「考える短歌」 俵 万智 2004年 新潮新書

「サラダ記念日」で有名な俵万智さんの短歌の指南書です。ちょっと感覚は違ったのですが・・・、勉強にはなりました。

「短歌を作っていなかったら「あっ」と思うことがあっても、思いっぱなしで過ぎてしまうだろう。短歌を作っているからこそ、その「あっ」を見つめる時間が生まれる」という指摘はそのとおりです。生禿が写真と撮って俳句を作るのも同じです。写真も俳句も、どうしようもなく下手だけど。

印象に残ったものをいくつか挙げてみます。“→”は、修行のために生禿が、発句にしてみたものです。


ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雪 佐々木信綱

大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも 源 実朝

歩けばそこに5分足らずの銭湯のありて「極楽湯」と名を持てり 濱名鮎子
 → 我が家から徒歩五分にて極楽湯

二重窓閉ざして見下ろす街角にビル解体は無言に終わる 和田明江
 二重窓は遮音しますから、世界がサイレントに変わります。

諌山に干潟が昔あったって言うなよおとぎ話みたいに 濱名鮎子
 → 諫早に干潟があったとおとぎ話

たわむれに君の香水つけてみる一日君に寄りそうようで 竹原美幸
 → 春の宵 君の香水つけてみる

「手を繋ぎたくない」なんて言ったのは「好き」の気持ちが汗になるから 濱村 愛
 → 手を繋ぎ「好き」の気持ちが汗になる

板チョコのようなたんぼの真ん中でんと並んだ墓石ふたつ 一條智美
 → 板チョコの田圃に並んだ墓二つ

750CCの激しい吐息に耳済まし風に乗った環七通り 平田英子
 → 環七を二輪感覚風に乗る

加速して腺になるまで銀色の夏を逃げようクールドライブ 大村桃子
 → 加速して銀色の夏は線になる

かきあげる仕種がいいな黒髪を際立たせたる腕の白さか 木村順人
 → 黒髪をかき上げる細き手の白さ

カバンからジャンプがのぞいている君のまだ馴染まない「我社」があって 鈴木真未
 固有名詞は、普通名詞に比べて情報量が多い。が、固有名詞には、危険がつきまとう。

うすく濃く樹樹はみどりを競ふかな極相林の照葉樹林 伊藤一彦
 → 薄く濃くみどりを競う照葉樹

モジリアニの絵の中の女が語りかく秋について愛についてアンニュイについて 築地正子
 生禿の思い出の中にもそういう人がいましたっけ。

誰が墓ぞ赤い小さな風車寂しくひとりまわっている
 → 誰の墓 一人で回る風車

とどめなき遠さにひとは眠りゆく吾を腕(かいな)のうちに閉ざして 稲葉京子

サバンナの像のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 稲村 弘

<反省の色が見えない><反省の色はなにいろ>教師と少年 今井恵子
 → 反省の色は何色?教えてよ

マニュアルに<主婦にもできる>といたわられ<にも>の淵より主婦決起せよ 島田修三

最後の歌の言語感覚。生禿は大好きです。