出雲の美保神社と伊豆の三保神社は、大国主命の妃を祀る神社。旧石器時代から神津島の黒曜石を採掘するために、外洋を航海する高速な大型船を作り航海術を持つ人々を育った伊豆。出雲は、伊豆の大船と航海術を導入したと考えられます。

 南紀の熊野にも地元の言い伝えとして(残念ながら物証はまだ無いようです)、旧石器時代に東の方から大きな速い船に乗った人々が来たというのが残っているそうです。

 伊豆の大型船は古事記などにも記述があり、大和人=朝鮮から来た人々は、外洋航海に耐える大型船を作れなかったようです。大和朝廷もこの技術を取り入れました。

 手漕ぎ船での沖縄から九州への航海は実証されましたが、多くの人や物資を運ぶのには適したものとは言えません。

 日本の交易の中心は、旧石器時代から伊豆の大型船が担っていたということなんでしょう。

 以下にネット検索した結果をまとめておきます。

・御穂神社(伊豆)
 古くから三保の地域を見守ってきた羽衣伝説ゆかりの神社で、羽衣の切れ端が所蔵されているという。
 「みほ」の字は、「御穂」のほか「御廬」「三穂」「三保」とも。「御廬」は、当地の旧郡名である「廬原」(イホハラ)からミイホと読み、ミホと読まれるようになったと考えられる。
 祭神は、大己貴命(おおあなむちのみこと、大国主命)、別名を「三穂津彦命(みほつひこのみこと)」。三穂津姫命(みほつひめのみこと)。
 祭祀は、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている。
 由緒は、須佐之男之命(すさのおのみこと)の御子の大国主之命が、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)(日本の国)を開きお治めになり、天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)が天降りなられた時に、自分の治めていた国土をお譲りになったので、天照大神はお喜びになって、高皇産霊尊(たかむすびのみこと)の御子の中で一番みめ美しい三穂津姫命を大后(おおきさき)とお定めになった。そこで大国主命は三穂津彦命と改名されて、御二人の神はそろって羽車に乗り新婚旅行に景勝の地、海陸要衛三保の浦に降臨されて、我が国土の隆昌と、皇室のいや栄とを守るため三保の神奈昆(かむなび)(天神の森)に鎮座された。

・美保神社(出雲)
 祭神は、現在事代主神(ことしろぬしのかみ)、三穂津姫命(みほつひめのみこと)の二神だが、『出雲国風土記』には御穂須須美命(みほすすみのみこと)だけと書かれているから、もとの祭神は御穂須須美命、一神だったのだろう。
 事代主神を祀るようになったのは、『古事記』や『日本書紀』にみられる国譲りの神話によるものと考えられる。中世にはいり、事代主神は恵比寿神と習合し、漁業、海運、商売、歌舞音曲の神として福神信仰の本宮となり現在に至っている。全国に事代主神をご祭神とする神社は3385社あるが、美保神社はその総本宮である。
 当社の代表的神事として、4月7日の青柴垣神事(あおふしがきしんじ)と12月3日の諸手船神事(もろたぶねしんじ)がある。いずれも国譲りの神話に因んだもので、古代色あふれる出雲の代表的神事である。
 境内の宝物庫には、神事で使用する諸手船が保管されている。二本の丸太を別々にくりぬいて継ぎ合わせた(古代には一本の丸太で造った)二枚仕立のこの船は、古代くり船の系譜をひくものとして国の重要有形民俗文化財である。また、船神事に関連して中海のそりこ(国重要有形民俗文化財)、隠岐のともど(県有形民俗文化財)、沖縄糸満のサバニーといった舟も展示されている。