「脳とコンピュータはどう違うか」 茂木健一郎/田谷文彦 2003年 ブルーバックス
茂木さんは科学者ではないので、基本読まないのだが、共著なので少しはマトモかなっと思って手に取りました。予想通り、個人の主観と科学の客観が、何となくであれ区別されていました。良かった〜。内容はなかなか良いもので、ちょっと見直したかな?とは言え、科学者ではないので、妄想が多すぎるのはいつものことですが …。 以下はこの本の要約と引用です。
《はじめに》
コンピュータには人間の「直感」に相当するものが欠けている。しかし、コンピュータの概念は変化しつつある。
《1.脳とコンピュータはどう違うか》
人間の脳には1000億のニューロンがある。コンピュータの素子数は1億程度。脳のニューロンは三次元配置。コンピュータは二次元配置。
脳は単独で存在していても、何の役にも立たない。脳は体と結びいついて機能を発揮する。
《2.コンピュータの動作の実際》
チューリングマシンの制御部は、1)制御部の内部状態を変える、2)記号を書き換える、3)記憶装置のヘッドを移動する、を行う。
アルゴリズム(手順)が表現できる場合、それは「計算可能」であり、計算可能な関数のことを「機能的関数」と呼ぶ。
プログラム次第でどのようなこともさせることができるコンピュータを「万能チューリングマシン」と呼ぶ。プログラム内蔵式コンピュータは、データとプログラムを区別せずに「データ」として扱う。
CPUは、設計の簡素化のためクロックサイクルで動作する。クロックサイクルごとにプログラムカウンタの内容が加算され、順に命令を実行する。
《3.脳の動作と機能》
あるニューロンが、特定刺激に対して強く反応する時に、その刺激に対して反応選択性を持つという。IT野では様々な形に反応選択性を持つニューロンが、カラム状に分布している。輪郭は、局所的には、ある傾きをもった線分で近似できる。第一次視覚野の特定の傾きにだけ反応するニューロンは、IT野で成立する物体の輪郭の認識の、中間段階を担っていると考えられる。ニューラルネットワークモデルは、このニューロン活動をモデル化したものである。
p型とn型のトランジスタを組み合わせたCMOSで論理ゲートを実装することができる。インテルのPentium4では、CPUは5500万個のトランジスタで構成されている。
ニューロンの特徴は、結合の複雑さである。ニューロンは自発発火をしている。脳のニューロン活動の内、7割は自発発火であり、その機序は不明である。
脳も分子機械である。私たちは、分子のことを知らない。ミクロな物質がどのような存在なのか、想像しきれていない。私たちが知識として持っているのは、これらの物質の振る舞いを説明するために私たちの脳が作り出した概念だけであって、物質自体が何であるか、私たちには想像することもできない。
《4.ニューラルネットワーク》
一般に、意識があるかないかということは、客観的に確認することができない。
R・ペンローズをはじめとして、多くの研究者が「計算可能性」の問題と、コンピュータによって人間の脳の認知プロセスを再現できるかという問題を結びつけて議論してきた。ここで、有理数と無理数の違いによって変化するものが本当にあるかを考えてみる必要がある。無理数を、全ての桁を示すことはできない。無理数は、計算の手続きとして示すことができるだけである。有理数と無理数のような抽象概念の差を別にすれば、コンピュータの「万能性」には限界が無いように思われる。どのようなものも「ある程度」「良い加減」にすることができる。コンピュータは脳の認知プロセスを再現できるように思われる。
脳は1000億のニューロンから構成され、各ニューロンはシナプスを介して数千のニューロンと結合している。脳は、この膨大な数の結合を利用して、並列処理を行っている。ニューロンは、1秒間に100回程度しか反応することができない。
脳神経回路をモデル化したのがニューラルネットワーク。私たちの認知プロセスを、ニューラルネットワークモデルにより説明しようとする立場をコネクショニズムと呼ぶ。最初に提唱したのは、フランク・ローゼンブラットである。彼は1960年に、パーセプトロンと呼ばれるニューラルネットワークモデルを発表した。
パーセプトロンは、1943年にワーレン・マカロックとワルター・ビッツが提唱した。マカロック・ビッツモデルにおけるニューロンモデルは、コンピュータ上で実行することを前提とした、簡素化したモデルだった。ニューロンの結合がそれぞれ重みを持っており、重みの総和がある閾値を超えたときに1を出力する。
ローゼンブラットは、このニューロンモデルを入力層と出力層の2層構造に分け、その間を重みづけられた結合で結んだ。入力層は層として数えない。そのため、このモデルを単層パーセプトロンと呼ぶ。
学習の結果として期待される出力が予め判っており、その出力パターンを目指して結合を変えていく学習方法を、「教師付き学習」と呼ぶ。
アラン・チューリングは、1948年に「知能機械」と題した論文の中で、B型未組織化機械というモデルを提案している。チューリングは、ニューロンのモデルとしてNANDゲートという論理演算を行うユニットを想定した。2つのニューロンから入力を受け、1つのニューロンに出力する。両方の入力が1の場合は0を出力し、それ以外は1を出力する。このNANDニューロンをランダムに結合したネットワークをA型未組織化機械と呼び、その全てのニューロン間の結合に変更器を入れたものをB型未組織化機械と呼んだ。チューリングのモデルにおける「変更器」は、それ自身、3つのNANDニューロンから構成されていて、二つの干渉入力を受け取るデザインになっていた。チューリングは、B型未組織化機械を、幼児の脳に見立てている。幼児の脳は、生まれてきた段階では組織化されていない。組織化されていない神経回路は、冗長な結合を持っている。
単層パーセプトロンは「連想記憶」を出力する装置として働く。連想記憶は、「パターン認識」の問題と関係する。パターン認識の一つに、雛形と比較する「テンプレートマッチング」がある。固定されていない人間の顔などを認識することはできない。ニューラルネットワークモデルは、二つの処理を行う。一つは特徴抽出、もう一つは分類である。
脳の学習の顕著な特徴は、一回で学習することであろう。ニューラルネットワークモデルでは再現できない。動物の神経回路には、一回性の体験から学ぶ能力がある。
《5.ニューラルネットワークの数理》
特徴空間に分布しているベクトルを分類するには、判別関数を用いる。ニューラルネットワークでは、結合の重みを変化することが、判別関数を学習することになる。重みの変化には、ベイズ統計が用いられる。
パーセプトロンは、直線の判別関数を用いた線形分類システムで、一般の分類はできない。二層のパーセプトロンでは、複数の直線を用いることで、凸領域を作ることができる。さらに層を増やすことで、凸領域を組み合わせたパターンを作り出せる。
逆誤差伝搬法を多層パーセプトロンに適用。閾値関数としてシグモイド関数を使えば、中間層のニューロンの誤差が、出力層のニューロンの誤差に比例することが証明できる。
聴覚や触覚などは、時間の流れの中での認識である。
《6.脳の中の生成のプロセス》
私たちの脳の解釈を積極的に作り出す能力についてはよく解っていない。
《7.コンピュータ内で情報はどのように表現されるか》
脳の情報生成のプロセスは、ニューロン活動が様々な文脈を反映して柔軟に変化する性質と関係している。定義されたアルゴリズムを実行するのがコンピュータ。神経細胞の自発発火は、新しい何かを生成する。
「あるものがあるものであること(同一性)」が、どのように脳の神経回路の中で成立しているかは、最も基本的な未解決の問題である。
コンピュータには動作が意味あるものにするルールは内在していない。コンピュータには扱われてる情報の同一性が確定するようなメカニズムは無い。コンピュータからの出力の意味は、人間が解釈することで決まる。コンピュータは、自分自身で処理している情報の自己同一性を確定し、それに基づいて動作するという意味での「自律性」を持たない。
脳は「あるものがああるものであること」を保証して、その「意味」に基づいて動作に必要な制約を加えるメカニズムを持っているようだ。[環境→〇→行動]
《8.神経活動による情報のコーディング》
脳内のニューロン活動による二つの情報コーディングを考えることができる。一つは発火頻度。もう一つは発火時間で、個々の発火のタイミングや、隣り合うシナプスとの前後関係が関わる。
第一次視覚野のニューロン活動が、受容野の周囲の文脈を受けて変動する。第一次視覚野の安定性と変動性の共存の中に、脳の中における情報コーディングの本質があるように思われる。
エルンスト・マッハによれば、運動というような属性は、そのものと周囲のものの間の関係で決まる(マッハの原理)。脳の中のニューロン活動が変動しているかどうかは。周囲のニューロン活動との関係性で決まるのかも知れない。
《9.脳のミステリーと未来のコンピュータ》
身体を持ったコンピュータ(ロボット)
ジョン・サールは、チューリングテストに合格したコンピュータであっても、自分のやっていることを「理解」しているわけではないと主張した。意識の存在は、機能的な側面を調べることでしか実証できない。実証できない主観の問題は論じることができない(実証主義の立場)。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の著者フィリップ・K・ディックは、人間とアンドロイドを区別する基準を、感情移入できるかどうかに求めた。
《あとがき》
心の理論や学習や情動については議論できなかった。