TAIWAN考古学セミナー・シリーズ《台湾考古学の新視点》第1回 2022年10月22日
「台湾考古学から原住民の古代史を探る」 陳有貝
面白い講演を聞いたいので、以下にまとめておきます。私の聞き違いや勘違いがありましたらお許し下さい。
南島語族(オーストロネシア)が台湾に移住し、山麓に住む高砂族(高山族)と、平野に住む平捕族になった。平野に住む人々は、漢民族の影響を受けることになる。二つのグルー王は、言葉が異なる人々にさらに細かく分類できる。
台湾原住民は、旧石器時代(6000年前)に、中国大陸からやってきた。彼らは、縄せき文の土器を持っていた。台湾はインドネシアやフィリピンなど、太平洋民族の起源地となっている。
台湾とフィリピン北部で共通する土器がある。但し、色(赤)は似ているが、文様は似ていないとする説もある。フィリピン・ルソン島のKahmhantik遺跡では、蓋を持たない石棺が多く出てる。それは麒麟文化のものと似ている。麒麟文化の石像のスタイルはインドネシア・スラウェシ島のものに似ている。与那国島にも似た石棺がある。
生物学の鍾國芳の研究によると、構樹(カジノキ)という太平洋民族と古くから深く関連している植物は、DNAでその祖源を台湾までたどることができる。
17世紀に15万人、20族が存在した。台湾の周辺から多くの文化が流れ込んだ。フィリピン・日本・中国などから多民族移入したのが、多民族がいた理由と考えられている。
先史時代の人間と近代原住民の繋がりと変化については、石斧が先史から近代まで同じ。石包丁については、稲刈りは刀子のような石器を用いていたなどから、同一民族が住み続けていたと考えられる。投げ網(漁網)の錘(重り)も、近代と同様である。新石器(6500年前)、鉄器時代(2000年前)、歴史時代(400年前)ろ、人間は続いている。阿美(アミ)族の遺跡と現在の居住地の分布で明らかなように、各民族は安定して同じ場所で暮らしていた。人々の交流はあった。しかし、アミ族の地域に移り住んだ人々は、アミ族に同化したのだろう。
族は、表現共祖の意識と文物の共通性によって規定される。
旧香蘭遺跡の調査から、亀山と同様の矢印のような文様を持つ土器が出土。蛇の文様が変化したものと考えられる。パイワン族の壺の文様も同じものが見られる。祖先像にも見られ、この文様が祖先意識の源流の一つと思われる。
粟は山の上では重要な食物。5000年前から粟の痕跡が出土する。先史時代からあったのだろう。南の地域である台湾には粟は無かった作物である。
族の問題は、考古学研究者だけでなく、一般の国民からも重要視されている。