後期の講義も、もう第十回。三分の二が終わろうとしています。

キャンパスの紅葉ももう終りに近づきつつあります。丸坊主になってしまった木も見かけます。

大学の薬草園には唐辛子?が北風に揺られています。辛そうですね。

教室の前の植え込みには、季節外れのテントウムシが寒さで動けなくなっていました?
講義の後に、2年前に生禿の講義を受講してくれた学生が訪ねてきました。卒業と就職の報告です。成績優秀な彼の卒業はもう確定し、就職先も希望した先に決まりました。嬉しいですね!一つの講義しか担当していない専門科目外の非常勤講師に挨拶に来てくれるなんて感激です。という訳で、キャンパス内のカフェテラスでお茶しました。
彼が薬剤師として選んだ進路は、保健所です。多くの薬剤師が憧れる大学病院の薬局でも合格するだろう彼が、生禿が「これからの日本人の健康を守るのは保健所だ」という言葉を受けての進路決定だったそうです。「研修で大学病院の薬局にも行ったけれど、言われたように、病院は健康を語れる場所では無い」「先生の言われるように、人々の生活の中に飛び込んで行く必要があると感じて保健所を選びました」。生禿の言葉に影響を受けたというより、彼自身の目で見て、肌で感じた上での進路決定だったのでしょう。それでも、飛び上がるほど嬉しい!教師冥利に尽きます。人を教え導く柄ではないけれど、有為の若者を、これからの社会が必要としている場所に送り出すことができるなんて望外の幸せです。
今の日本の保健行政に求められているのは、老人を寝たきりにしないこと。その為には、運動や食事の指導は完全無欠の無駄です。そうではなくて、『死ぬまで働く意志を持つ』ことと、『死ぬまで働かせるための環境と体制を作る』ことが大切なのです。
元気で働けば年金支給額が減ります。生禿もそうですが、年金を貰いながら年金を払う働き方をしていると(正規雇用で働いていると)、月額28万円を超える収入があると、超過した金額の半分に当る金額の年金が減額されます。それを嫌がる人も居ますが、多くの老人は、元気に働いて役に立ち、若者の負担を減らしていることに誇りを感じています。政府は、元気に働く老人を『褒め上げる』べきです。若者を助ける老人。良い時代を充実して生きた老人が、厳しい時代に生きる若者の重荷にならないようにとの頑張りを讃え支えるべきです。定年を撤廃する企業への支援などもその一つです。
保健所の役割は、老人が元気で働く職場への支援です。病院は病気になってから行くところで、健康とは何の関係も無い場所です。医者が健康について論じるのは“素人はスッコンデロ”の範疇です。また企業の健康相談室や医務室などで行う受身の施策では通用しません。生禿が授業で強調したのは、食堂や給食を通じての『生活に対する攻めの健康促進』です。まず、食事は体の健康の源であることは論を待ちません。そして、食事中の働く仲間との会話は心の健康に大きな影響力を持ちます。
バブル時代には自分のお金で美味しいものを食べるプチ贅沢を多くの人々が享受していました。ですが、給与水準が低い現在は、社員食堂が安くて美味しいことが、就業先の満足度を左右するほど大切なものになっています。そして、食事の時と場は、働く人々の健康を見つめ支える機会と場所を与えてくれてもいるのです。タニタの社員食堂など優れた事例が支持されているのは当然です。
保健所の管理栄養士が、健康に良い料理の講習をやるなんて、何の役にも立たない、お役人らしい言い訳のためだけのおざなりなことをやっている時代ではもうありません。社員食堂を運営している人々と連携して、体と心の健康を促進する仕掛けを食堂や休憩所に内蔵し、仕掛ける。ケータリングサービスを含めた従業者の『食べ物』と、人間関係を含めた『食べ方』を支援していくのです。
元気に働く老人を増やして、年金の支給額を減らして若年層の負担を軽減し、介護の負担を減らす。医療費を減らして前向きな保健に傾斜していく。試みるべき事はいくらでもあります。何か生禿が手伝うことがあったら何でも協力すると約して、授業に向かう彼と別れました。

いつものように川沿いの散歩です。野性を感じさせる荒れた風景も、気力が充満?した生禿には心地好いものに映ります。本当に、教え子と一緒に仕事ができたら幸せですネ。

青鷺君がいつもの場所に居ます。そうそう。青鷺君を撮ろうと望遠レンズを持ってきたんでしたっけ。

ゴミなども浮かぶ川べりですが、青鷺君にとっては、人の手の届かない快適な場所であるのかも知れませんね。

シャッターを押していたら、気配を感じて飛び立ちました。力強い羽ばたき披露してくれました。

川の堰の上には小鳥が止まっていました。雀の仲間なんでしょうか?

花咲く道を駅に向かい川越(埼玉県)に向かいます。
死ぬまで働いて、急に倒れて3ヶ月以内に死ぬ。愛する妻に、心からの寝たきり介護もして貰いたい気もするが、それも3ヶ月以上は御免だ。花は咲いたら散る。散り際の美しさが日本の美学。生禿も『死ぬまで元気に働いて美しく死にたい』と強く願っています。そのために、体も心も健やかにしなくっちゃね。自分の子供たちを含め、若い人の負担をできる限り軽くして、あっけなく惜しまれながら死ぬ。これからの生禿は、死ぬべく生きる美学を生きたいと思います。

この神社の商売っ気がお気に入りの川越の熊野神社です。熊野ですから八咫烏がシンボルの一つです。

商売っ気は衰えていないでしょうが、あっけらかんとした明るさというか、茶目っ気というか、そういうものが薄れてきているような気がしてなりません。社務所を見ると、宮司さんはご健在のようなのですが・・・。ご健闘をお祈りしたいと思います。 生禿も頑張りますから!(^^)!

キャンパスの紅葉ももう終りに近づきつつあります。丸坊主になってしまった木も見かけます。

大学の薬草園には唐辛子?が北風に揺られています。辛そうですね。

教室の前の植え込みには、季節外れのテントウムシが寒さで動けなくなっていました?
講義の後に、2年前に生禿の講義を受講してくれた学生が訪ねてきました。卒業と就職の報告です。成績優秀な彼の卒業はもう確定し、就職先も希望した先に決まりました。嬉しいですね!一つの講義しか担当していない専門科目外の非常勤講師に挨拶に来てくれるなんて感激です。という訳で、キャンパス内のカフェテラスでお茶しました。
彼が薬剤師として選んだ進路は、保健所です。多くの薬剤師が憧れる大学病院の薬局でも合格するだろう彼が、生禿が「これからの日本人の健康を守るのは保健所だ」という言葉を受けての進路決定だったそうです。「研修で大学病院の薬局にも行ったけれど、言われたように、病院は健康を語れる場所では無い」「先生の言われるように、人々の生活の中に飛び込んで行く必要があると感じて保健所を選びました」。生禿の言葉に影響を受けたというより、彼自身の目で見て、肌で感じた上での進路決定だったのでしょう。それでも、飛び上がるほど嬉しい!教師冥利に尽きます。人を教え導く柄ではないけれど、有為の若者を、これからの社会が必要としている場所に送り出すことができるなんて望外の幸せです。
今の日本の保健行政に求められているのは、老人を寝たきりにしないこと。その為には、運動や食事の指導は完全無欠の無駄です。そうではなくて、『死ぬまで働く意志を持つ』ことと、『死ぬまで働かせるための環境と体制を作る』ことが大切なのです。
元気で働けば年金支給額が減ります。生禿もそうですが、年金を貰いながら年金を払う働き方をしていると(正規雇用で働いていると)、月額28万円を超える収入があると、超過した金額の半分に当る金額の年金が減額されます。それを嫌がる人も居ますが、多くの老人は、元気に働いて役に立ち、若者の負担を減らしていることに誇りを感じています。政府は、元気に働く老人を『褒め上げる』べきです。若者を助ける老人。良い時代を充実して生きた老人が、厳しい時代に生きる若者の重荷にならないようにとの頑張りを讃え支えるべきです。定年を撤廃する企業への支援などもその一つです。
保健所の役割は、老人が元気で働く職場への支援です。病院は病気になってから行くところで、健康とは何の関係も無い場所です。医者が健康について論じるのは“素人はスッコンデロ”の範疇です。また企業の健康相談室や医務室などで行う受身の施策では通用しません。生禿が授業で強調したのは、食堂や給食を通じての『生活に対する攻めの健康促進』です。まず、食事は体の健康の源であることは論を待ちません。そして、食事中の働く仲間との会話は心の健康に大きな影響力を持ちます。
バブル時代には自分のお金で美味しいものを食べるプチ贅沢を多くの人々が享受していました。ですが、給与水準が低い現在は、社員食堂が安くて美味しいことが、就業先の満足度を左右するほど大切なものになっています。そして、食事の時と場は、働く人々の健康を見つめ支える機会と場所を与えてくれてもいるのです。タニタの社員食堂など優れた事例が支持されているのは当然です。
保健所の管理栄養士が、健康に良い料理の講習をやるなんて、何の役にも立たない、お役人らしい言い訳のためだけのおざなりなことをやっている時代ではもうありません。社員食堂を運営している人々と連携して、体と心の健康を促進する仕掛けを食堂や休憩所に内蔵し、仕掛ける。ケータリングサービスを含めた従業者の『食べ物』と、人間関係を含めた『食べ方』を支援していくのです。
元気に働く老人を増やして、年金の支給額を減らして若年層の負担を軽減し、介護の負担を減らす。医療費を減らして前向きな保健に傾斜していく。試みるべき事はいくらでもあります。何か生禿が手伝うことがあったら何でも協力すると約して、授業に向かう彼と別れました。


いつものように川沿いの散歩です。野性を感じさせる荒れた風景も、気力が充満?した生禿には心地好いものに映ります。本当に、教え子と一緒に仕事ができたら幸せですネ。


青鷺君がいつもの場所に居ます。そうそう。青鷺君を撮ろうと望遠レンズを持ってきたんでしたっけ。

ゴミなども浮かぶ川べりですが、青鷺君にとっては、人の手の届かない快適な場所であるのかも知れませんね。

シャッターを押していたら、気配を感じて飛び立ちました。力強い羽ばたき披露してくれました。

川の堰の上には小鳥が止まっていました。雀の仲間なんでしょうか?


花咲く道を駅に向かい川越(埼玉県)に向かいます。
死ぬまで働いて、急に倒れて3ヶ月以内に死ぬ。愛する妻に、心からの寝たきり介護もして貰いたい気もするが、それも3ヶ月以上は御免だ。花は咲いたら散る。散り際の美しさが日本の美学。生禿も『死ぬまで元気に働いて美しく死にたい』と強く願っています。そのために、体も心も健やかにしなくっちゃね。自分の子供たちを含め、若い人の負担をできる限り軽くして、あっけなく惜しまれながら死ぬ。これからの生禿は、死ぬべく生きる美学を生きたいと思います。


この神社の商売っ気がお気に入りの川越の熊野神社です。熊野ですから八咫烏がシンボルの一つです。

商売っ気は衰えていないでしょうが、あっけらかんとした明るさというか、茶目っ気というか、そういうものが薄れてきているような気がしてなりません。社務所を見ると、宮司さんはご健在のようなのですが・・・。ご健闘をお祈りしたいと思います。 生禿も頑張りますから!(^^)!