先日、生禿のところに臓器移植ネットワークから手紙が来ました。
法律が変わって、親族に優先的に臓器を提供することができることになったというのです。遺伝子型が似ていて拒否反応がやや少ないなどの医学上の根拠はあるのでしょうが、臓器の提供者を事実上指定することには残酷な話ではないでしょうか。
息子が臓器提供を待っている母親の気持ちを考えたらゾッとしませんか。どうしてこんなに惨(むご)いことを考えられるのでしょう。
臓器移植は誰に提供するか未明だからこそ「誰かが助かる」という温かい気持ちになれるのです。その「誰か」が「あの人」になってしまったら、「この人」はいてもたってもいられなくなります。
日暮れの「誰ぞ(たそ)彼(かれ)」なら、生禿も美男子に勘違いされるかもしれないじゃないですか。そういう、淡い期待と薄い現実の狭間で、北風に吹かれる生禿頭も温(ぬく)もるというものです。
ホントウに、親族優先提供って・・・恐ろしいことを考えたのは誰なんでしょう。臓器提供者が少ないから、というだけでは言い訳にもならないのではないでしょうか。
生禿は「誰かに」提供するするのであって、「あの人」に提供するのでがありません。見ず知らずの方のお役に立つから嬉しいのです。