団地丘陵を歩いていて目につくもの。もちろん初夏の華やかな花々も良いのですが、枯れゆくものども、新しい命を感じるものにも惹かれます。

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 薬学部で教えている私は、800万人の命を救ってノーベル賞をとるなんていう薄っぺらな人生を教え子たちに送って欲しくありません。もっと大きな視座で考え、自らの人生を生きて欲しいのです。

 最近の勉強の成果をまとめてみました。人生の終わりに、以下のような流れの論文をきちんとまとめようと考えています。それができれば嬉しい限りです。


《はじめに》

 高校時代に「地球上の全ての人間が王様の生活をする」世界を目指して広告業界を目指しました。「幸せ」という定義不能なものを、個人が自分の意思で「幸せ」になる十全な機会を与えられた環境として捉えたのです。その生活基盤の具体として「王様の生活」を選びました。「王様の生活」の中で、自らの意思で「幸せ」になる。幸せは与えられるものえはなく、自らが望み取るもの。しかし、その基盤が充分でなければ、「し方なしの幸せ」に留まってしまう、ということです。

 王様の生活は、優れた技能を持ち、王様の時間と空間に従属する人々(役務者)によって支えられています。全ての人々が王様の生活を実現するには、役務者を時間と空間の従属性から解放し、全ての人々にその役務の産出を享受させなければなりません。その方法は、1)役務の産出を物化(製品化)する、2)役務を手順化して通信網上に置き、通信網に繋がった自動機械により役務を提供する、の二つです。

 こうして当時既に注目を集めていた通信網とニューラル・コンピュータに関心を持ったのです。当時のニュラル・コンピュータは、ノイマン型ではなく、神経回路をシミュレーションするものでした。但し、それは実装には程遠いものでした。

 上記の通信網と人工知能は、人々を幸せにすることも不幸にすることもできる、ということに気づいたのは社会人になってからです。知能を持つ通信網は、人々を監視し支配することすらできます。中央集権型ではなく民主分散型の知能=通信網を全ての人々の意思で動かす仕組みはどうやったらできるのか。そもそも人間はそのようなことが可能な資質を持つものなのか。半世紀の時の流れの中で、この問の答を求めてきました。

 結論は未だ出ていません。しかし、コロナヒステリーにより未来の不確実性が高まっている人類の未来について、時間論と進化論に基づいて考察しました。

 そのために参考となる主な文献を以下に記します。尚、本文の(*)の番号は以下の文献番号を示しています。

1)「時間の歴史」渡辺彗
2)「進化とは何か」今西錦司
3)「散逸構造」I・ブリゴジーヌ
4)「ビッグバンは無かった」E・J・ラーナー
5)「宇宙は自ら進化した」L・スモーリン
6)「脳と時間」D・ブオノマーノ
7)「量子と情報」小澤正直
8)「新しい霊長類学」京都大学霊長類研究所
9)「縄文の生活誌」岡村道雄
10)「縄文時代の歴史」山田康弘
11)「量子もつれとは何か」古澤明

《科学の現状》

 まず、科学の現状について概観しておきます。

 アインシュタインの相対論。アラン・アスペの実験により、量子もつれ状態(エンタングルメント)では、光速より速く情報が伝わることがで実証されています(*4・11)。相対論の根本をなす光速不変の原理は否定されました。「光速不変の原理」という言葉を使わない物理学者が増えています。

 量子力学の根源であるハイゼンベルクの不確定性原理。重力波の測定によって不確定性原理は間違っていることが実証され、小澤の不等式によって数理として間違っていることが証明されました(*7)。現在では、小澤の不等式が用いられ、それは「不確定性関係」と言われるようになりました。

 相対論と量子論。この両者が間違っているということは、現代の物理学が信頼できないことを意味します。では何故、大学などでは未だにこの間違いった理論を教え続けているのでしょう。まず、正しいと思われる理論=権威者たちの業績を否定する理論が、学会で公認され、正しい理論が認められるには時間がかかる、つまり、論文の審査をしたり学会を支配している年寄りたちが死ぬまでは、正しい理論は日の目を見ないからです。さらに言えば、新しい理論は、反主流に属するために研究者が少なく、論理体系が完成されていないという事情があります。

 不確定性関係で言う測定の擾乱は、古典物理学でも存在します。温度計を液体の中に入れて液体の温度を測定すれば、液体の温度は温度計によって変化してしまう。古典論でも測定上の擾乱はつきまいますが、「無視しても問題ない」としているだけです。

 また、古典力学でも、振動している粒子の位置は不確定です。「瞬間」の位置とは、要は静止している位置です。その運動量は計測できる筈がありません。運動量を測定しようとすれば、位置が測れないのは当たり前。古典力学でも不確定性関係は成立しています。面積の無い点(粒子)などという仮定を物理に持ち込んだのが問題の根源です。

 根本の問題は、位置とか運動量は実在する物理量ではないということでしょう(熱と同じです)。人間の認知は、認知する対象と同時に、人間の認知機構によっても決定されてしまいます。その限界を超えるのは、人工知能です。

 理論物理学は袋小路に嵌まり込んでいますが、実験物理学は健全性を保っています。人間が量子論を理解するならば、それは量子コンピュータを通してだと考えられます。機械が正常に作動して役に立つかどうかには、理屈は不要です。役に立つ量子コンピュータのモデルが、量子論の道標になってくれると期待しています。

 人間は宇宙の成り立ちや生命の起源について「知りたがる」獣です。人間は全てを説明しなければ気が済まない獣のようです。間違っていても、納得しやすい「完成された筋書き」を持っていれば、カトリックの神父が唱えた「ビッグバン妄想」を信仰する傾向があります。このような人間の性を超えて、科学の事実のみを見据えて、人類の未来を想い描き、その中で自分の人生を位置づける。そういう作業をしなければならないのです。

 「真理を追求しよう。そして真理を捉えたと思ったとき、それを信じてはならない」という有名な言葉があります。智者は、知らないということを知り、解らないことに耐えることができる人のことです。

《時間:非実在=無限》

 宇宙と生命の進化を考える基盤となるのが時間と空間の定義です。

 この宇宙に時間は実在しません。時計は、セシウム原子の放射周期のように、周期的に運動(変化)する物体の周期を計測するものです。時間は生命体によって認知されます。例えば、人間は、音が届いた両耳間の時間差を10マイクロ秒で、視覚信号に基づいて視交叉上核が一日の日照周期を時間を捉えています。この時間認知が「時間」の実態です(*1・6)。

 空間は、おそらく(自信はありませんが)物体が運動する場です。場にはエネルギーがあります。エネルギーの起源は何か、どうやってどうやってエネルギーが物質になりこの宇宙を形成したのか(実験でエネルギーを物質に変換することはできますが)。エネルギー保存の法則はたぶん成立しているので … 宇宙は普遍なエネルギーということなんでしょうが … 結局、宇宙の成り立ちは謎だらけです。

《宇宙の成り立ち》

 宇宙の成り立ちを以下のように仮定することから始めましょう。まず、宇宙には始まりも終わりもありません。時間は実在せず、現象論としては無限です(*1・5・6)。熱力学の第二法則は、粒子の衝突のみを扱っており、それ以外の作用を含めれば、エントロピーは増大し続け、宇宙はやがて熱的死を迎えるなどということはありません。むしろ、超長期で見れば、エネルギー循環は増大し続け、エントロピーは減少していきます(*3)。

 宇宙は無限であるという立場に立ち、ブリゴジーヌの熱力学第二法則の解釈を認めれば、ホモ・サピエンスは早急に絶滅しなければならない存在ということになります。地球の生態系は、エネルギーの循環を増大させるように進化してきました。そのためには、生態系の多様性が増加する必要があります。ところが、ホモ・サピエンスは、人間の自分勝手な都合で自然を作り変え、生態系を破壊しています。エントロピーは増大しています。結果として、地球は寒冷化し、人類だけでなく多くの種の絶滅を招きます。

 例えば、人間の体が発生させる単位面積あたりのエネルギー量は、太陽の中心が生み出す単位面積あたりのエネルギー量の60倍です。太陽のエネルギーが大きいのは、大きさが大きいからで、エネルギー効率かラ言えば、人体の方が高エネルギー物質なのです。宇宙そして地球はこのように、超長期で見れば、エネルギー循環最大化に向かっています(*3・4・5)。

 現在、大騒ぎしている「二酸化炭素排出量の増大による地球温暖化」は、歴史上は微視的な問題であって、巨視的な観点からは、生態系の多様性が減少することによるエネルギー循環の減少が問題なのです。二酸化炭素の排出による地球温暖化防止などは、人間が人間だけの生存を考えた身勝手な問題設定です。

《人類の未来 〜 三つの選択肢》

 人類はどうするべきなのでしょうか?大きく分けて選択肢は三つあると考えられています。

 人間による生態系の最大の破壊は、農耕です。森林を伐採し焼き払い、単一植物を栽培する農耕は、生態系の多様性を失わせる最大の要因です。化石燃料の燃焼などとは比較にならない大きな影響を生態系に与えました。前述の様に、地球のエントロピーを減少させる種は、数万年というごく短い期間に絶滅します。これにどう対応するかが根本の問題です。

 栽培と農耕の違いは、田畑を作りその土地の所有権を設定したら耕作。農耕は究極の縄張りです。人口が増え、食料が不足すれば、隣の田畑を奪う。その際に、人間は必要ないので、美しい女性は強姦し、それ以外は皆殺しにする。民族が何度も入れ替わった地域は、美男美女が多いのはそのため。男と不美人はなぶり殺しにされたからです。

 一つ目の解決策は、宇宙の他の星への移住です。宇宙の植民地を開拓するために核融合エネルギーを制御する技術を開発します(*4)。この立場を採るならば、感情論で言えば、映画「インデペンデス・デイ」に描かれた宇宙人のような「極悪非道なホモ・サピエンスは、地球の資源を食い尽くしたら、他の星に移住(植民)する … そういうゴキブリ以下の存在」ということになります。ですが、科学技術の可能性を信仰する人々にとっては、最も現実的なものとなるでしょう。

 二つ目の解決策は、「成り行きに任せる」です。ちょっとした温暖化を経て、やがて地球は寒冷化していきます。超長期としては、地球が寒冷化しているのは実証されています。人間は科学技術を駆使して、快適な生存に努力しますが、地球上の動植物は寒さのために減少し、食糧不足が深刻化し、多くの種が絶滅し、人類も絶滅します。そして、地球は新たな生態系が発達する時代を迎えます。最もありそうなシナリオがこれです。現在でも既に地球は増え続ける人口を支えることができず、飢餓による大量の死亡者を出しています。多くの食べ物を無題に廃棄している先進国の人々が、「生存の限界」に気づくのは世界が飢えに喘ぐ差し迫った状況になってからでしょう。その時はもう手遅れです。

 三つ目の解決策は、ホモ・サピエンスの絶滅と新たな人類の進化。そして狩猟採集生活への回帰です。ヒトとチンパンジー・ボノボが共通の祖先から分岐したのが、540万年前。チンパンジーとボノボが分れたたのが250万年前とされています。チンパンジーは皆殺し遺伝子を持ち、ボノボは友愛遺伝子を持っています(「友愛遺伝子」は私が勝手に名付けたもので学術用語ではありません)。つまり、ホモ・サピエンスは、皆殺しと友愛の両方の遺伝子を持っていると考えられます。そして、皆殺し遺伝子はY染色体上に、友愛遺伝子はX染色体上にあると推定されます。

 縄張りを雄が守り雌は他所からやってくる男系社会の猿(チンパンジー)は、皆殺し遺伝子が発現しています。チンパンジーは、狙った縄張りの雄を一匹一匹誘い出して集団で嬲り殺しにします。正々堂々と戦ったりしません。大和朝廷が派遣した坂上田村丸がアラハバキの民を皆殺しにしたのと同じやり方です。新モンゴロイド主体の弥生人〜大和人は、卑怯で残忍な殺し屋です。縄張りを雌が守り雄は他所からやってくる母系社会の猿(ボノボ)は、縄張り争いは一応あるのですが、すぐ仲直りして、一緒に食事をしたりします(*2・8)。

 古モンゴロイドを主体とする縄文人の婚姻は、男性が女性のいる集落に入る母系の制度だったようです(*10)。三内丸山遺跡は、寒冷化を迎えて、「突然」人々が集落を離れて分散しました。三内丸山の資料館の出口は、集落を出て行く縄文人の後ろ姿になっているのが印象的ですね。縄文人は、様々な植物の栽培技術を持っていたことが実証されています(*9)。ですが農耕はしなかった。母系社会を生きる=皆殺し遺伝子が発現していない人々は、農耕=土地所有という強固な縄張りを形成して、人口増加⇒食糧確保⇒耕地奪取による皆殺し遺伝子の発現を回避したのだと想定しています(これは、私の勝手な想定=妄想です。ですが、あれだけ繁栄した三内丸山から平和裡に、そして忽然と姿を消して、分散していった理由としては充分にあり得る妄想と思われます)。

 縄文時代中期、地球が最も穏やかに温暖だった時代の日本列島の推定人口は24万人。地球上で、狩猟採集民として最も長く栄えたのが縄文人だったと言われています。その人口は、現在の日本列島の人口の約1/500。この事実は、人類が生態系の破壊をしない=農耕を放棄するには、人口を激減させなけれればならないことを示しています。今すぐ殆どの日本国民を殺せと言っているのではありません。千年ぐらいかけて日本列島の人口を100万人以下にするにはどうしたら良いか。その生活が豊かで人々が幸せであるためには、どんな社会の制度と機構を構築しなければならないのかを、超長期で考える必要があると言っているのです。

《第三の選択肢 = 希望》

 農耕を止め、コンクリートやアスファルトの構造物を廃棄します。車は使わず、ジャイロスコープやヘリコプターを使うことになると思われます。それが世界遺産であろうとも。それは、皆殺し遺伝子の遺産でもあります。人口を1/100以下のするには、時間をかけます。無理なくゆっくりのんびりと。新モンゴロイドのように効率は求めません。ここで言う超長期は少なくとも千年、1万年の時の流れを想定しています。農耕を止めて狩猟採集+栽培により食糧を確保にする。それが具体としてどんな生活になるのか?百年単位で知恵を蓄積し、千年以上のシュミレーションを行って、間違わないように考えながら進んでいきます。

 人口の規模と密度が一定水準以上でないと農耕は成立しません。中近東で農耕が始まったとき、都市への人口の集中が契機となりました。森林を伐採して田畑を作っても、森林の復元力を抑えて田畑を維持するには、大きな労働力を必要とします。アマゾンの原生林で農業をやる人は、「森が攻めてくる」と表現します。縄文時代の人口密度は農耕が成立する以下だったと考えられています。

 人口を1/100以下に減少させ、かつ、生態系の多様性を維持した上で、安定した収量を確保するには、今までと次元の異なる技術が必要です。狩猟採集+穀物(主食)生産を想定するなら、ロボットにより狩猟採集を行うと同時に、人工知能により農業を工場化することが想定されます。

 人類による生態系への損傷が無くなった結果として何が起きるかも考えておかねばなりません。例えば、ティラノサウルスのようなものが跋扈する世界になったら、どう暮らすのか?人類がのさばらなくなったその空白を、どのような生物がどのように埋めるのか?それを見定め、地球の生態系を進化させる方向で対応しなければならないのです。

《遺伝子への挑戦》

 皆殺し遺伝子はY染色体上にあります。Y染色体は短くなり続けています。現在でも、アクロバティックな方法でX染色体と長さ合わせをして対になっています。やがてY染色体は消滅する、という説を唱える研究者もいます。つまり、Y染色体上にある皆殺し遺伝子も消滅するというのです。そうでなくても、Y染色体は不安定で、人類の進化の多くをY染色体が担っていると考えられた時代すらありました。Y染色体はウィルスに感染して、変異しやすいことも実証されています。地球温暖化でシベリアの永久凍土が溶け、ホモ・サピエンス誕生前のウィルスが地球上に次々に復活し、今まで以上に人類の進化に影響を与えることも充分に考えられます。

 ウィルスは、生命誕生以前に既に存在した物質であるという説もあります。ある科学物質(原子スープ)に雷が当たると、有機化合物ができることがあります。そしてその化合物は螺旋形となる確率が高いのです(*4)。そして、ウィルスがRNAとDNAの原型となり、様々な生物の遺伝情報を運んだり交換したりするのではないか、と考える研究者もいます。少なくとも、ウィルスは有害物質などではなく、生命を生命たらしめた物質の一つ、突然変異の主役であると考えられています。そして、現在の地球は様々なウィルスが世界中で活発に作用する環境が整った社会となっています。突然変異が起こりやすい環境なのです。

 私が考える人類の明るい未来は、ウィルスによって、皆殺し遺伝子が消滅或いは発現しなくなったホモ・サピエンスの亜種が誕生するというものです。亜種までいかなくとも、縄文人がそうであったように、皆殺し遺伝子が無効化された人々が大勢を占めるようになれば、人類は地球の生態系を健全な状態に発展させることができます。 … ですが残念ながら、そのような単純な筋書きを描くとはできません。

 皆残し遺伝子は、縄張り争いとは別の側面も持ちます。それ自体なのか近接し相関する遺伝子によるものなのかは別にして、所謂「創造性」の発現は、皆殺し遺伝子と同期するということです(本来の創造性は、X染色体上にあると私は妄想していますが)。つまり、私の言う友愛遺伝子優位の人類が誕生したとしても、彼らが高度な文明を維持発展させるということは不可能です(地球を自分勝手に作り変えないということです)。友愛のボノボは平和ですが、のんびりと発展性のない生活を続けています。

《人工知能とホボ・サピエンス》

 そこで登場するのが人工知能(量子コンピュータ)です。人間は、自らの能力を超える道具を作り出してきました。人間より非力なパワーショベルなんて無価値です。人間より知能の低い人工知能など異常です。人間より賢くよく働く、そういうロボットに労働してもらう。そういう社会を実現します。人間は、人間(生命)にしかできないこと=恋をし子を産み育て、遊んで暮らすのです。そういう社会の建設を推し進める。これは、人類の超長期を展望していない人々にも支持されることと思います。

 人工知能は、現在の科学の袋小路状態も打破してくれます。量子論は、人間の認知の方式に反する法則に支配されていると考えられます(*6・7)。人間の感覚で理解できなくとも、人間はそれを感知する機械を作ることはできます。人工知能によって研究され開発される新たな道具は、地球の生態系を進化させる方向に人類を導くと同時に、人類が安楽に暮らせる道具も作り出してくれると期待しています。

 小澤の不等式に表現される量子の不確定性=状態の重ね合わせは、位置や速度などといったものでしかこの世界の現象を捉えられない人間の認知機構の限界を表していると解釈されます。この人間の認知という壁を越え、所謂創造性を無くしたやる気の無い(?)人類の文明を支えるのがロボットです。そして、人類は、人工知能から、この宇宙の成り立たせている科学を教わるのです。このような社会をロボットに支配された世界と考える人もいるでしょう。ですが、私はそうは思いません。「人工知能を通じて物事を認識している」と言えば穏当でしょうか。「眼球を通して世界を見ている」のだって、ありのままの世界を見ているのではないということなんですから同じです。当に「色即是空」。この宇宙に、我々が見ている色など実在しないのですから。

 以上をまとめると、以下のようになります。人類は、人工知能〜ロボットが生産を担い得る世界を作ります、一方で、ウィルス性の突然変異によって、少なくとも皆殺し遺伝子が発現しない亜種(仮にホボ・サピエンス(ホボ)と呼称します)が誕生すると期待されます。地球の寒冷化によって、ホモ・サピエンスの人口は減少しますが、ホボはむしろそれを歓迎し、地球環境の健全化に努めます。そしてホボは、地球生態系を破壊しながらも、人工知能〜ロボットを作り上げたホモ・サピエンスの功績に感謝して、人工知能内蔵のロボットを「ホモ」と読んで大切にします(天然の理に逆らうホモ・サピエンスは、次第に数を減らし、数千年後には完全に絶滅することを希望します)。そしてホボは、生命にしかできないこと、恋をして遊び暮らす、命の本の姿を体現するのです。

 超長期でものを考えられない人々に対しては、人工知能による豊かな社会、「女の平和」を実現するためにも、男女平等な社会の推進を訴えます。この二つの近視眼な目標を達成した果てに、友愛のホボの世界が実現されるのです。

 第三の選択肢は、厳密には解法になっていません。科学の事実に基づく推論を超えた「希望」になっています。しかし、生命は意思を持って行動すれば、それが実現されます。シアノバクテリアが、大気の二酸化炭素が95%以上を占めていた地球を、多様な生物が生息できる環境に変えたように。