「シナノ」の歴史は古い。「科」とは「くぼんだ場所」「段差」などを意味することからという説。古代より「シナノキ」が多く自生していたからという説。風神「級長津彦命(シナツヒコノミコト)」からという説などがあります。いずれにしても、汚らわしい大和朝廷以前に豊かな文化を持っていたことは確かです。

 信濃(安曇野と諏訪)と志賀島(北九州)と出雲の関わりを紐解き、女房の研究テーマである鹿信仰の謎を探るのがこの旅の目的です。黒曜石や塩を通じて、日本列島各地は様々に結びついています。その中心が出雲であり信濃である訳です。

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 尖石へはこのメルヘン街道バスで。乗車したのは僕ら夫婦だけでした。ルンルンです。

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 尖石縄文考古館は、縄文中期を中心とする出土品を集めています。展示品の質の高さは流石です。小さいながらも、縄文中期を堪能することができました。

 高校の寮が入笠山にあり、考古館ではなくて、尖石のある尖石遺跡には行った覚えがあります。尖石は黒曜石の集積/加工地だと教わった覚えがあります。

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 有孔鍔付土器(縄文中期/尖石遺跡)。

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 土偶 縄文のビーナス(縄文中期/棚畑遺跡)。

・縄文のビーナス(尖石考古館の資料による説明)
 棚畑遺跡の住居址は150軒以上、完全に復元された縄文土器は600点にもなります。この土偶は集落の中心にある広場の中の土坑の中に横たわるように埋められていました。
 全体像は下方に重心がある安定した立像形で、高さは27センチメートル、重さは2.14キログラムあります。
 頭は頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、帽子を被っている姿とも髪型であるとも言われています。文様はこの頭部以外には見られません。
 顔はハート形のお面を被ったような形をしています。切れ長のつり上がった目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有の顔をもっています。また,耳にはイヤリングをつけたかと思われる小さな穴があけられています。
 腕は左右に広げられて手などは省略されています。胸は小さくつまみ出されたようにつけられているだけですが、その下に続くお腹とお尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子を表しています。
 一般に見られる壊された土偶とは異なり、完全な形で埋められたものであることは明らかです。

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 土偶 仮面の女神(縄文後期/中ツ原遺跡)

・仮面の女神(尖石考古館の資料による説明)
 「仮面の女神」は、茅野市湖東(こひがし)の中ッ原遺跡から出土した、全身がほぼ完存する大形土偶です。高さは34センチメートル、重さは2.7キログラムあります。顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶です。今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られました。
 遺跡のほぼ中央にある、お墓と考えられる穴が密集する場所で、穴の中に横たわるように埋められた状態で出土しました。右足が壊れて胴体から外れていましたが、これは人為的に取り外したことが明らかになりました。
 「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっています。細い粘土紐でV字形に描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されています。体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれています。足には文様はなく、よく磨かれています。この土偶は、土器と同じように粘土紐を積み上げて作っているため、中が空洞になっています。
 土偶は、右足が壊れた状態で出土しました。しかも、割れたときにできた破片のひとつが、胴体の割れ口にはまり込んでいました。それ以外の破片も胴体内部や右足の内部に入っていました。もし、この破損が埋めている最中か埋めたあとにできたなら、破片は割れたところかそのすぐ近くにあるはずです。これに加えて、出土したときの向きで胴体と足が接合せず、足を90度以上回転させたところで接合することもわかりました。このため、上で述べたように、わざと足を壊して(取り外して)埋めたのではないか、と考えられるのです。
 なお、土偶が埋納された土坑と近接するほかの土坑から、遺体の顔にかぶせたであろう土器が出土しています。

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 環状把手のある深鉢土器(縄文中期/下ノ原遺跡)。

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 槍先形尖頭器(夕立遺跡&馬捨場遺跡)。

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 土偶破片(縄文中期/棚畑遺跡)。

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 吊手土器(縄文中期/棚畑遺跡)。

 装飾は派手なのだが、どこか「火炎土器」のような「これみよがし」なところがない。楽しく遊んでいる、心から祈っている。そんな感じが伝わってきますね。

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 黒曜石など(縄文前期/高風呂遺跡)。

 信濃は、星糞遺跡などの黒曜石の大産地。信濃の黒曜石は遠くまで運ばれ貴重な資材となりました。旧石器時代から縄文時代、弥生時代初期まで、信濃は日本の中心地の一つでした。

20210810X5s040把手のある土器
 二つの環を持つ中空の把手のある土器(縄文中期/勝山遺跡&長峯遺跡)。生き物を思わせる装飾は、八ヶ岳山麓の中期の土器の特徴だそうです。

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 抽象文のある土器(縄文中期/長峯遺跡)。

20210810X5s050深鉢型土器
 大型の深鉢形土器(縄文中期/棚畑遺跡)。

20210810X5s063立体装飾
 立体装飾が発達した深鉢形土器(縄文中期/中ツ原遺跡)。

 狩猟採集を生業とする縄文人ですが、信濃の地では採集よりも狩猟が主だったと考えられています。土器などに獣の装飾が多いのもその為でしょう。後の諏訪大社の御頭祭も、狩猟の成功を祈った祀りだったと考えられます。

20210810X5s067蛇体装飾
 蛇体装飾のある土器(縄文中期/尖石遺跡)。

 私の好む造形があるので、展示物のカタログを購入しました。私の場合は、研究ではなく、「見て楽しむ」目的です。

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 土偶札所巡り!? 土偶札所用の「御朱印帳」も売っていました。土偶人気もここまで来ると … 。

 今回は時間がなく、遺跡を訪れることはできませんでしたが、尖石縄文考古館に隣接した与助尾根遺跡には、縄文時代中期の集落遺跡があります。同時に存在したと思われる複数の竪穴式住居が復元され、縄文時代の集落の様子を想像することができます。わが国最初の縄文集落論として発表されました。尖石遺跡は昭和27年(私が生まれた年です)に縄文時代では最初の特別史跡に指定されました。