「市場戦略論」 フィリップ・コトラー 2004年 ダイヤモンド社
フィリップ・コトラーはMITで経済学、ハーバード大学で数学、シカゴ大学で行動科学を修め、マーケティングの体系化を試みた人物です。
こういう大御所と言われる方の著作は、やっぱり味がありますね。デマゴーギーなドラッカーなんかとは深さが違います。やっぱりコトラーは学者ですね。
コトラーも、マーケティング効果と販売効果は違うと言っていますが、残念ながらそれぞれを明確に規定していません。では代わりに生禿が、明確に定義しておきましょう。“買い得る可能性を作る”のがマーケティング、“売る見込みを識別し、実現する”のが販売です。つまり、見込み客を得る方法を作り、顧客にアプローチする必要な資質を持った営業人員からなる体制を作ります。コトラーさん解りましたね。
撤退のマーケティング戦略に言及しているあたりが、流石コトラーさんです。「製品について年に一度の検討を実施する」さもなければ、「いずれも唐突に実施されるために、社内外の関係者たちに傷を残すことにもなりかねない」と指摘します。
また、今猿の賢い使い方も伝授しています。「倉庫には多くのモデルが在庫として埃をかぶったままである。評判のコンサルタントを招聘して功を奏するのはこのような場合である。コンサルタントは、僅かな優良製品から上がる利益が、あまりに過剰な過去の製品を継続するために浪費されていると指摘することだろう」。「コンサルタントを雇っているならば、計画を実現させるためにスケープゴートとして使うことができる」。
デ・マーケティング戦略についての記述にも含蓄があります。「顧客関係を損なうことなく、需要を全体的に、あるいは部分的に適正な供給水準まで減少させる方法を探らなければならない」。「需要超過となっている場合、彼らの姿勢はともすれば無関心あるいは傲慢になりかねない」。生禿もかつて、ナイキの仕事で経験しました。
「マーケティングとは、企業が直面する需要について、その水準と内容をコントロールするビジネス機能である」。学生時代には生禿も、マーケティングは『市場需給整合』だと認識していましたが、実務をやっていると『需要創造』に傾きます。
デ・マーケティングは、供給力不足の時にだけに必要なのではありません。日本の企業は、販売予測の能力不足故に品切れを起こすことは多いのです。むしろ低能なので、ヒット=品切れという図式が定着しています。ふ〜。さて、その時に、「現在の供給量を、誰にどれくらい、そしてどのように割り当てるか」も、マーケティングの仕事です。そして、「品不足が一過性ならば、需給バランスが回復した後、顧客が自社にどのような感情を抱くかを検討すべきである」は当然です。ナイキの時には、問屋さんに土下座して歩いていました。
生禿もそうですが、コトラーも商品のイノベーションを重視しています。そして、「商品のイノベーションやセグメンテーション、流通のイノベーションに重点を置くべき企業が、プロモーションに偏り過ぎている」「消費者への価値を向上しないまま展開されるきらびやかな広告キャンペーンほど空しいものは無い」と警告しています。
P&Gのように、マルチブランドの展開によって、参入障壁を築くことができます。「多くの銘柄を投入し、相互が競合している」状態をつくり、「結果的に流通の最前線に他社商品が入り込む余地は小さく、競争が起こり得ない状況が起こり得ない状況が作り出されている」。
コトラーは「需要がそれ自身の供給を生み出していると仮定する」のですが、生禿は逆です。むしろ、事実としては、『供給が需要を作り出している』のです。人々は、目の前に差し出さなければ欲しがりません。
コトラーは「あらゆる業種のあらゆる企業が差別化に苦労しています」と言います。それは差別化が足りないのではなく、お客様の商品に対する期待感と識別性の低下の為だと生禿は分析しています。ナオミ・クライン言うように、「ブランドはフォールス(見世物)である」と言う認識も一般化しています。一方で、ニュー・ラグジュアリー・グッズが支持されています。何に対する期待が増大しているのかを感じ取るのもマーケッターの役割でしょう。
「マーケティングは依然として、分析や意思決定の難しい分野の一つです。それは顧客が人間だからです。動的で、非線形で、遅延作用があり、しかも相互作用も起こる。とにかく難物です。だからといって、直観に任せてはなりません。そのためにもフレームワークを進化させていくことが求められているのです。そして、今がその時なのです」。
そう、今でしょう。
コメントありがとう御座います。
予定生産の場合は、乱暴に言えば供給が先ですよね。
受注生産の場合は、需要が先です。
予定生産の経済学は確立されていないということでしょう。