「隣のボノボ」 坂巻哲也 2021年 京都大学学術出版会

 ボノボ研究の第一人者が書いた本。友愛遺伝子を持つボノボに強い関心を持つ私が読まないわけにはいきません。尚、チンパンジーとホモサピエンスが「皆殺し遺伝子」を持つことは学術的に確かめられていますが、「友愛遺伝子」なるものは「状況証拠」はそれなりにあるものの、学術的に確認されたものではなく、私がそう呼んでいるだけのものです。

 チンパンジーはそれなりに、人間ほどではありませんが。蔓延っています。ですが、ボノボは絶滅の危機にあります。皆殺し遺伝子は短期では生存に有利ですが、友愛遺伝子はそうではないようです。地球には残虐非道な人間が満ち溢れています。自然というのは何なのだろう?進化とは何なのだろう?

 自然の進化は、人間を誕生させ、そして絶滅させる。ブリジゴンの熱力学の第二法則の解釈が正しければ、生態系の多様性を減少させたホモサピエンスは早急に(この場合の「早急に」は1万年ぐらいの尺度で)絶滅する運命にあります。「自然も失敗することがある」ということでしょうか。

 当然のことながら著者も、自然保護などという戯言をぬかしている厚顔無恥なお馬鹿さんに疑問を呈しています。問題なのはむしろ、滅びゆく自らの運命をどう見つめ、向かい合うかなのです。

 以下はこの本の要約と引用です。


《はじめに》

 コンサベーション(自然保全)とは何かという問いに私は答えることができない。

《1.森への序章》

 腰が伸びた背中、ボノボには尾が無い。尾の無い猿を類人猿と呼ぶ。

 行動観察は、対象動物が観察者に慣れて(無視して)くれないと難しい。

 チンパンジーは、隣接集団の声が聞こえると、威嚇する大声を発し、オスたちが凄い勢いで走っていく。その行動は、他の群対する恐怖心を感じられる。大声をあげて牽制し合い、直接の出会いを回避する。あるいは、声が聞こえたら、静かに去っていくこともある。時には、殺し合うこともある。縄張り争いで同種殺しをするのは、チンパンジーと人間だけだ。

 観察には、自らが覚える「共感」を自ら洞察しする立脚点を持たなければならない。彼らと等身大の感覚を持って、彼らの視点に近いところで観察する。ボノボの生活につき従う観察を積み重ねる。森の気配が感じられ、ボノボの自然が入ってくる。観察で得られるのは「直観」に近いものである。

《2. ワンバのボノボたち 彼らの生活を追う》

 夕方にベッドを作る時に、隣の集団の声が聞こえ、鳴き交わしが続いたりすると、その翌朝は、まだ暗いうちから一気に地面に降りて動き出し、隣の集団と一緒になったりする。

 ボノボは、顔に毛が生えていないので、表情の動きがわかりやすい。

 顔の部分の特徴ではなく、全体の姿で個体を識別できるようになる。全的な姿とは、唯一無二の個のことだ。それはそれとしか言いようが無くなる。個体識別には私的なところがある。同じボノボでも観察者によって印象が違う。あらためで気づかされることも多い。

 森の果実が豊富な季節は、集団のメンバーが、パーティに分れずに遊動うる。それは、メスの性皮が膨らむ時期でもある。

 美味しい果実の取り合いでしばらく騒然とした後、たいてい年配の偉そうなメスが大きな実を抱えて食べている。その周りでコドモがおねだりをっする。

 食料が減り、小さな実をたくさん食べなければならない時期には、社会交渉は減る。長いこと食べ続けなければならないからだ。

 雨が少ない時期に、休閑地が続いた区画を選んで、下草を刈り木を倒す。倒木が乾燥したら、火を入れて焼く。村人の主食であるキャッサバの枝を地面に挿し木する。雑草を刈ることは無い。

 ボノボは、焼畑の二次林で、日当たりの良いところに育つ草木の実を頼りにしている。

 野生のボノボは50歳以上生きることが確認されている。

 ボノボは(特にメスは)集合性が高い。果実が乏しい日中は、個体数の少ないパーティで過ごす。大きな集団で食べられるような量は無いからだ。日が暮れると鳴き交わしながら近いところに集まってくる。

 チンパンジーの遊動は個体性が強い。ボノボは寄りそう。ボノボが活動を同調させ、寝食を共にする姿には一体感が感じられる。ボノボの棲む森は豊かで、単独でも生活できるにもかかわらず。

 チンパンジーは他個体がと身体接触する距離に入ることに気をつかう。手を差し出したりして、接触を求める行為(挨拶)が見られる。威嚇する派手なディスプレイを行う一方で、チンパンジーは、ヒヒやオオカミのように、儀礼化した緩和行動が発達させている。ボノボにはそのような敷居は無く、容易に身体接触する。遠慮なく近づき、寛容に受け入れる。ボノボにチンパンジーのような攻撃性は無い。

 卵を産んで温める鳥類と違い、霊長のオスは子育てに関与しない。ペア型の社会は、集団(社会)を形成しない。ペア型の社会を作るテナガザルは、ペアごとに縄張りを持ち、他のペアと親しくすることはない。

 集団生活には、ハーレム(単雄)型と、複雄型がある。複数の雄雌の集団は複雑で、必ず乱交型とは限らない。単雄集団が複数集合する人間社会が典型である。親戚関係というのは、他の霊長類には見られない人間だけの特徴だ。

 ボノボのメスどうしは、一日に何度かホカホカをする。それは採食の前だ。美味しい果実をめぐる緊張を和らげる。ホカホカをしたメス同士は、一緒に食べる。

 ボノボはまとまりを大切にするために、形成する集団の大きさには上限がある。チンパンジーのように百個体を超える集団は存在しない。大きな集団でも、儀礼化した挨拶があれば集団の統合が可能になる。

《3. ボノボたちの出会いの祝宴 集団の出会いを追う》

 野生のボノボでは、集団間の平和裏な出会いが頻繁に起こる。集団間の殺戮が観察されるチンパンジーとは対照的だ。

 ボノボは他の集団の声が聞こえると、激しく鳴き交わし、直接の出会いを避けることがほとんどだった。

 ワンバのボノボが肉食する頻度は低く、年に数回である。

 ボノボのオスは生まれた集団で一生を過ごす。メスは思春期になると、生まれた集団を出る。初産の跡は集団を移ることなく子育てをしながら年齢を重ねていく。

 出自集団を離れたメスは、いくつかの集団を渡り歩き、やがてひとつの集団に定着する。チンパンジーも同様だが、出自集団を出て行かなかったメスもいる。ボノボには、そのような例外は見つかっていない。

 ボノボのメスには、ヒトに似た性周期があるが、複数集団の間を行き来する若者期は、性皮のしぼむ期間があまりない。他の集団のオスに活発にアプローチし、新しい集団のメスと関係を深めていく。盛んな性交渉が見られるが出産しない。ワカモノ期の不妊期がボノボにはある。

 性皮が膨らみテカテカしたところに、オスたちは魅力を感じる。メスは性皮が最大腫脹が続いた終わりのころに排卵する。

 ボノボのメスは性皮があまり膨らんでいない時も交尾するし、出産直後でも後尾が見られる。受胎しない時期にも日常的に交尾する。相手を選ばない乱交の社会だ。意中のメスの周りにはオスが集まって喧嘩になる。

 メスは受胎しそうなころに、自ら望むオスを誘い、あるいは、自らが望むオスの誘いだけに応じるのかもしれない。オスとメスの間で、日頃の社会関係に重きが置かれる交渉と、受胎につながる性交渉がどのように関わっているのかは明らかになっていない。

 チンパンジーでは、どのような状況でも、成熟したオスが他の集団に移ることはない。ボノボでは、集団が崩壊しそうな場合には、オトナオスを含む複数個体が他の集団と融合することがある。見知らぬ個体にも寛容なボノボの性格が表れている。

 集団同士の出会いの際に、ボノボのメスは一緒にくつろいで採食し、休息する個体がいる。別集団とはいっても、よく知っていて、打ち解けてつきあう仲である。遺伝的に近いところがあるようだ。両集団のメスどおしでは、共同してオスを追い払うこともある。

 二つの集団が日中何度か出会いを繰り返しても、夜寝るベッドを作るときには距離を取る。

 他群れの声が聞こえると、互いが大声で叫び合う。鳴き交わしは十分以上続く。二つの集団のボノボが一堂に会する。性皮を腫らしてメスが木に登り、待ち構えるオスと交尾をすることもある。あちこちで交尾が起こる。たてつづけに交尾を繰り返すメスもいる。集団は、倒木のギャップに移り、毛づくろい興じる。異なる集団の個体どうしの小競り合いは起きる。遊びなのか喧嘩なのか区別はつかない。威嚇的なディスプレイを見せるオスもいる。攻撃した後、その二個体が一緒に毛づくろいをする。メス同士は、落ち着くと毛づくろいをよくする。子供たちは集団の境を超えてよく遊ぶ。

 最大で四つの集団が一堂に会することがある。

 森の果実が減ってくると、集団がバラける傾向がある。集団間の出会いがよく起こるのは、森の果実が多い時期である。性皮を腫らしたメスがいる場合には、出会いを繰り返す傾向がある。

 複数集団が集合するのは、ヒト以外では限定的だ。

 出自集団が異なるにもかかわらず、メス同士は強いつながりを見せる。若いメスが出自集団を離れるのは、集団間の出会いのときである。集団間の出会いがないと、ボノボのメスは移籍しない。そして、複数の集団を渡り歩く。出自集団を離れたメスが、隣接集団に定着することはない。

《4. イヨンジの森のボノボたち 隣の地域個体群を追う》

 村人がよその人たちの森に入ることなど滅多にない。

 ボノボは新奇なものを見つけると、好奇心旺盛に観察する。チンパンジーもそうである。人の住むことがなかった森では、人に対する反応は、警戒よりも観察しに来ることことの方が普通である。ボノボの特徴は、珍しいものへの好奇心を集団で示すことである。

 「文化」とは、集団の多くの個体に見られ、社会的な学習によって伝播する行動である。

 ガンダは、新しく開いた場合も、使用期限は数年である。捨てられたガンダは森にいくつもあり、その後、何年かして開きなおしたりする。ボノボは、人が留守のガンダにアブラヤシの髄を食べに訪れる。

 地域によってボノボが肉食する動物は違う。それは、森の中の動物の生息密度にも依存する。

 チンパンジーでは隣接集団で採食習慣が異なることがあるが、ボノボでは違いは見られない。ボノボでは、異なる集団同士がよく出会い、そことがそれぞれの集団の行動を均質にするのだろう。チンパンジーは、異なる集団同士は、数百メートル離れたところで叫び合うぐらいで、近い距離で出会わない。チンパンジーもボノボもワカモノ期のメスは、集団間を移籍する。個体だけがする行動を、それを知らない個体が身に付けるのは起こりにくい。但し、チンパンジーでは、移入メスが新たな行動を広めた事例が報告されている。

 進化をもたらす選択圧。1)集団を生み出す要因。捕食者の危険。夜行性から昼行性に移行する霊長類が現れた。捕食者から身を守るために、集団を作り、体を大きくした。捕食者を監視し、逃げるときに捕食者を攪乱することができる。2)何を食べるか。何を食べるかによって消化管の長さや体のサイズは変わってくる。食べ物の分布によって、集団の大きさも変わる。食べ物の探索と処理、採食と消化にかかる時間に応じて、一日の活動時間配分は変わる。3)集団生活の社会交渉に割く時間も必要だ。社会という環境も選択圧になる。霊長類では、妊娠と授乳はメスにしかできないため、オスが子育てに関与することは少ない。4)採食に必要な移動コストや集団間の採食競合は、集団のサイズに影響する。5)誰と群れるかには、血縁の近い個体が好まれる一般的な傾向はあるが、霊長類ではそうではない例もある。ボノボのメスはその例。群れることで生じる寄生虫や病気の感染も、生存と繁殖に影響を与えうる。

 社会組織とは、集団を構成する個体数と性構成ののこと。社会構造とは、集団において繰り返される社会交渉のパターンのこと。。メスが出自集団に残り、血縁個体をひいきするタイプ(ニホンザル)。メスが集団を移籍し、順位や連合があやふやなタイプ(チンパンジー)。

 単雄複雌集団のゴリラは、めったに交尾せず睾丸は小さい。複雄複雌のチンパンジーは、日に何度も交尾が観測され睾丸も大きい。

 ボノボのメスとオスの数はほぼ同数。オスの方が少ないチンパンジーと異なる。ボノボでは、集団を移籍する年頃のメスを除いて、誰もがどこかの集団に属していて、集団に属さない個体は見られない。

 百を超えるような大集団が確認されるのはチンパンジーだけである。オスの方が少ないのは、オス間の闘争の激しさや、対象がオスに限られる子殺しのあることが原因だろう。ボノボでは、同種殺しは確認されていない。

 ボノボのオスは、オトナになっても母親との結びつきが強く、多くの個体が分散するときも母親と一緒にいる。オス同士の喧嘩の時は、母親が助けに入り、他のオスを叩き出してしまう。母親同士の喧嘩に発展することもある。

 ボノボのメスは肝っ玉がすわっていて、何個体か子供を育ててきたメスは、オスが強さを誇示するディスプレイをしても、動じることはない。うるさい若いオスが追い払われることもある。

 チンパンジーは、ボスの地位を奪取・維持するのに、オスどうしの同盟関係を作る。チンパンジーは、ボノボと同じく交尾は乱交だが、順位の高いオスによる特定のメスとの交尾を独占しようとする。地位の低いオスが、特定のメスを引き連れて、交尾を独占するために、二個体だけで旅に出てしまうことがある。ボノボにはそのような行動は見られない。ボノボでも順位の高いオスが多くの子を残している。しかし、ボノボの場合は、メスが相手を選んでいるのかもしれない。

 ボノボの社会の進化を説明する仮説。1)幼形保有。チンパンジーとボノボで共通するコドモの特徴が、ボノボではオトナになっても見られる。お腹よりに位置するメスの性器、オトナになっても続く母と息子の強い結び付き、個体間の高い寛容性、頻繁な食物分配(子育ての給餌の延長)。

 2)ボノボのメスが受胎の可能性のない期間にも性皮を腫脹させることは、社会の様々な側面での変化を起こす。3)自己家畜化仮説。ボノボは自然下において、攻撃性が弱まり寛容さが高まる進化が怒った。採食競合が緩い環境が外的な要因としてあTったと仮定されている。

《5. ボノボの保全》

 保護は既に、保全というのは一つの確かな職業になっていた。たいていのNGOがキンサシャにオフィスを持ち、ワンバでボノボの調査をするのとは桁の違う予算を持っていた。

 感覚が外界へ研ぎ澄まされるとき、頭の中から思考は消える。私たちには、身の危険を察知する感覚が備わっている。この感覚をおろそかにしてはしてはいけない。

 コンサーベーション(保全活動/自然保護活動)というものに居心地の悪さを感じてきた。ボノボは絶滅危惧種となっている。密猟と生息地の減少が続けば、この世界から消えるだろう。密猟は、獣肉を食用にすることが目的。地元で消費されるだけだった獣肉が、商用として都市部へ運ばれるようになった。人口が増えれば新たな焼畑が開かれ、生息地は減少する。商用の木材伐採の影響は甚大だ。その後には、スカスカになった森と、仕事を失った村人が残る。

 ボノボは動物性蛋白質を得るための狩猟対象だったし、ボノボを兄弟とする民話を持つ村々でも、異文化や都市の文化にさらされ、伝統的な価値観は力を失っている。政府役人は違法な狩猟を取り締まらない。

 ルオー学術保護区の運用にあたっては、運用主体の政府組織と村人の間の軋轢が生じる。状況に応じた調整が欠かせない。地域住民の中央政府への信頼が薄く、情勢は悪化している。

 外部からやてきた保全プロジェクト。事前の地域住民への根回しは形式だけのものだった。プロジェクトへの同意を条件に、地域住民が望む支援、道路や水道などのインフラの整備が行われる。地域の発展は、集落を消費経済に巻き込む。消費への欲望は、伝播する力が強い。自転車やラジカセは、ステータスシンボルとなり、契約書にサインをする村長への賄賂として使われ、やがて村人にも普及していく。

 村に外国人がやってくる。村人の一部は仕事を得る。NGOの支援で村に私設の病院が解説される。道や箸も直され、臨時の仕事を得る人々も少なくない。村は活気を帯びる。ローカルなNGOは村人から賞賛される。一方で、保護区を設立することが何を意味するかを村人は理解していない。

 制服を着て銃器を持つ警備員(森林警備隊)が森をパトロールし、いつもどおりに狩りをしていた村人は密猟者として逮捕される。村人は「そんな話は聞いていない」と訴え、山刀を持った村人が管理官の事務所に押しかける。

 NGOは、保護区の認可をタテに、保護区の森にいる人々は追い出さなければならないと考える。コンゴの首都のオフィスにいるAWFのスタッフは、現地の事情をしらされても、予定通りにプロジェクトは進行する。コンゴ政府に認可させた通りに。

 土地に生きる人々にとっては、それは圧倒的な力をもって外から押し寄せてくる。その力は、村の生活を変える。電気も水道もない村に、乾電池で照らすトーチの光が届き。ラジオのニューズがもたらされる。

 森に住む人々は、隣の家が使う水場には行かないし、隣の村の森を歩くこともない。ボノボのオスと同じだ。身軽に土地から土地へ移ることはできない。

《あとがき》

 生産の現場が見えない消費は不健康だ。森で海で、何が起こっているか消費者は知らない。