「県立!再チャレンジ高校 生徒が人生をやり直せる学校」
黒川祥子 2018年 講談社現代新書

 学習困難児の学習支援をしていて感じること。母子家庭の辛さは、私自身がそうだったから想像はつく。けれども、私の母は女手一つで映画の仕事をしながら生活切り詰めて資金を作り、アパートを建てて子供たちの学費を作ってくれました。普通の母子家庭の母親のような「弱さ」とは無縁の「猛女」。だからフツ〜の母子家庭とは次元の異なる「強烈」な体験もしました。時々思います。フツ〜の母子家庭の方が良かったんじゃなかって …。以下はこの本の中で、特に重要だと思われる部分を引用したものです。*は私の感想です。


■ はじめに

 今や7人に1人は貧困状態とされるこの国において … 困難な状況におかれている生徒を支え続けようとする教師が多数いる。

■ ひどい学校

 渡辺靖(仮名)は、早稲田中学から早稲田高校、早稲田大学に進学 ← おい!私はこの本の主人公と同じ学校の出身だというのは何かの縁なの?

 生活習慣の基本ができていない子が多い。一人親、生活保護の課程の子が多い。挨拶ができない、お礼が言えないのは、小さい頃から一人で放っておかれたからだ。

 生徒の自立を育む職業教育の基盤は「人を信頼する」ということだ。信頼できる大人と出会い、困ったら相談できるということを知ることが第い歩だ。

■ 貧乏神と熱血漢

 発達障害の子に限定した支援はよくない … 子供を診断名だけで理解できるわけがない。
*そうは言っても、発達障害の子供を健常児と一緒の学校に通わせるのは、本人にとっても幸せとは思えない。教師の情熱や理想でどうにかなる問題ではない。この本の中でも、何とかなっているのはアスペルガー症候群の子供だけ。学習に障害のある子どもを何とかできるのは、特別支援学校だけだと考えます。

 「何に困っているのかな」という目線で子供と接すれば、子供が困っていることが見えてくる。それがその子の教育ニーズである。

 生徒を支援する学校の指針。わかる授業のための少人数学級、学力選考の廃止、就業教育のための実体験からの学び、地域との協力関係。

 問題行動を起こす生徒は、大人への反発や不信感を持っている。「お前のことを真剣に考えているんだ」と正面から向き合うことで、どんな子でも真っ当な世界に戻ってくる。

 底辺校にしか入れなかった劣等感と人生への不安。生徒たちは「何をやってもダメ」と諦めている。

 家庭の経済格差と子供の学力格差には相関関係がある。家庭に期待するのは無理だから学校なんだ。

 生徒指導の大原則は、頭髪・服装から。従わない生徒には出ていってもらう。そうすれば地域の評判がよくなって、「いい子」が入ってくる。進学校ならば公立でも、私服で頭髪指導の無い学校もある。

 子供たちの抱える問題が厳しければ、担任だけでは解決は難しい。時によっては学内だけではなく、児童相談所、医療や福祉など外部機関との連携も必要とされる。

 文科省や教育委員会の指図どおりの学校を作ってもどうしようもない。問いは2つ。「今ここにある資源は何か」「その資源を使って何ができるか」。

■ 改革前夜

 教員と言うのは、金儲けという欲も、上昇志向という野心もない。

 スクールカウンセラーは、虐めが社会問題となった1995年度から徐々に学校に派遣されるようになった臨床心理士。それは生ぬるいやり方でしかなかった。

 「困った生徒」ではなく、生徒自身が「困った」ことを抱えている「困った生徒」だとわかる。過酷な環境で生徒たちは生きていた。目の前にいるのは「苦しんでいる生徒」なのだ。

 学校では平等の原則から、「集団として」生徒を見てきた。そうしないと、えこひいきしていると糾弾される。しかし、生徒は個別に見ていく必要があった。

 生徒指導は、生徒に自ら考えさせるものだ。

■ すべては生徒のために

 今の学校は、荒れているというより疲弊している。悪さをする子は減ったが、退学率は高い。

 教員が児相(児童相談所)に福祉職として配属されるのは珍しいことではない。児童虐待の深刻化とともに、文科省が学校と福祉機関との連携の必要性を認め、各自治体で児相へ教員を出向させることが増えた。一時保護された子供に勉強を教え、寝食を共にする。

 保護者による養育は困難と判断すれば、国が保護者の代わりに養育する義務が生じる。社会養護は、里親か養護施設での養護の形をとる。

 場当たりという言葉があるが、重要なのは場に当たって逃げないことだ。その場その場の経験をするほど、力量は高まる。

 高校生なのに1〜2歳の弟や妹がいる子が多い。たいていは母親と再婚相手の子だ。

 ボランティアの学生に来てもらって、マンツーマンで勉強をみてもらう。わかれば誰だって楽しい。今までわかるように教えてもらってこなかったのだ。

■ 再チャレンジスクール

 入試が無くなって、外国籍の子や外国にルーツを持つこの入学も増えた。

 子供にとって大事なのは家庭だ。ここには愛情過多の子はいなかった。食事を食べていない。親が逃げていない。弟や妹の弁当を作ってから学校に来る。そういう子が普通にいる。生徒を帰すことができる家庭が無い。学校は最後のセーフティーネットだった。自分だけの力では、やり直しなんてとてもできない。

 昔の子供には力があった。暴れるエネルギーがあった。今は自尊感情や自己肯定感が低い子ばかり。生きるエネルギーが低い。同じ母子家庭でも今の親は、自分のことで精一杯。子供の事を気にかける余裕はない。

 親に抱きしめられていない。親の笑顔を見て育っていない。学校でもかまってもらったことがない。自尊感情がとてつもなく低い。とにかく、「お前が大切だ」というメッセージを発し続ける。決め手は、教師同士の関係性だ。教員同士がつながりあって、生徒と向き合うしかない。

 「お前のこと、わかってるよ」なんて口に出せるわけがない。目の前の苦しい子に「わかる」なんて言えない。だから言ったこともなければ、思ったこともない。

 虐待を受けた子が自分を守るために、意識を飛ばして辛い時間を耐える。それが「解離」だ。多重人格に発展することもある。

 親から大事にされていない子供たちは、こちらが受け入れてサポートする姿勢を見せると、シュッと手のひらに乗っちゃう。

 生活保護世帯の子、発達障害の子などを支援し、就労まで結びつけていくのは、しっかりした組織の力がないと難しい。卒業後のしくみを作る。

■ 卒業後の居場所

 図書館を運営する「学校司書」は、教員ではなく「行政職」。

 欧州では、自立困難な若者に対して、国がお金を出して、教育と職業訓練を結びつけて、支援していく仕組みを作ってきた。教育と福祉と労働を担うことができる教育。日本では、教育は文部科学省、就労支援は厚生労働省。縦割り行政ゆえに、教育と就労が結びつかない。

 「地域若者サポートステーション(サポステ)」は、就労に悩みを抱える15〜39歳の若者に対し、キャリアコンサルタントなどによる相談や就労体験により支援を行う相談機関。

 働く親の姿を見たことが無い子供たち。母親が家事をしない家は凄まじい。

 「中卒者と高卒者の年収の違いは一目瞭然」「高校は卒業した方がいいよ」。教員じゃない、アニキのような存在は大きい。

 親が食費だけ置いて出て行く。学校に行くようにと起こされることもない。そのまま家に引きこもり、社会スキルもコミュケーション能力も学ぶ機会がない。生まれてきて良かったという充実感を味わったことがない。生活保護の世代間連鎖しか目の前にない。

 大学は自分で稼いで、奨学金を利用して行くものだと思っている。夢を実現するために、就職しないでバイトする。バイトしてお金を貯めて、その金で学校に行く。フリーター生活を経て進学できた子はいない。お金は貯まらない、遊びも覚える。夢を諦める。手にしたのは不安定就労だけ。

 生徒にとって、希望とはなんと大切なものなのか。具体的なものを見せてあげた時に、生徒はこれほど大きく変わるものか、と実感した。

 在学中にアルバイト代を貰える形の職業訓練をする。卒業後の正規雇用につなげる。家庭で普通に学べることを何も学べないまま社会に出れば、不安定な仕事しかない。若者たちを助けてくれる協力企業を募る。

 労働するという生活習慣がない家庭で育っていると、圧倒的に社会性が無い。常識も無い。常識的な人から見れば、その子たちへの違和感がある。その違和感を本人たちは自覚できていない。自覚していないのだから、直しようがない。自覚させていくだけでも時間がかかる。我慢強く時間をかけて教えていくしかない。

 子供たちは虐待を気づかれず、苦しみに耐えてきた。被虐待児は「私が殴られるのは、私が悪いからなんだ」と思い込まされている。

 子供を支えるためには、親に対する支援も必要なのではないかと痛感するようになった。

■ 終章

 「無理しちゃうんですよ、あの子たち。キャバクラから学校へ通っている子もいる」。

■ おわりに

 「生活保護の世代間連鎖が起きています。三世代連鎖もザラにあります」。