以前から訪ねたいと思っていた保渡田古墳群。やっと行ってきました。女房と一緒に。
古墳時代前期(4世紀)まず、東海地方を起源とする前方後方墳が造られました。続いて、大和を起源とする前方後円墳築かれています。土器で見ると、群馬県独自のもの、次に東海西部の流れをひくものが定着し、やがて大和の力が及んだと考えられるそうです。現在の天皇家を形成した大和朝廷以前にも、中国大陸から、朝鮮半島から、皆殺し遺伝子を発言させた弥生人達が押し寄せて、皆殺し合いを行っていたようです。
八幡塚古墳。当時は東日本有数の古墳で、6000本以上の円筒埴輪が立つ重厚な古墳だったといいます。なにしろ埴輪群像が可愛い。何故か生禿は、弥生人は嫌い(日本国民の大部分がご先祖様を皆殺しにした敵ですからし方ありません)なのですが、埴輪だけは好きなんです。
西には浅間山。手前に二子山古墳。その麓に、古墳時代の水田跡があります。東には三井寺遺跡と古墳時代の集落跡があります
さて正午も過ぎ、お腹が空いたので公園内の土屋文明文学館の二階にあるレストランへ。高崎の駅前でなにか食べようかと思っていたのですが、バスへの乗り継ぎで時間がなく、調べた限り「一軒きりの観光地のレストラン」という危険な選択になってしまったのです。
デザートも美味しかったのですが、なんと言っても凄かったのが、珈琲への拘り。沢山の種類があって、どれも飲んでみたくて、選ぶのに苦労しました。私が選んだのは、「コスタリカ セントタラス ガンボア農園」。「上品で良い香り」の説明通りの味と香り。堪能しました。考古学に興味のある方は(という人はもう訪れているでしょうから、そうでない方も)是非是非、保渡田古墳群を訪れて、古墳群を見ながらここで珈琲を味わって下さい。最高の一時をお約束します。
放送大学の講座「考古学」で、この古墳群の発掘-復元-展示が取り上げられていた理由が、現地を見て腑に落ちました。仏像などでも、作った当時の「キンキラ」に復元したものを嫌う愛好家は少なくありません。そういう人たちは、「当時の人たちが、何を思って作らせ、それを見た人たちが何を感じたのか」という考古学としての知見には全く関心がなく、ただ古ぼけた=「古いというだけの価値」をありがたがっているだけの知性も感性も貧弱な哀れな人たちなのです。
この古墳群を発掘-修復/再現-展示するにあたって、復元して当時の人々と同じ「すげ〜」を感じさせる古墳と、保存するための修復に止めた古墳の両方を見せています。お見事!女房とそこのところの感動を共有しました。考古学に関わる人が、絶対に訪れるべき場所である理由を理解しました。
かみつけの里博物館。解説が適切で、この古墳群を担当した学芸員の水準の高さに感心しました。
これは生禿の勝手な妄想なのですが、(エジプトのピラミッドでもそうですが)多くの人々は古墳作りに一方的に駆り出されたというのではないような気がします。勿論、強制だったに違いはないのですが、この苦役に参加することで、田圃を一枚与えられたとか、そういう報酬があったのではないかと想像しています(そのためにあんなに田圃が小さかったのではないかとも妄想しています)。そうやって、権力に対する服従心を植え付けていく。アメとムチです。服従が浸透すると、そのような「装置」は必要なくなる。そうやって大和朝廷が完成していったのではないかという訳です。