
講演会が始まる時間には早いし、暇潰しに昼食前のおやつ。マックで「ビッグマックセット」しました。なんですが … 若い頃からの習慣で … おやつのつもりが、それなりにお腹が良くなっちゃって … 昼飯抜きに?になっちゃいました !(^O^)! ← もう若くはないんだから、70歳の爺なんだから、自重しろよ!

コロナヒステリーの影響で一般の立入りができなかったニコライ堂。やっと「土日に限り一般拝観を再開する」となっていましたが、この日は信徒だけしか入れないようでした。何か行事をやっているようでした。秘密の儀式なんでしょうか。なんかゾクゾクしますよね ← ナニ勘違いしてるんだ!
冗談ばかり言ってないで … 明治大学-グローバルホールへ。講演会のお題は、「縄文時代早期の東京湾岸における環境と動植物資源利用」。とても興味深い内容でした。
考えてみれば、現在の温暖化なんて、縄文時代に比べたら「ちっぽけ」な気温変化に過ぎないことがよ〜く解りますよね。

縄文早期には早くも、炉を持つシッカリした造りの竪穴住居や、炉を持たない大型のものも建設されました。これらは、集団でないと建てられないものであり、早期には既に、臨時の家ではなく、定住が始まり、かつ、それは集落という規模のものだったことがわかります。食料の確保が前提になります。1万年前には、中国産のキビが栽培されていたと推測されています。また、1万3千年前に、酉島に漆が出ています。これらは、中国大陸との交流を窺わせます。大型の船と言えば … 浜で生活していたであろう雷下遺跡では、海で使ったと考えられる丸木船が発見されています。
貝塚から縄文人が食べていたものを推測すると、1万年前はヤマトシジミが多かったが、後にはハマグリへと主役が交代します。縄文人の貝類の嗜好の変化によるものと考えられます。
イチョウ貝は、琵琶湖でしか捕れない貝。琵琶湖から房総まで運ばれたのでしょう。
堅果類/稲科/ベリー類/豆類。多様な植物が食べられていました。小豆は、縄文後期にはサイズが大きくなり、栽培が始まったと考えられています。それ以前は採集されていました。
栗と漆は落葉広葉樹の地域を、イチイガシは常緑広葉樹の地域を特徴づける植物です。
関東では、編組製品の材料は笹類でした。木材としては、比重が大きく硬いナラなどが使われていました。漆も縄文早期から利用されています。縄文早期後葉には、栗と漆の林が人為的に形成されたと考えられます。そして、縄文前期からはその面積が拡大していきます。
埼玉の打越式の土器が房総にあるなどの土器の伝播は、人の移動を伴うと考えられます。
講演会が終わって … まだ5時過ぎでしたがディナー。女房は急いで東京に戻ってくるために昼食を抜いていたのでお腹ペコペコ。私も「おやつ?」しか食べていなかったので、早めに。
さて、早く帰って、私は仕事しなくっちゃ !(^O^)!