・新人が交雑して今日に至っています。“支配集団”は交替しますが、同じ人類。交雑によって各々のDNAは現代人類に受け継がれています。

 生禿は、ハプロマップで『何処を、通って来たか』よりも『何時に、中東を旅立ったか』を最も重視する考え方を持っています。『何時、何所の生活環境の影響を受けたか』は、その集団の文化を決定するからです。

 ネアンデルタール人は、農耕前の中東を発って、アジアで様々に交雑し、インドネシア(南方系)やアムル川流域(北方系)を経由して日本列島にもやってきた(縄文人の一部となる)のではないかと妄想しています。

 講演会の後、女房の友人と池袋で飲み会。学生に数学をどう教えるかなど、とても有意義で楽しい話で盛り上がりました。こういう飲み会なら、また参加したいな〜。