奈良まほろば館で行われた「日本の国造りの源流 − 大和」の講演会の内容をまとめておきます。生禿の聞き違いや勘違いがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。
○ 大和王権前夜 − 唐古・鍵遺跡 清水琢哉氏
「纏向遺跡の前の時代。唐古・鍵遺跡には、中国の神仙思想を反映した高層の建物を模した、四本柱二層の弥生時代の楼閣が建てられた(と想定されている)。墓の埋葬物に建物が描かれ、中国にも見られた鳥の表現もあった」。
「奈良盆地にある唐古・鍵遺跡遺跡は、堀を巡らしていた。大和川を臨む奈良盆地の交通の要衝であった。小高い場所に集落を作り、九州から伝わった水田と堀(用水路)を造成した。周囲は雑木林(里山)になっていたと思われる。墓域の遺跡も周囲にある。また、周囲には衛星集落がある」。
「現在の池は、江戸時代のもの。江戸時代は水不足対策として、区画された田と溜池が作られた}。
「弥生時代初期から渡来人が住み始める。弥生中期には、集落の外に墓ができる。墓は1km以上離れた場所にある。欅(けやき)の独立棟持ち柱を何本も立てた、伊勢神宮に似た50畳以上の大きな家屋があった。中期の初めは、柱が曲がっているので、木の柱の位置はバラバラに見えるが、屋根のところで合うように作られている、という説がある。櫛描き文の土器が出土する」。
「後期には、大規模な洪水で埋まった堀を掘り起こして、集落を復活させている」。「古墳時代には環濠を必要としない小さな集落に分かれていく」。
○ 大和政権成立と纏向遺跡 橋本輝彦氏
「2世紀末〜3世紀初頭に纏向遺跡が登場する」。「唐子から纏向へは、3Km北」。「奈良盆地の東南に、大和朝廷が成立する」。「南東側に三輪山があり拝殿のみの社がある」。
「纏向遺跡は、1Km以上の広がりがある」「最も広がった時は、2Km×1.5Km」。「半径1Kmの式内式土器の範囲から、布留式土器の範囲に拡大する」。かつては「住居の中に館があったが、山手に王の館が移る(古墳的)」。「土木の道具がたくさん出てくるが農業の道具は少ないのも、纒向だけの特徴になっている」。
「AC310〜320に纏向遺跡は消滅する」。「古事記・日本書紀に拠れば、その後も大王の宮殿のみ残った」。
「全国に前方後円墳が広がる」「関東では市原に古墳が広がる」。古墳が作られるのは、「後に国府や国分寺が作られる地域である」。
「纒向は、様々な地域から物資が集まる日本の中心地であった」。「岡山(吉備)の円筒埴輪が墓から見つかる」「15〜30%は大和以外の人々で、西日本を中心に各地の土器が見つかっている[搬入土器]」。
「纒向には竪穴式住居は無い」「掘立柱建物しかない(床のある住居に住んでいた)」。「中国・朝鮮から導入された(?)大型建物が建てられた」。「中国や朝鮮から来た文物が見つかっている」。
○ 三角縁神獣鏡 − 黒塚古墳 石田大輔氏
魏志倭人伝に拠れば、「AC180年頃、卑弥呼が共立される」「AC239年、義の国に朝見し銅鏡百枚を賜る」「248年、トヨが女王になって再び治まる」。
「柳本古墳群の中に、黒塚古墳がある」「未盗掘の古墳だった」。「木棺を取り囲むように鏡が置かれていた」「33面出土している」「三角縁神獣鏡は、全国に500枚、奈良に100面ある」。「三角縁神獣鏡は大和王権と深く関わり合っている」。
「神獣は中国の神仙思想(不老不死の思想)を反映している」。但し、「三角縁神獣鏡は中国には無い」。「画分帯神獣鏡の中心も大和」。「画分帯神獣鏡が中国皇帝から賜った鏡ではないか?と云われている」。
大陸渡来の外来種の人々は、中国や朝鮮の記述を、全く疑いなくそのまま信じている。それは、科学ではなく、宗教と断定する外は無い。
○ 大和王権前夜 − 唐古・鍵遺跡 清水琢哉氏
「纏向遺跡の前の時代。唐古・鍵遺跡には、中国の神仙思想を反映した高層の建物を模した、四本柱二層の弥生時代の楼閣が建てられた(と想定されている)。墓の埋葬物に建物が描かれ、中国にも見られた鳥の表現もあった」。
「奈良盆地にある唐古・鍵遺跡遺跡は、堀を巡らしていた。大和川を臨む奈良盆地の交通の要衝であった。小高い場所に集落を作り、九州から伝わった水田と堀(用水路)を造成した。周囲は雑木林(里山)になっていたと思われる。墓域の遺跡も周囲にある。また、周囲には衛星集落がある」。
「現在の池は、江戸時代のもの。江戸時代は水不足対策として、区画された田と溜池が作られた}。
「弥生時代初期から渡来人が住み始める。弥生中期には、集落の外に墓ができる。墓は1km以上離れた場所にある。欅(けやき)の独立棟持ち柱を何本も立てた、伊勢神宮に似た50畳以上の大きな家屋があった。中期の初めは、柱が曲がっているので、木の柱の位置はバラバラに見えるが、屋根のところで合うように作られている、という説がある。櫛描き文の土器が出土する」。
「後期には、大規模な洪水で埋まった堀を掘り起こして、集落を復活させている」。「古墳時代には環濠を必要としない小さな集落に分かれていく」。
○ 大和政権成立と纏向遺跡 橋本輝彦氏
「2世紀末〜3世紀初頭に纏向遺跡が登場する」。「唐子から纏向へは、3Km北」。「奈良盆地の東南に、大和朝廷が成立する」。「南東側に三輪山があり拝殿のみの社がある」。
「纏向遺跡は、1Km以上の広がりがある」「最も広がった時は、2Km×1.5Km」。「半径1Kmの式内式土器の範囲から、布留式土器の範囲に拡大する」。かつては「住居の中に館があったが、山手に王の館が移る(古墳的)」。「土木の道具がたくさん出てくるが農業の道具は少ないのも、纒向だけの特徴になっている」。
「AC310〜320に纏向遺跡は消滅する」。「古事記・日本書紀に拠れば、その後も大王の宮殿のみ残った」。
「全国に前方後円墳が広がる」「関東では市原に古墳が広がる」。古墳が作られるのは、「後に国府や国分寺が作られる地域である」。
「纒向は、様々な地域から物資が集まる日本の中心地であった」。「岡山(吉備)の円筒埴輪が墓から見つかる」「15〜30%は大和以外の人々で、西日本を中心に各地の土器が見つかっている[搬入土器]」。
「纒向には竪穴式住居は無い」「掘立柱建物しかない(床のある住居に住んでいた)」。「中国・朝鮮から導入された(?)大型建物が建てられた」。「中国や朝鮮から来た文物が見つかっている」。
○ 三角縁神獣鏡 − 黒塚古墳 石田大輔氏
魏志倭人伝に拠れば、「AC180年頃、卑弥呼が共立される」「AC239年、義の国に朝見し銅鏡百枚を賜る」「248年、トヨが女王になって再び治まる」。
「柳本古墳群の中に、黒塚古墳がある」「未盗掘の古墳だった」。「木棺を取り囲むように鏡が置かれていた」「33面出土している」「三角縁神獣鏡は、全国に500枚、奈良に100面ある」。「三角縁神獣鏡は大和王権と深く関わり合っている」。
「神獣は中国の神仙思想(不老不死の思想)を反映している」。但し、「三角縁神獣鏡は中国には無い」。「画分帯神獣鏡の中心も大和」。「画分帯神獣鏡が中国皇帝から賜った鏡ではないか?と云われている」。
大陸渡来の外来種の人々は、中国や朝鮮の記述を、全く疑いなくそのまま信じている。それは、科学ではなく、宗教と断定する外は無い。