仕事では何度か行っていた長野。「善光寺は駅前のこの通りを真っ直ぐですよ」って教わっていたのですが、行く機会に恵まれませんでした。女房が行きたいのというので、訪ねることにしました。
仏足跡(仏足石)は、古代インドで仏像が作られる前、釈迦を表す象徴として礼拝の対象とされていました。
善光寺は、本田善行が、仏教反対派が打ち捨てた、所謂「善光寺様式」の仏像を拾って安置したのが始まりという伝説が残ります。日本の仏教が宗派に分かれる前からのお寺なおで、無宗派。強いて言えば、善光寺信仰です。大和朝廷が仏教を使って統一国家を目指した時に、大和の古寺と同格(以上)の歴史を持つ寺を必要としたほどに、信州は重要拠点だったのです。
旧石器時代は黒曜石の産地として、交易の要衝として栄え続けたのが信州です。信州を治めた王は、朝鮮からきたどこの馬の骨とも知れぬ流れ者=天皇とは格の違う名門だったのです。今は見る影もありませんが … 。
善光寺の内陣を回ってきました。ここを潜らないと善光寺に参ったとは言えない、と女房。真っ暗な産道を通って生まれ変わる … なんてことはありませんが。
芭蕉の「月影や四門四宗も只一つ」(大本願(本願寺系)の境内にある句碑)も仏法は四門四宗に分かれても帰するところは一つであると解釈されています。
見たい方はインターホンでというので、連絡すると先ほどのお坊さんが対応してくれました。
公開時間が過ぎていて、砂曼荼羅を見ることができませんでした。女房がとっても残念がっていました。
チベット難民への義援金。ちょっとだけど入れました。中国共産党の残虐非道な行いは、止まりません。皆殺し遺伝子を持つホモサピエンスとは、元々そういう種なのですから致し方ありません、絶滅を待つ以外に方法はなさそうです。
長野駅に戻って、駅前のホテルにチェックイン。食事をしようと外に出ると雨です。一日中スッキリしない天候でしたが、遂に降ってきました。という訳で、食事はホテルの建物の地下で済ませました。コンセプトは、「牛に引かれて善光寺参り」に因んで「牛を食べる」。信州牛をサイコロで頂きました。