女房が日本に帰ってきて、荷物の片付けの延長上で箪笥を整理していたら、とんでもなく古い私の名刺が出てきました。
その中でも私の人生の岐路となった2枚。
広告代理店の大広。20代の私は、ネットワークビジネスの魅力に憑かれて、ベルシステム24に入り浸っていました。そこで獲得したノウハウが、後に「通販の大広」と呼ばれる基礎の一端となります。私も後に、カゴメ健康直送便を設計し運営する(私はカゴメの販売代理店となり、事業一切を統括していました。カゴメ健康直送便は、私の理解ではカゴメの事業ではなく、私の事業です)ことになりますが、当時はデジタルネットワークに強い関心が有りました。
そして30歳の時に、ファミコンネットワークを志して、大広を退社し、三澤千代治氏の支援を受け、仲間と共にイマジニアを起業します(会社の登記は31歳の時です)。ネットワーク事業はうまくいきませんでいたが、ゲームソフト業界のとんでもない経験をさせてもらいました(今はフツーの事業になっていますが、当時は反社会的組織が業界を牛耳っている頃で、全身刺青のお兄さん達に拉致されるなんて、オッカナイ経験もしました)。
それ以降は、仲間と一緒にマーケティング総合研究所を立ち上げて、マーケティングの道に戻り爆進!します。
因みに、女房と婚約したのは30歳。激動の時代の幕開けでした。あの当時は、女房に心配もかけたし苦労もさせました。よくぞ私に寄り添っていてくれたものです。女房は今でも言います「私、ジェットコースターが嫌いになった」「ジェットコースターに乗るのは貴方だけで充分」と。フ フ フ … いつまでもむっちりねっちょり乗っていてね (^^♪