「精神科にできること」 野村総一郎 2002年 講談社現代新書

生禿としては、無関心ではいられないテーマです。精神科が、どれだけ『少しはましな』存在になっているのか。元ケースワーカーとして、それを確かめたくて読んでみました。

この著者に関しては、科学者として評価もできるし、人間としても共感でもできます。しかし … それだけに、日本の精神障害者の生きる環境については、多くの問題が解決されないまま今日に至っていることが指摘されています。やるせない思いが募るばかりです。


<精神科の歴史>

まず、著者が科学者であることが、「お祓いをすると病状が良くなることがある。医療は結果が全てであって、特に治療法が確立していない病気の場合などは、原始的方法を当てにするのも無理はない」。「精神療法や催眠療法などは古代の祈祷師の治療法と共通点がある。「心の治療」には時代を超えた普遍性があることを物語っている」などの記述で示されます。

フランスのピネル(1745年生誕)が、「ビセトール収容所に収容されていた精神病者が鎖に繋がれているのを見て、病者の鎖を解き、拘束しないシステムへの変更を行った」ことは有名です。そして、クレペリンにより、脳精神医学を打ち立てられました。「クレペリンの学問は、多くの患者に会い、集めた資料で理論を組み立てる、臨床家的な方法」でした。しかし、「脳精神医学は、治療と言う点では成果を挙げることができずにいた」のです。

一方で、「心理主義精神医学は、民間の開業医によって作られていった」のです。フロイトの精神分析学の出発点には催眠がありました。「フロイトは脳精神医学者であったが、患者の症状をいかに治すかということに熱心になって、催眠研究に傾いていった」。そして、「催眠を通して「人間には無意識と言う世界がある」ということを発見する」。「心理主義は、ともかく治療法を考えようという立場で、実際に成果をあげた」。

「当時の精神分析療法は、ユダヤ人によって行われることが多かったが、彼らの多くがナチスドイツにより迫害されてアメリカに亡命したことから、アメリカで精神分析療法が盛んになった」という経緯があります。

しかし、薬物療法の登場によって、事態は変わります。「統合失調症にクロールプロマジン用いられ効果をあげた」。そして、「抗うつ剤、抗不安剤、睡眠薬などが開発された」のです。とは言え、薬物療法でも「治療法というのは病気の本質が分かってから作られるものより、経験的に有効性が見出されたものが多い」ことも事実です。

脳精神医学は、病気の機序を特定する水準には達していません。「病気のメカニズムも、経過も治療法も、いずれも満たしておらず、ただ症状のネーミングに過ぎない」のです。対人恐怖症、思春期妄想症、登校拒否症などの病名が何よりもそれを示しています。そこで、アメリカ精神医学会による『DSM-4』は、「話し合って、とりあえず症状だけで病名を作る」ことにしたのです。


<精神障害の治療>

各精神障害についての記述は、その障害の説明というより、治療法とその限界や問題点を整理したものになっています。

・統合失調症

「幻覚や妄想には今の薬はよく効くのに、エネルギー喪失や、自閉などには効かない」。「現在用いられている統合失調症の治療薬は、ドパミンの働きにブレーキをかける作用を持っている」「幻想・妄想はドパミンに働き過ぎによって生じる」。「自閉やエネルギー喪失こそ統合失調症の本質的な症状であり、幻覚・妄想はそれを補うために表面に出ている症状に過ぎない、という見方もある」という指摘は適切です。科学者としてのレベルは高いものがあるようです。

・うつ病

「うつ病は脳の感情中枢の病気」です。「うつ病の患者は他人にニコヤカに答えるのが習い性になっている人が多く、診察場面でも短時間なら憂鬱そうに見えないことがある」「うつ病の治療で最も重要なのが休養なのだ」は、臨床医らしい感想です。

「うつ病は大脳辺縁系の病気である」「ストレスをきっかけに生じることが多いのも、辺縁系障害ゆえである」。そして、「セロトニンが関係する機能は、どれもうつ病と関連しているようである」。しかし、「セトロニンが不足しているのか、行き過ぎているのかすら、ハッキリしない」病気なのです。

・不安障害

「不安は生きていく上で重要な心の動きである」。不安障害は『行き過ぎた不安』を症状とする病気です。ですから、この行き過ぎを是正するための行動療法が治療の中心になります。あせらず、ゆっくり、確実に『安心感』を得て、一つ一つ進んで行きます。そして、「内気な個性に素直になるというのが、内気さの悩みを克服する」近道です。

・心的外傷ストレス障害(PTSD)

「恐ろしい突発的な体験をした後に発症する」PTSDは、「時間が経過すると症状が軽くなるというものではない」。「ストレスの記憶が固着している病気」だそうです。そして、「PTSDの病態は明らかになっていない」。「PTSDは、うつ病やその他の不安障害と同時に生じていることが圧倒的に多い」と言います。

・摂食障害

「摂食障害は強迫が食べる行為に出たもの、という解釈が成り立つ」とか。「摂食障害の治療の第一歩は身体面のチェックである。食べないとすれば栄養面の問題が出てくる」「点滴による栄養補給や体液調整を行う」こともあるそうです。

「満たされない心」、「根深い心の問題が、ダイエットを起爆剤として爆発する」。根底には、「自分の心に寂しさと不安がある」としています。そして、「気質としてのストレス耐性の弱さ、に注目すべきだろう」とも指摘しています。

・自律神経失調症

「この病名はDSM-4の分類には存在しない」ものです。「身体の症状がいろいろあるが、異常は見つからない。しかし、症状は頑固に続く」「治療方針が立たない」。そして「たいていの場合、症状は悪化する」。「医者としては、何らかの診断をつけることで、その場を乗り切ろうとする」。そういう経緯で、自律神経失調症という診断がつけられる」のだそうだ。そして、「自律神経失調症という病名の最大の問題は、うつ病を見逃す可能性を拡大する点にある」と指摘しています。


<精神科の課題>

現在の我が国の精神科のレベルは全体として低いと言わざるを得ません。精神科病床数(入院している患者の数)は、「世界各国とも1980年頃から数を減らしている」のに対して、「全く減っていないのが日本」です。先進国では、ノーマライゼーション(障害者も通常の環境で共に生きる)の進展で、結果として、入院患者数は減少しています。

「欧米では、ボランティア団体、宗教団体などの、コミュニティ活動がしっかりしていて、障害者を支えやすい土壌がある。それを基盤として地域に施設を作り、行政もそこに予算を投入して福祉として、精神病院を退院した統合失調症患者を支えようとしたのだ」。

「1960年代から、福祉国家の充実と医療全体の底上げが国の基本方針であった。精神科に関して政府が考えたのは、入院医療の充実である。本来入院医療が提供されるべき精神障害者が市中にたくさん放置されているのは、とても一流国とは言えない。政府は精神病院をたくさん作る方針を固めた。問題は、それを民間病院に任せることにしたことである。つまり、精神病院を作ると利潤が出やすいようにした」。但し、「現在では、精神病院は儲けが出る商売とは言えない」。

「日本では、精神障害者の施設を作るとなると、地域住民の反対が強かったり、無関心だったりで、積極的な動きが取れなかった。そこで、精神病院が障害者の生活の場として残らざるを得なかった」。

<精神科医療の場>

・精神科病院

「我が国36万の精神科病床の内、95%は精神科病院のベットだ」。「入院患者の6割が統合失調症である」。

精神科病院には、著しいレベルの差があり、「人権に反した精神病院不祥事がいまだに発生している」のが現実です。その為に、病者の人権を守る精神保健福祉法が定められ、事細かく具体的な方法を規定しています。それが、現場の実情と不整合なためにさらに問題を起こしているのも、いつものようにお役人の仕業です。

そして、「社会復帰を目指す段階では、医者は主役ではない。看護婦、作業療法士、精神保健福祉士、臨床心理士など、多くの専門職種のチームプレイのもとに、作業療法、生活技能訓練、芸術療法といった技法が提供される」筈なのですが、多くの質の悪い医者と、倫理観の無い病院経営者が、治療を妨害します。

・総合病院

「精神科のベッドを持っている病院は2割強しか無い」「理由は、経済的に成り立たないこと」。「精神科の入院医療は、大半生活費であって、治療らしいことはやっていない」ことを理由に、「精神科の医療費は極端に低く設定されている」からです。

総合病院の精神科医は、「想い精神病状態、幻覚や妄想が激しい場合には、対応力が弱い」し、「統合失調症などの社会復帰を目手としたシステムは殆どない」。

・精神科クリニック

「外来だけであるから、重傷なケースには対応不可能である」が、「気楽にかかれる利点がある」。

「精神科クリニックはかかるコストの割には相対的に医療価格が高めに設定されている」ので、「精神科クリニックは非常な勢いで数を増やしている」。結果として、「精神科医の深刻な不足の中で、若い精神科医が気楽に開業する」「激務で、給料も安く、手を汚さねばならない場面も多いところを避け、きれいな場所に医者が流れている」。医者に使命観や倫理観を求めるのは、八百屋に行って秋刀魚を買おうというのに等しいですね。

・心療内科のクリニック

「心療内科は1997年から専門診療科の呼称として正式に認められた」「日本以外の国では心療内科なるものは存在しない」。「本来は「心身症」を専門に診る内科の一分野」「心身症は、心理的な要素が絡んで、はっきりとした身体の病気になっている、というもの」。「実際には、心療内科にかかっている患者の中で心身症の割合は非常に少ない」「心療内科が精神障害をきちんと診ることができれば何の問題も無いが、心療内科医は精神科の研修を必ずしもきちんと受けているとは限らない」。