科学を奉じる者は、肉体が滅びれば意識も消えると単純に考えています。意識とは、「エネルギーの存在形態としての物質」の機能の一つに過ぎないからです。物理に依ればその通りです。

ですがその「科学者」が、自分の死後、自分の意識=この世界がどうなるかについて、「消滅するだけさ。何故なら、そんなものは、最初から実在しないんだから。消えるというより、無(という真理)に戻るだけさ」と言い切れる人間は少ないものです。

生禿は、どうかと言えば、「意識は物質として実在する」という考え方の持ち主です。但し、意識として独立に存在するのではなく、肉体に宿った時だけ「覚醒」します。勿論、前の宿主の記憶などは持っていません。機能として「意識」なのです。また、霊魂が肉体から肉体を渡り歩く「転生」も的外れです。エネルギーの一形態として実在しているだけで、意識を発現する機能は持ちますが、意識の内容は、肉体という固有の物質に依存します。

さて、「意識」を持つのは「人間だけ」というのは間違いです。意識は全ての生き物に共通です。ですが、意識の内容は、それぞれの生物に固有のものです。動物の身体を作る蛋白質の素になるアミノ酸は共通ですが、身体はそれぞれ違います。それと同じです。元が同じでも、それを組み合わせて作ったものは違う。数少ない元素で、多様なものが形成されます。それと同じです。

このような想定の根拠は?何もありません。ただの妄想です。死ねば全てが消えるとは思えない。但し、霊魂とかそういうものではないだろう。ヒントは、ウィルスです。ウィルスは、「生命と物質の間」の物質です。命そのものではないけれど、命のように振る舞うことができる。

エコロジストとか言う人非人が問題にする「地球温暖化」など問題にならない地球環境の激変による大絶滅でも、地球上の生命は途絶えることは無かった。それは、単細胞生物と、ウィルスなどの生命でない生命の素が、存続しているからだろう。両者は、多様な多細胞生物を形成する基盤となったのではない。

あまりにも「意欲的」(学術用語で「荒唐無稽」という意味)な妄想ですが、生禿的には「当らずといえども遠からず」と密かに考えている次第です。