今、日本中の大学は、オンライン講義の準備で大わらわ。生禿の教える大学でも勿論そうだ。そこで提案。折角やるのだから、講義を公開したらどうだろう。暇を持て余している人々が、立派な教養を身につけ、死ぬまで楽しめる趣味を見つける絶好のチャンスだ。コロナヒステリーで転んでも、タダ起きないのがマーケッターというのものだ。「ピンチこそチャンスと思え!」である。

例えば、俳句。既に結社に属している俳人たちは、スマホのアプリを利用してオンライン句会をやっている。コロナヒステリーさえなければ、スカイプなど使うことなど無かった小父さんやお婆さんが、マルチ画面のテレビ会議システムを使いこなしている。句会の参加費は安くはない。けれどオンラインなら半額で参加できる(俳句の先生も食べていかなきゃいけないので半額ぐらいは取らざるを得ない)。
ヒステリーが去り、通常に句会が開けるようになった時、折角身に付けたオンラインのノウハウを捨ててしまうのはもったいない。オンライン専用の会員を募って、廉価で気軽に参加できる仕組を作れば、俳句人口は更に増える。また、大きな結社では、地域別の句会を開いている。地域で割り振られるので師範は選べない。句風の合わない師範についたら散々だ。でもオンラインなら、自分の目指す句作りに近い師範を選べる。オンラインで裾野を広げ、楽しみ方を深める工夫ができる。
勿論、本当の楽しみは気の合った者同士が集まる句会だ。だからこそオンラインが機能する。ネットは気の合う=句の合う仲間を見つけ易い。そしてオンライン句会をやっていれば、絶対に会いたくなる。そこで吟行が企画され、皆で集まって楽しい旅をする。充実した時間が過ごせる。オンラインは人を出会わせ、集う機会を広げてくれる。
生禿が最も期待しているのは、物理のオンライン講座。今までは、配信環境やコンテンツが整備されていなかったが、コロナヒステリーのお陰?で一気に揃う。コンテンツは一度収録してしまえば何度でも使える。受講料は格安に設定できる。オンライン講義で動画慣れした名物講師のコンテンツは多くの人々を惹きつけるだろう。そして、大学の良さを知ってもらう良い機会にもなる。オンラインに飽き足らなくなった受講生は、大学へ通って面接指導を受け、仲間と議論して、学びを深める。
理論物理は虐げられていて?カルチャーセンターに納得できる講座は無く、聴講したい大学は、理論物理の履修を認めていない。結局、放送大学しかない、というのが現状。放送大学が悪いと言っているのではない。毎日、楽しく勉強させてもらっている。感謝している。でも、選択肢がなさすぎるし、入学しようとすると、正式な大学だから高い。最高の遊びだが、「学び」の支出は貧乏人には辛い。
通信大学に入学するのではなく、好きな講座を聴講する。単位など要らないが、学びの指導を受けるために、試験は受ける … 。学びの選択肢は多様であって欲しい。入学金は低く抑え、1講座幾らの単価を設定する。入学金を払えば、図書館などが無料で利用できる。同学の仲間と集うことができる。講座の単価は、面接指導の有無や単位の取得などでランクを付ける。学びたい事と学び方広げ、多くの人々に学びの機会を提供すること。日本が、豊かな文化を育む国として、人々を幸せにしたいなら真剣に取り組むべきだ。
オンラインの講座や集会は、学びと遊びの手軽な入口になる。これからの世の中は経済格差の社会だが、知性や感性に格差は無い。人生を楽しむための、学びと遊びは誰に対してもいつでも広く開かれていなければならない。下品な金持ちよりも、気品に満ちた生き方ができる。そして、それがこれからの生き方なんだと固く信じる生禿ではあります。
され、コロナヒステリーがちょっと落ち着いたら、大学に働きかけてオンライン講義の実現にむけて努力をしてみよう!