「発達障害の子供たち」 杉山登志朗 2007年 講談社現代新書

 評判の良い本なのですが、なぜか読み逃してました。反省! 読んでみると確かに良い内容です。ちょっと未整理でとっ散らかっているところがあるけれど、お忙しい著者のこと、し方が無いでしょう(口述筆記が疑われます)。でも、現場の「智慧」を持つ方がどんな形であれ、教えて下さるのは「有難い」ことです。学習困難な子供たちを教えるボランティアをやっているので、実践の知恵としても役に立ちます。ありがとうございます。 以下はこの本の要約と引用です。


■ 発達障害は治るのか

 WISC(ウェクスラー児童知能検査)は、言語と動作の検査に分かれ、知識・視覚・常識・記憶などの項目を計る。IQ85以上を正常、69以下を送れありとする。その中間を境界知能と呼ぶ。

 小学校中学年で、カリキュラムに抽象操作が登場し、勉強のハードルが高くなる(9歳の壁)。同じ時期、ギャングエイジを迎え、親への秘密を持つようになり、子供同士で仲間を作るようになるので、いじめが深刻化する。

 養護学校の高等部は、職業訓練を行う。作業訓練は、作業の時の受け答えや、作業態度まで徹底して行う学校があり、効果を挙げている。

 社会自立に不可欠な基礎学力は、新聞を読める国語力と、買物とお金の管理ができる数学力。我々は日常生活でそれ以上の学力を用いていない。

 通常教育の場は、個別の対応には限界がある。特殊教育を選択すれば。個別対応が可能になる。特殊学級に在籍をして、参加可能な科目は通常学級に出掛けることはできる。全てのクラスが参加可能になったら、その時点で通常学級に移行する。

 養護学校の方が、就労を巡るケアが手厚く、企業との話し合いも緻密。企業サイド(特に大企業)も「きちんと働ける障害者」を求めている。

■ 受けれつきか環境か

 受精に始まる一連の過程。一対の染色体が二つに分かれ、その片割れ同士がくっついて新たな染色体の一対を組み上げる。様々な困難を孕んだ過程である。DNAの一部が別の部位にくっついたり重複したりすることが頻繁に生じる。

 不妊が生じるにはそれなりの理由があり、妊娠させる過程にはリスクが生じる。生殖医療において発達障害も生じやすい。

 人間の子供は生理学上の早産と言われている。生まれた直後に五感の機能と運動機能が備わり、移動が可能な動物を離巣性動物。巣の中で親の世話を必要とするのを就巣性動物と呼ぶ。馬や牛は離巣性。犬や猫は就巣性である。遠類は、離巣性。自分で動けなくても母親にしがみついて移動ができる。人は就巣性である。大きな脳が傷つかずに産道を通るためだ。

 哺乳類と並んで最も高等である鳥類は卵生。重たいものは全て体から除いてしまった。歯が無く、骨は中空構造になっている。鳥は妊娠できない。赤ちゃんを抱えては空を飛べない。

 人と鳥は一夫一婦制。つがいで子育てに励むのは、子育て期間が長いならだ。家族は子育てのための単位である。

 生後三年間は、できるだけ親は子供の傍にいて欲しい。子育ては集団よりも個人の方が良い。乳児院で育った子供達は、心の問題を抱えやすい。イスラエルのキブツを始めとする様々な実験からも証明済みである。

 育ちの終着点は自立。自分で生活できる、人に迷惑をかけない、人の役に立つ。仕事を持ち、社会規則を守ることができれば、達成できる。

 発達を支えるのは遺伝(素因)と環境(環境因)。養子研究や双生児研究では、素因が環境因よりも大きいことが示される。非行に関しても素因の方が高い。

 遺伝子の情報は、環境によって発現のし方が異なる。DNAの情報は、mRNAによって転写され、蛋白質が合成される。その過程には状況依存のスイッチが存在し、環境との相互作用の中で蛋白質や酵素で差異が生じる。酵素MAO-Aを生じる遺伝子を持つ児童は、攻撃性を発現する傾向がある。虐待環境下でスイッチが入り、攻撃性が発現する。素因はリスクを示すが、決定はしない。環境との相互作用で遺伝子は発現する。

 外傷後ストレス障害(PTSD)は、偏桃体と海馬に萎縮や機能障害が認められる。強いトラウマを生じる個人は、もともと偏桃体が小さい。小さい偏桃体が作られる要因は被虐体験と考えられている。トラウマに晒されて小さい偏桃体の個体が生じ、その個体が成長した後、トラウマに晒されたときに、PTSDを生じる。

 児童の精神疾患も、素因に情緒が絡んで複合症状を示す。慢性疾患と同一である。

 発達の領域は相互に関係している。おのおのは独立してもいる。国際診断基準では、社会適応に重要な問題となりやすい領域の障害を優先診断とする。

 発達障害の子供たちも発達していく。失調は改善していく。改善しなければ、二次問題の派生を疑う必要がある。

 発達障害とは、発達の特定の領域に社会適応上の問題を引き起こす可能性がある凹凸が生じ、個別の配慮を必要とする。

 サポートが必要な子供に受診を勧めると「うちの子を障害児にするのか」と激怒する親が少なくない。

 発達障害は4つのタイプに大別される。認知の全般の遅れを示す精神遅滞と境界知能。社会性の障害である広範性発達障害(自閉症スペクトラム)。行動の制御など、脳のある領域の働きと他の領域の働きとの連動に際して障害を生じる軽度発達障害で、注意欠陥多動性障害(ADHD)や学習障害(LD)や発達性協調運動障害が含まれる。子供虐待にもとづく発達障害症候群。

■ 精神遅滞と境界知能

 精神遅滞とは、知的障害によって、社会適応障害が生じた場合と定義されている。

 知的障害を示す児童の9割は、成人に達した時の知能が健常発達の9歳前後。特別支援教育をきちんと積み上げていけば自立ができる。単純作業であれば工場労働は可能である。

 知能が低いほど情緒も不安定になりやすい。知的障害の場合、感情の発達は健常発達の児童と同じ。自分の努力に成果が伴わない体験を繰り返すことは、情緒問題に直結する。発達障害の社会適応を決めるのは情緒のこじれである。

 幼児期は、言葉の遅れ、歩行の遅れなど全般の遅れが認められる。小学校中学年から遅れは著しくなる。

 子供虐待の児童において、正常知能を示すものはまれ。少年非行の事例でも正常知能を示すのはまれ。特に国語力の不足が内省力の不足に結びつき、悩みを保持することができず、非行に走りやすい。境界知能は、軽度発達障害、子供虐待、非行に密接に関わる。境界知能の児童は14%にもなる。小学校教師の力量が反映される児童である。良い教師に当たれば、9歳の壁を突破して正常知能になることが多い。知能指数は固定しない。特別支援教育では、スーパー教師に当たらなくともハンディキャップを広げない筈である。

 発達障害児には、脳の一部の領域は良好だが、全体を動かすとだめという形の機能障害が多い。知能検査では、知能を構成する要素間のばらつきが大きい。境界知能においては、どの項目が良好でどの項目が不良化というばらつきが重要である。

■ 自閉症という文化

 高機能は知的な遅れがないことを意味し、IQ70以上の広汎性発達障害を高機能広汎性発達障害と呼んでいる。広汎性発達障害の中心は自閉症である。

 自閉症は、社会性の障害mコミュケーションの障害、想像力の障害とそれに基づく行動の障害(こだわり行動)の3つの症状によって診断される。また、知覚過敏がある。広い発達の領域に一度に障害を生じるので、広汎性発達障害と呼称される。自閉症と診断される子供には、重度の知的障害をもつものから、正常知能のものまでいる。

 自閉症は、愛着行動に遅れある。目が合わない、後追いをしない、平気で親の元を離れる、人見知りをしない。自閉症の社会性の障害は、自分の体験と他人の体験が重なり合うという前提が成り立たないこと、とまとめられる。

 普通の赤ちゃんは1歳ぐらいになると、新しいものを見つけた時に、お母さんの顔を見る。お母さんが見ていなければ、手で示し、声を上げてお母さんの注意を引きつけ、お母さんが一緒に見ていることを確認して喜ぶ。注意と感情とを赤ちゃんとお母さんが共有している。自閉症児は、手のひらを自分の方に向けてバイバイする。大人が赤ちゃんに向かってバイバイする時には、手のひらは赤ちゃんを向いている。そのまま真似れる。普通の赤ちゃんでは、乳児のうちから、自分の体験と他人の体験が重なり合うという前提がある。

 自閉症の二番目の障害は言葉の遅れ。社会性の障害の上に言葉を発達させる。会話を通して体験を共有することが苦手である。

 3番目は想像力の障害。見立て遊びが苦手である。

 そして自閉症の子供が示すのはこだわり行動。反復自己刺激、興味の極限、順序固執。

 自閉症の体験世界は、ドナ・ウィリアムズの自伝「自閉症だったわたしへ」などによって知られるようになった。「人に近寄られるのは嫌いだった。触れられると痛いし、とても怖かった」。他人を求めていないわけではないが、知覚過敏のために、怖いから逃げてしまう。「人の目を見ると、話が解らなくなってしまう」。自己刺激に没頭するのは「まわりが中が一定のリズムで動いていると幸福感がある」。「一度に一つのことしかできないので、自分の言ったことすら自分に向かってもう一度言い直さないと理解できない」。

 対話の際に、目の前の人間に注意が絞り込まれる機能が弱い。認知の特徴では、ノイズの除去ができない、一般化や概念化ができない。認知対象との間に、認知における心理距離が持てない。

 自閉症の幼児は、選択的注意が働かない。情報の洪水の中で立ち往生している。自閉症の子供は、自分で、一定の安定した刺激を作り出して感覚遮断を行う。

 意識的な焦点の絞り込みによって成り立つ。自閉症の注意は、あるものに注意が向いてる時には、他の情報が無視される。自閉症の場合には、木を見ると一枚一枚の葉が見えてしまう。

 名付けや概念化に基づく慣れが生じない。言葉を通して認知したものと心理距離を取るという機能が働かない。コップに注意を留めた時、自閉症者は自分自身の一部がコップになる。認知対象との距離が取れない認知のし方をしている、いくつかの対象を同時に視野に入れて処理することや、視点を変えることが難しい。見通しをたてるには、心理距離が必要である。

 過去の出来事を突然に思い出して、あたかも先ほどのように扱う。過去のフラッシュバックによる再体験が起きる。そして、特定の刺激が過去の不快場面の記憶を開ける鍵刺激へと発展する。

 自閉症者は、他社から借りた人格を使い分けることがある。成人になると乖離を利用して、自ら感覚モードを切り替え不快刺激を遮断する人がいる。乖離とは、記憶や体験がバラバラいなる現象。不快な状況において、意識を飛ばす技術を持っている自閉症者は希ではない。

 広汎性発達障害の児童青年が示す問題行動の大部分は、狭い視野で周囲の世界を眺め判断し行動するからであろう。

 高機能自閉症者のテンプル・グランディンは、大まかで曖昧な認知が苦手で、細部に焦点が当たってしまい、我々が見えないところに深い認知が生れる。抽象概念は視覚イメージに転換しなくては理解ができない。資格で考える特性を活かして、彼女は牧場の設計者となった。牛や馬の視点で見ながら牧場の設計をするのだから、優れた設計になる。全米の大規模な牧場の半数は、彼女の設計である。

 自閉症とはある種の異文化である。認知の特異性にも拘らず、感情は健常者と同じである。

 対人関係で自閉症を、孤立型、受動型、積極奇異型に分ける。孤立型は、人との関りを避ける。知覚過敏があり、重度の知的障害を伴っていることが多い。受動型は、受け身であれば人と関わることができる。早期治療を行うと、孤立型の子供が受動型に変わっていく。積極奇異型は、積極的に奇異なやり方で接する。マイペースで、注意の障害があり、多動である。小学校高学年になると多動が治まり、受動型に近くなる。

 児童期は子供の甘えを両親が受け止めてもらうことが大事である。4歳児までの幼児期が最も大変で、5歳ごろにコミュケーションが伸び、小学校では支持の通りも良くなり、状況理解も向上し、問題行動も軽減する。

 自閉症の認知特徴は、情報のノイズを除去できない、一般化や概念化ができない、認知対象との間に心理距離が持てないことである。

 ノイズが除去できないので、できるだけ情報を減らし、同時に二つの情報を出さない。言う時は言うだけ、見せる時は見せるだけにする。過敏症に対する配慮として、白紙に黒インクは、コントラストが強すぎて読みにくい。蛍光灯の微細な点滅を嫌うこともある。

 自閉症児は、何度体験しても慣れない。一般化もできないので、変化に対して強い抵抗/混乱が生じる。予定を変更せず、変更する時は予告を行う。予測に基づく行動修正や予定の変更などの困難を克服するには、スケジュールカードなどによって、見通しの立てにくさを補い、行うことを直線状に並べる。

 広汎性発達障害者への教育は、個別が基本。基本を固めた後に、集団への参加を行う。

 担任の教師が毎年変わるのは、自閉症児の教育は不可能だ。

■ アスペルガー問題

 アスペルガー症候群は、自閉症の三症状、社会性の障害、コミュケーションの障害、想像力の障害とそれに基づく行動の障害の内、コミュニケーション障害が軽微である。言語発達の遅れは無く、知能は正常である者が多い。興味の偏りやファンタジーへの没頭がある。不器用な者が多い。高機能自閉症や高機能広汎性発達障害と呼ばれる。

 高機能広汎性発達障害の児童は小学校のどのクラスにも在籍する。青少年による重大犯罪が、数多くアスペルガー症候群と診断を受けた少年により引き起こされている。

 学校カウンセラーが機能するか否かは、発達障害への知識と経験を持ち、彼らへの対応ができるか否かによって決まる。

 就労の問題。学校教育における彼らの適応は孤立である。職場では多彩な人間関係を要求され、対人関係のストレスが大きい。能力としては、練習をした経験の無いことは苦手で、応用ができない。いくつかの作業を並行して行うこともできない。安定した就労は工場労働に集中している。

 過敏症の世界に生きている者にとっては、それが当たり前であるので、周囲から指摘されない限り気づかない。

 小学校に入学すると集団行動がとれないことが支障となる。比喩や冗談の理解が困難。高機能広汎性発達障害は虐待されるリスクが高い。

 診断が遅れた者は二次障害も多い。被害傾向や孤立、非社会傾向、攻撃性などを持つ者が多い。

 心の理論とは、他人の視点や考えを把握する認知。自閉症者は、事実に引きずられて視点の把握が不十分になる。高機能広汎性発達障害では、心の理論課題を、健常者とは異なる脳の部位を使って推論を重ねながら読んでいる。

 小学校高学年になると、虐めから保護されていれば、社会規範を守り、演じることが可能になる。

 不適応が続けば、青年期にさしかかった時に、同一性障害がよく認められる。他者の目を持たないために、どこが問題なのか分からない。性同一性障害へと発展することも希ではない。

 広汎性発達障害の家族に、鬱病は多い。両社ともセロトニンの機能不全が関係している。親子の平行治療に入ることは少なくない。

 触法行為の要因と考えられるのは、診断の遅れと治療の遅れ、迫害体験。年齢が上がるにつれて、改善も再犯の予防も困難となる。

 発達障害の治療において最も必要なことは、障害に関する知識を提供し、新たな自己認識を手助けすることである。自己自身との関係修復は容易であるが、他者との関係修復は困難がつきまとう。他者との適切な接し方の指示を繰り返していくことで適応は向上する。

 発達障害児が不登校になったときは、一般の不登校と同じに扱い、登校刺激はしない方が良い、は誤り。

 小学生のうちに診断を受けた者の方が、成人した後の適応が良い。養護学校卒業者は、良好な転帰の割合が高い。高学歴は良好な適応を約束しない。

 早期発見による早期治療が有効。幼児期においては、集団行動の練習、養育者との愛着形成促進。学童期においては、非社会的な行動の是正と学習の補助、虐めからの保護。青年期においては、自己同一性の混乱に対する対応、対人社会性の獲得、自立に向けた練習、職業訓練、が課題である。

 仲間との交流は支えとなるが、小中学生から交流がある者同士が共に青年に成長する経験が必要で、いきなり青年を集めても支え合いは困難である。

■ ADHDと学習障害

 注意欠陥多動性障害(ADHD)は、多動、不注意、衝動性が症状。

 子供は多動な存在である。7歳で3〜4歳の行動制御能力であるときに、ADHDと診断する。多動そのものは小学校高学年を過ぎると軽減する。

 深刻な問題を伴う多動を呈する児童は、ADHDよりも高機能広汎性発達障害である者が多い。

 ADHD症状の要因は、ドーパミン系およびノルアドレナリン系神経機能の失調がある。

 本人自身も自らの欠点はよく知っており、メモを取ることを心掛け、すぐ判断せずに一晩寝てから決めている。

 多動に基づく行動障害は、愛着形成の遅れから失跡過多による自己像の悪化や、大人に対する反抗といった二次問題を生じやすい。

 ADHDの小学校年代の治療は、薬物療法と環境調整である。ノルアドレナリン系とドーパミン系経路の賦活をする。

 環境調整は、学習に際して周囲の刺激を減らす、叱責を減らすことが中心。教師の近くの席に移動するだけで学習が改善する場合もある。睡眠不足は不注意を亢進する。早寝早起きをを指導する。本人のやる気は最も大きな要素。おだてまくることが必要。努力すればそれなりの成果が挙がる体験は、全ての子供に必要な体験である。

 発達障害の子供を教える塾など、発達障害の臨床では、地域の社会資源に関する知識が重要になる。

 学習障害への対応の中心は、特別支援教育である。障害のある領域を賦活し、バイパスを作る作業である。教科学習だけでなく、作業療法、理学療法が有用である。ノイズを全て排除し、問題だけを提示するなどの工夫も必要である。

 小学校高学年になると、学習が改善されることが多い。神経網の完成もあり、学習の補いを行い、情緒問題を引き起こさなければ、問題を残さない。

■ 子供虐待という発達障害

 軽度の発達障害は虐待の危険因子となる。愛着行動は安定した対人関係の基礎である。子供虐待は、衝動や怒りの制御に障害をきたす。

 広汎性発達障害は、強い遺伝素因が認められる。

 虐待による多動性行動障害は、ADHD様症状と呼ばれ、ADHDと区別される。

 解離はトラウマによって起きる精神症状の内で最も頻度の高いものの一つ。解離は人間だけの現象ではない。狸が驚いたときの狸寝入りも解離症状である。

 解離の過程症状として、物事の実感が無くなる離人感、何かに操られているような被影響体験、お化けが見えたりする解離性幻覚、没我状態に陥るトランス体験、別々の人格が現れる交代人格状態、普段とは違った状態へと切り替わるスイッチ行動、内なる宇お化けなどに邪魔されて考えがまとまらない解離性思考障害、などがある。

 統合できない体験が解離の種となる。トラウマが生じたときに、その記憶は主人格から切り離される。トラウマごとにその記憶に結びつく部分人格が作られる。多重人格が出来上がる。

 被虐待児が多動になるのは、反復性のトラウマによって、注意集中と刺激弁別異常が生じるからである。フラッシュバックが引き起こされるようになってくる。

 5歳以下で反応性愛着障害を呈し、解離性障害は年齢が高くなるほど多くなる。非行も年齢が上がるにつれて増える。治療がなされない場合には、重度の抑鬱、様々な依存症などの重度の精神障害をきたす。情緒に関する育ちの障害である。

 一般的な発達障害よりも、子供虐待の方がより広範な脳の発達障害をもたらす。

 被虐待児のケアは生活を基盤としたものである。安心して生活できる場の確保、愛着の形成とその援助、子供の生活・学習支援、精神療法。

 我が国では、保護された被虐待児の8割が家庭に復帰している。保護する場所がないから否応なく家庭に帰している。我が国では、大人数の児童が一緒に暮らす大舎制の児童養護施設が被虐待児のケアを担っている。心の傷を持った者同士が集まると、攻撃的な行動が噴出する。里親制度の増加が強く望まれる。

 愛着の形成には、愛着を提供できる対象の存在が不可欠である。里親による養育が望ましいことは言うまでもない。また、子供と養育者との間に立って、吹き出す子供の問題行動の意味を、里親や指導員や本人に説明し、行動の修正を行うことが必要となる。

 被虐待児は、生活の練習が不充分。身辺の課題、規則的な食事、清潔習慣、整理整頓、学習習慣など広範に及ぶ。国語力の不足は内省の不足をもたらし、多動に拍車をかける。

■ 発達障害の早期療養

 新生児の脳の重量は平均350g。3歳で1000gを超える。増えるのは神経を繋ぐネットワーク。5歳で神経網は完成する。それから後は、神経網の剪定が起きる。神経の剪定が完了するのは10歳。選定に伴って、ミエリン軸索ができていく。

 幼児の脳は、一つの神経細胞が挫滅しても、バイパスが形成可能。3歳前であれば、言語中枢に損傷があっても、半数の幼児は言語の復活が可能である。

 幼児の脳は一つの神経細胞の興奮が周囲に漏れやすい。発熱に伴う痙攣が生じやすい。

 10歳は一つの臨界点。それまでに身についた言語や身振りが生涯の基本となる。小額中学年前に、身辺自立の課題を終えておかないと、それ以降に習得するのは困難となる。

 重度の障害の場合は、発達の過程は一種のリハビリテーションである。早く始めるほど、軽症化が可能である。病院の中ではなく、生活全体の中で発達を支えていく。両親や保育士の役割が大きくなる。

 家庭への子育て支援がより重要になっている。幼児検診において要指導児は3割に達する。

 親子通園が好ましい。不安を持つ親が家庭という密室で向かい合うリスクは大きい。子供を集団に放り込むだけでは放置に等しい。親との関りこそが必要である。

 健康な生活の基本は養生である。早寝早起きを基本とする日内リズム、適度な栄養と運動。生活の改善だけで行動が落ち着く児童は多い。朝食が日内リズムの確立に不可欠である。

 偏食が極端になるのは、こだわりと結びつきやすい自閉症や広汎性発達障害。少しづつ食事内容を広げる努力を続ければ、入学前に偏食は克服できる。

 運動については、両親と体を使った遊びを行うことに尽きる。

 今日は刺激の無い静かな環境が難しくなった。自閉症児は情報刺激に脆弱。少なくとも、テレビがつけたままの状態は不可。AV機器やゲーム機による刺激はできるだけ避ける。

 幼児に一番必要なのは安心。夫婦関係の安定が不可欠である。親子関係よりも夫婦関係の方が方が子供の心に大きな影響を与える。愛着の形成のためには、時間をかけて触れ合うことが第一。人の声と人の肌での育児が基本である。

 遊びは子供の生活の中心。遊びを通して、イメージが形成され、対人関係が進んでいく。

 身辺の課題は、トイレトレーニングとスポーンの自立が最初の課題。服の着脱、清潔習慣に進む。

 コミュニケーションは、言葉の理解が課題。その前提となるのが模倣の能力。園で指遊びができる、リズム体操の模倣ができる能力は表象機能に直結している。その場での模倣ではなく、時間が経ってからの後模倣が可能であれば、イメージを作る能力が備わった指標となる。さらに、タオルを見れば入浴と分かって次の行動ができる状況判断は、コミュニケーション能力の基盤になる。

 発達障害の臨床では、オウム返しが出現すれば、コミュニケーション可能な発語まではあと一歩。発語語彙が100を超えたあたりで、二語文が登場し、言語は急速な発達を見せる。

 接し方の原則はスモールステップ。最低でも2週間は粘らないと成果は上がらない。

■ どのクラスで学ぶか − 特別支援教育を考える

 発達障害の治療とは、治療教育である。

 画工の選択にあたってもっとも大事な選択は、授業に参加できるかどうか。通常クラスで個別の対応ができないは当然である。特別支援教室は少人数制だが、教師は通常の教員が中心。特別支援学校は、原則として、特別支援教育教員免許状を持つ教師が配置されている。

 テストでいつも50点以下の成績の場合、カリキュラムが不適切となっている可能性がある。学習への参加が可能なクラスに移る必要がある。達成感が無い状態で過ごすと、無気力と自己像の歪み、情緒問題に展開する。

 通常学級で駄目だったら特殊学級へという指導には反対する。子供にとって挫折体験となり、自尊感情を傷つける。小児科医が通常学級が好きなのは、成人になるまでフォローしていないからだ。

 特別支援学校の学校差は大きい。特別支援教育の軽視と専門性の不足が要因である。試し入学をさせて貰うと良い。通常学級の担任が持たせられないという理由で、特殊教育の担当者が決められていたことすらあった。

 日本の学校は良くやっている。学校への根拠のない批判は無責任だ。高校の中退、不登校、非行、どれをとっても欧米の十分の一以下。これは日本の教師が、行政の問題があるにもかかわらず、子供たちを守ってきたからだ。

 適正就学を推し進める必要がある。全ての子供にとって必要なのは、愛着者から与えられる肯定と、自分自身が育む自尊である。

■ 薬は必要か

 薬が劇的に効いた場合は、プラセボ効果を疑うべきだ。児童精神科領域で用いられる薬は長期にわたって用いられる。

 興奮しやすい症状にはドーパミン系の抑制材と、セロトニン再取込阻害剤が効果がある。

 薬物療法だけでは治療は不可能だ。問題の解決は本人の自己治癒力に委ねられている。健康な生活維持の努力なくして、何を行っても無意味である。

 成人精神科の医師は、大量の処方を行う傾向がある。副作用によるトラブルを引き起こす。

 春先と夏休明けは、不安定になりやすい。

 標的症状を定め、効果判定を行ってから用いる。家族だけでなく保育園や学校の教師にも評価に参加して貰う。

 薬物の助けなしでも健康な生活は送れる。明らかな脳の所見があっても、社会人として問題の無い生活を送っている人もいる。幼児期からの治療教育の積み上げでハンディキャップは克服できる。