「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」 青木薫 2013年 講談社現代新書
最新の宇宙論を平易に解説した本です。通勤電車の中でも読み易い、有難い本でした。以下はこの本の要約と引用です。
《まえがき》
「宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには、我々人間が現に存在しているという事実を考慮に入れなければならない」(人間原理)
《1. 天の動きを人間はどう見てきたか》
天文学は、最古の学問と言われるほど長い歴史を持っている。一日、一月、一年が、暦の基礎となった。暦は、共同体に属する人々の活動に必要不可欠だった。暦の作成は支配者の責務であった。
集団運動をする星たちの間に、その規律に従わない惑星(さまよえる星)が存在することに気づくには、粘り強い観測を続けなければならない。メソポタミアに現れたカルデア人は、紀元前7世紀から6世紀にかけて、現在のイラク南部に新バビロニアを建てた。新バビロニアは、ユダヤ人の「バビロン捕囚」を起こした国でもある。アイデンティティの危機に直面したユダヤ人は、バビロニアの神話対応して、独自の一神教を確立した。旧約聖書の天地創造の物語が生まれたのは、バビロン捕囚の時期だった。
カルデア人は、新バビロニアを建てる千年前から、星座を作ったり、惑星の存在に気づいていた。「カルデアの知恵」と呼ばれる高度な知識体系を作り上げていた。太陽は一年かけて天の道(黄道)を一周りする。月も惑星も、つねに黄道付近にある、という事実に気づいていた。カルデア人は、一日を24時間に区切ったり、一週間という区切りを設けた。
カルデア人にとって、惑星の不思議な動きは、神々の意図を表すものにほかならなかった。占星術は、国家や支配者の運命を予知するために用いられていた。災難が予知されたら、物忌やお祓いなどを行った。
新バビロニアは、紀元前539年、アクメネス朝ペルシャに倒され、ペルシャは前330年に、マケドニアのアレクサンドロス大王に征服された。支配者が変わっても、バビロニア地方の行政や神殿の運用は維持された。都市バビロンは、メソポタミア南部の中心であり続けた。カルデアの知恵は、西方のギリシャ・ローマの世界に広がり、ローマ時代の占星術は、カルデア・ギリシャ伝来の権威ある学問として浸透していく。
カルデアの知恵が伝わったとき、ギリシャ人たちは惑星の動きをデータから読みとるだけでなく、惑星の動きを幾何学によって説明しようとする。小アジアのベルガに生まれた「円錐曲線論」で知られるアポロニオスは、惑星の運行モデルを作った。
紀元後2世紀に、ナイル川の港湾都市アレクサンドレイアのプトレマイオスが、占星術の知識を集大成して「テトラビブロス」(後に「アルマゲスト」と命名)にまとめた。「テトラビブロス」は、今日でも西洋占星術の基本文献である。
西ローマ帝国が衰退し、占星術の伝統は、その他の学問と同じく、イスラム世界に引き継がれた。12世紀に、アラビア語やギリシャ語からラテン語への翻訳運動が起こると、占星術もその他の学問も、西洋のラテン世界に持ち込まれる。ルネサンスの時代になり、占星術は大流行する。占星術は、権威ある学問だった。 ユダヤ=キリスト教の聖職者たちは、バビロニアの異教臭がする占星術には敵対敵だった。
コペルニクスは、プトレマイオスの説く「知ることの断念」を拒否し、我々は宇宙を理解できるとした。科学は哲学は切り離され、別々の道を歩んでいった。
≪2. 天の全体像を人間はどう考えてきたか≫
天の動きを知ろうとする「天文学」と、宇宙の全体像を知ろうとする「宇宙論」。「コスモ」は、ギリシャ語で「秩序がある」「整っている」を意味し、化粧品(コスメティック)も同じ語源に由来する。
古代の原子論者達は、幾何学的な空間概念にもとづき、無限空間の中で無数の原子が離合集散を繰り返し、様々な構造が生まれては壊れるという宇宙像を提唱した。キリスト教が支配的になると、原子論は無神論者の思想として弾圧される。
ピュタゴラスは有限な宇宙を考えた。プラトンは、この宇宙は生成されたものとした。プラトンの宇宙創造は、ユダヤ=キリスト教の天地創造説と相性が良い。「無限なものは円運動をすることができない」アリストテレス。
ストア派の説く生き方は、キリスト教の教えと相性が良かった。「ストイック」は、ストア派が説いた生き方の理想に由来する。ストア派にとって、宇宙は「生き物」だった。宇宙は、周期的に火に包まれ、新たに生まれ変わる。
アイザック・ニュートンは、原子論者だった。時間と空間は無限と考えていた。時間と空間は、天地創造の対象外だった。物質分布の広がりが有限だったら、重力の作用により、物質は質量中心に集まり、巨大な塊になってしまう。それを避けるには、物質は中心のない無限空間に散在していなければならない。ニュートンの理論によれば、星の領域は、無限の海に浮かぶ、有限の島になっていなければならない。
アルベルト・アインシュタインは、1905年、相対の時空をもたらした特殊相対性理論を発表した。1916年、重力を取り込んだ一般相対性理論を発表する。アインシュタインの宇宙も、全体として変化の無い定常宇宙である。
リーマンの円盤世界では、円盤の縁には辿り着けない。リーマンは、空間が伸び縮みする幾何学(微分幾何学)を創始した。その点の空間の「曲率」(空間の歪具合)が、ゼロならばユークリッド幾何が成り立つ。曲率が一定で、正の値を持つとき、その宇宙は球面のようになっていて、「空間的に閉じている」。三角形の内角の和が180°より大きくなる。球の表面は、有限だが果ては無い。
カトリックの司祭ジョルジュ・ルメートルが、一般相対理論の重力場方程式は、宇宙空間が全体として膨張することに気づいた。ルメートルの宇宙誕生は、アウグスティヌスの宇宙創造とそっくりだった。
1929年に、エドウィン・ハッブルは、遠い銀河ほど大きな速度で後退しているという観測結果を発表する。しかし、ビッグバンモデルは、観測結果と矛盾していた。宇宙に存在する物質の99.99%が水素とヘリウムで占められている。ビッグバンモデルは、宇宙の始まりを描けなかった。
米国で原子核の知識を持つ物理学者がマンハッタン計画に集められていた。ソ連から亡命したジョージ・ガモフは、独走状態で突っ走ることになった。
ビッグバンモデルは、「宇宙マイクロ波背景放射」を予想する。原子核と電子がバラバラに飛び回っている状態のことを、プラズマ状態という。プラズマ状態では、光子は自由に進むことができない。膨張を続ける宇宙は、温度が下がり、電子は原子核に捕まった(原子の誕生)。光子が自由に進むことができるようになった(晴れ上がり)。このとき自由になった光子が、今も宇宙空間を進んでいる筈だと考えた。
フレッド・ホイルとトマス・ゴールドとハーマン・ボンディが、定常宇宙モデルを提唱した。膨張しても変化しないためには。宇宙は無限でなければならない。空間が膨張すれば銀河は互いに遠ざかる。遠ざかる銀河と銀河の間の空間に、新たな銀河の素材になる物質が生じる。宇宙の眺めはいつも同じになる。ボンディたちの説は、エネルギー保存則を破っている。しかし、地球上で行われた実験がから導かれた経験則が、宇宙でも成り立つ保証は無い。
≪3. 宇宙はなぜこのような宇宙なのか≫
宇宙スケールで見れば、正負の電荷が結合して中性になりがちな電磁力とは異なり、常に正の値である重力は、宇宙を支配する力となる。重力が今より強かったら、恒星は押し潰されて燃え尽きてしまうだろう。重力が今より弱かったら、天体のサイズは大きくなり、核融合はゆっくりと進み、我々は存在しそうもない。
アーノ・ベンジアスとロバート・ウィルソンは、黒体放射スペクトルの発見により、1978年にノーベル賞を授けられた。ビッグバンモデルが宇宙論の最有力候補の躍り出た。
≪4. 宇宙は我々の宇宙だけではない≫
ビッグバンモデルの「のっぺらぼう問題」。宇宙背景放射ににむらがあれば、重力の作用により、密度の濃い部分にはさらに物質が引き寄せられて、今日みられるような銀河が生じるだろう。
佐藤勝彦は、宇宙がビッグバンの火の玉状態になる前に、空間に大きなエネルギーが含まれていたなら、極めて短い時間だけ(一瞬の間)、空間が指数関数的に膨張した筈だと気づいた。一般相対性理論では、空間そのものが記述の対象となる。インフレーションの膨張が起こるメカニズムは、一般相対性理論の重力方程式に組み込まれていた。インフレーションの時期、何もかも量子的に揺らいでいる。量子の世界では、ハイゼルベルクの不確定性原理により、あらゆる物理量が揺らいでいる。これは、定常宇宙論モデルそのものである。
宇宙は、uni-という通り、一つとされてきた(古典物理学は決定論の世界である)。しかし、起こり得ることは必ず起こる、何度でも起こる。量子的な世界での常識から、エヴェレットの多世界解釈が出てくる。
インフレーション・モデルの多宇宙モデルは、地平線宇宙。そこから先は決して見ることはできない。
≪5. 人間原理のひもランドスケープ≫
物理学者にとって4つの力は多すぎる。一つの力の別の側面なのではないかと考えた。より基本的な粒子としてクォーク(素粒子の一つ)が提案された。「力の粒子」(四つのゲージ粒子)をキャッチボールすることで、四つの力が伝わると考えることができる。しかし、素粒子物理学では、重力を取り込めていない。場の量子論によれば、広がっている場のエネルギーが高くなると、粒子が現れる。場も量子的に揺らいでいる。そして、「真空のエネルギー」が無限大になってしまう。そして …、宇宙の膨張は加速している。
ひも(ストリング)理論では、紐の様なエネルギーが基本構成要素になる。ひも理論は、4つの力全てを記述できる。ひも理論が成立するためには、宇宙が高次の次元でなければならない。消えた次元は小さく丸まっているとされる。
≪終章 グレーの諧調の科学≫
多世界の中で、我々は、たまたま自分たちが存在できる世界に存在しているだけ、ということになる。宇宙は、環境にすぎなかった。多宇宙というより、巨大宇宙と表現する方が自然かもしれない。
多世界ヴィジョンは科学なのか?我々は、他の宇宙を観測することはできない。観測と実験に基づく科学の方法に反する。しかし、ブラックホールも見えないが、実在性を認められている。
科学は白黒はっきりさせられるものではない。たえず足元を確認しなければならないのが科学なのだ。