江戸博の常設展とレストラン。そして回向院のレポートです。
・江戸町人の人口構成(男性比率)
1721年 64.5%
1832年 54.5%
1867年 50.1%
住民の多くが江戸出身者になると男女比が半々になりました。それまでは、女性は「貴重」な存在だったのです。ああいう場所ができる訳です。
中近東カフェレストラン-江戸博砂漠で昼食。食べたのは、エジプト料理の温玉炙りチーズコシャリと、サッブーサ(中近東〜中央アジアの料理:ラム肉を餃子の皮で揚げたもの。現地では餃子の皮は使わないそうです)。
このレストランは、エジプト・イスラエル・トルコ・ペルシャなどの中近東料理を出しています。女房はおなじみですが、私には珍しいものばかりで嬉しかった。前はこの場所は、イタリアンだったのですが、中近東に変わっていました。前もそれなりにおいしいレストランでしたが、中近東も美味しい!次回もここで食べようと思います。
鳩の丸焼きもありました。エジプトでは鳩はご馳走で、日本の寺社や公園に鳩が群がっているのを見ると「なぜ獲らないんだ!」と驚くそうです。
昼食後に、回向院へ。女房が面白いお寺だからと案内してくれました。
両国の回向院の過去帳には,天保7年から嘉永5年までに犬猫の戒名が11例記録されています。全ての戒名には「転生」の表記がある、とのこと。動物の墓が人間の墓と同居しています。現代の動物霊園の先駆けというより、人も獣も同じく動物という考え方なのです。
回向院のHPにも、猫の報恩伝説で知られる「猫塚」、火消しの頭が飼っていた「唐犬八之塚」や「オットセイ供養塔」、義太夫協会の「犬猫供養塔」、飼鳥獣商協同組合による「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑があると記載されています。「このように諸動物の供養が行われることになったのも、当院の成り立ちが、人間はもちろん、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くものであったことにより、その歴史は馬頭観世音菩薩像の紹介にも触れましたが、当院二世信誉上人の時代まで遡るのです」とのこと。
墓を削って持っているとご利益があるということで、墓石が削られて小さくなってしまいました。作り直した後、本体ではなく「お前立ち」を削るようにしています。