恒例の東京・神奈川・埼玉埋蔵文化財関係財団普及連携事業公開セミナー。今年のテーマは「旧石器から縄文へ − 機構激変期における人々の生活と社会」です。私が参加しないわけにはいかないテーマ。という訳で、荏原(東京都)の文化センターへ。

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 荏原中延駅で降りてみると … かつては有名な中延商店街だったような気がするのですが … どうしてしまったのでしょう?

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 荏原文化センターは、図書館も兼ねていて、しかも地下には温水プールがあるという人気のスポットっぽいところでした。日曜日ということもあって、子供たちの元気な声も聞こえます。図書館では「おはなし会」もやっています。子育てに熱心な地域なんでしょうネ ← 佳き事かな (^^♪

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 セミナーは10時から16時迄。間に昼食休憩を挟みます。ランチは駅前の大阪王将で、チンジャオロースと餃子の定食。フツーに美味しかったけれど、セミナーの人がやってきて行列が出来ちゃって … 待たせるとセミナーに間に合わなくなるので、急いで食べて急いで出たよ!

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 セミナーは縄文をどのように定義するか、がテーマ。縄文土器が出土すれば縄文なのか。安定した定住が認められれば縄文なのか。弓矢が使用され、ドングリを磨り潰せば縄文なのか、… どんな定義でも成り立つけれど。やはり、土器を使い、定住生活、少なくとも定住生活への移行することが認められれば縄文時代と認識されるべきだというのが、無難なところでしょう。

 悩ましいのは、日本列島全体が同時に一斉に、生活様式がそのように変化した訳ではないこと。北北海道と南九州では時代の区切りが違ってもいいのか?現に「続縄文」という名称で、北海道だけは「弥生時代」になっても「縄文時代」が続いたとされています。日本列島全体での時代区分なんて無い!という科学の事実は、日本国全体の歴史は「日本国」が曲がりなりにも成立した奈良時代以降ということにする?いやいや、奈良時代だって、日本列島全体が「日本国」だった訳ではないので …。つまり、国の歴史なんてものは、科学の事実とは無関係な「純粋に政治」の問題であって、学問の対象になんぞならないってことでいいのかな〜〜〜。