「物理講義」 湯川秀樹 1077年 講談社学術文庫

 湯川さんは、物理というより「数物」の人なので敬遠していたのですが … 読んでみると案外面白い。何でも敬遠しちゃいけませんね。この本を読んだ素直な?感想は、「物理学も宗教だ」です。 以下はこの本の要約と引用です。*は補注です。


■ 講義

 もともと、素粒子というような世界はおかしなことばかりです。

 力学は、質点から始まります。しかし、ニュートンはどこにも質点とは言っていません。ニュートン力学は数学。経験科学という性格が弱くなっています。はじめに微分方程式ありきです。ニュートンがやったのは、光学、力学、錬金術、神学です。

 物質は分割できるというのが伝統でした。結局において連続しているということです。連続の中では物が動かないわけです。空虚(隙間)の無い世界における運動は考えにくい。開いた席が無いのに、席を変わるのは難しいということです。原子論のいいところは、隙間があるからいいのです。これはデモクリトス以来そうなんです。

 物体は、同一性を持ち続けている。ニュートン力学は、物質の無い所を、物体が動きまわるということです。ニュートンの考えていた原子は、デモクリトスの原子=剛体です。

 ニュートンは生まれた時、父親は亡くなっていた。3年後に母親は再婚。孤立無援でしかも、体が弱かった。子供もいない。そこへ神様を持ち込んだ。

 ハイゼンベルクは、何か中心的な秩序を求めています。プラトンの「ティマイオス」を読んでいます。原子を、地・水・火・風の正四面体と対比させています。正多面体は、最も高い対称性をもちます。ハイゼンベルクは、秩序は対称性を表したものと考えます。

 ボーアのコペンハーゲン解釈は正しかった。確率振幅に時間発展を考える場合には、時間領域の因果律を認める。空間領域での独立性を認める、量子力学の因果律が確立された。

 質点の自由度は3。広がりを持ったものの自由度はたくさんあります。その中で、一番簡単なものが剛体です。オイラーは流体=連続体の力学を扱うようになります。

*力学では一つの系の位置を決定するのに必要な独立の量の数を、その形の自由度と言います。N個の粒子から成る系ではその自由度は3Nである。

 物質を連続であるがごとくに考える。結晶格子が並んでいる。表面を通してお互いにストレスを及ぼしている。歪と言うのは対称テンソル。応力の方も対称テンソルです。私はその議論が解らないのです。回転があれば、歪に非対称性が出てきます。応力にも対称でない部分があります。回転(スピン)があると、反対称の項は落とされちゃう。尤もらしくはあるけれど、気持ち悪い。

*弾性体のストレインとストレス。外力によって生じた形の歪(ストレイン)と言う。物体の各部分間は互いに力を及ぼし合っている。この力を応力(テンソル)と言う。
 弾性体の歪を数学的に表現すると、二つの軸について対称であるとき、その量を対称テンソルと言う。

 物理学は、空間がないと困るんです。空間は、たくさんの点の集まりです。空間というものは一つしかない。場所を決めるために座標が必要になります。

*ニュートンの運動方程式では、1個の粒子の質量m、速さvと力Fから出発する。多数の粒子を扱うときは、連立方程式となって扱いが難しい。そこで、一つの自由度ごとに一般化指標qrと一般化運動量prを用い、ダランベールの原理によって運動の問題を静止の問題に書き換えて、平衡条件と変分原理を使う形に直すことにより、ハミルトンの正準方程式が導かれる。

*ダランベールの原理とは、運動する物体に働く力と、その物体の質量と加速度に比例する慣性力を仮想的に導入することで、運動の問題を静力学の問題に帰着させます。
(F - ma) = 0 F: 物体に作用する力 m: 物体の質量 a: 物体の加速度

 ユークリッド空間であることは、三平方の定理が成り立っているということ。互いに直角の運動は独立だということです。

 コリオリ力と言うのは難しいものです。コリオリ力や求心力=見かけの力があるような座標系は慣性系ではありません。

 作用と反作用は、力をそういうふうなものだけに限る、それだけが本当の力だと言うわけです。マッハは、見かけの力を区別するのはおかしいと主張します。

 場とは何であるか?場は力の概念と結びついています。質点は動きますから、そのほかのところは隙間だらけです。粒子は相対論でも自己同定を続けながら走っていく。ミンコウスキー構造を持つ四次元時空は、ニュートン力学と同様に、一つだと想定されます。

 剛体はニュートン力学的な概念です。形が変わらないのが剛体です。座標系に無関係に剛体である。物差しが剛体でできている。走っている物差しは短くなります。

 ニュートン力学では、原因と結果が時間順序で規定されます。ラプラスの悪魔は、現在の状況に関する情報は全部知っている。運動法定式を解くと未来が全部わかる。

 素粒子をやっている人は、重力は非常に弱いですから、ミクロな世界では無視します。

 波動は、物がたくさんなきゃいかんのです。たくさんの粒子、その極限としての連続体、そういうものがなければいけない。

 運動がまず基礎にありまして、それがたくさんありますとそこで波という現象が起こるわけです。波というのは現象であります。物理学においては、物質というものと物質の運動からでてきた現象とを考えた場合、物質が本体であって、現象は本体に対する見かけみたいなものと考えてきました。

 エーテルが無いのではなく、「場」になった。場というのは、時空点の点事象です。

 シュレーディンガーは、自然界は連続であると言っている。波動一元論です。波動そのものが実在だと言うのです。ψ関数そのものが電子そのものだと考えるわけです。

 測定すれば波束の収縮、一瞬にして波が縮まる。一瞬にして収縮するのはおかしい。

 ψ関数はシュレーディンガー方程式に従って変化していく。この因果律に解釈を与えようとすると、確率解釈になり、昔の因果律は成り立たない。非決定性を持つ。未来は決まらない。決定論でないと精密科学になり得ないという考え方があります。量子力学は、非決定論の方がいい。

 シュレーディンガーの波動方程式は解り易いために普及した。第二量子化をやると、多体問題=多次元のものを引き戻せる。波動関数はオペレーターになります。

 波動場には色々なものが考えられます。光子とか電子は、量子化された場として表される。場というのは、四次元の物理量です。

 時空(幾何)と物質(物理)。一般相対論の時空構造は空間の計量テンソルで決まっている。計量テンソルとその微分から作られている曲率テンソルは容れ物であって、物質のエネルギー運動量を表すテンソルは中身です。物質によって時空の構造も変わります。何かそこに物質粒子があると、その粒子の運動は測地線にあります。最短距離をいくようになっている。曲率テンソルは幾何的な概念ですね。

 空間自体の四次元連続体というのは成り立たないのではないか。時空の問題についても不連続性が現れるのではなあかろうか。

 素粒子論は、場の量子論と形が違う。相対論や量子力学の制約を守る。局所場というのは、量子化された演算子をψとおくと、これは各点に対して[ψ(x,y,z,t)]という物理量をつける。ある種の素粒子を作るとか無くすとかそういう演算子です。それに共役なものがある。交換関係があります。非常に局所的です。タイムライクな場合には、因果関係を表す。

 私は、非局所場を考えています。点ではなしに拡がったもの。O点とA点は因果関係にある。ABOの三つ、三つの点を全体として一つのもの、中で干渉しあっている。

 原因と結果は分離できないと思っていました。一緒に考えるということは同時的だということ。その拡がったものの中にタイムライクな二点があっても、そえを同時に考えることをしなければいけない。時間ライクなものを空間ライクに考えるということです。

 マルコフ過程。時間の方向に紐みたいなものを考えます。A1の振動はその次のA2の振動を決めていくというようなストリングの方程式は差分方程式的です。

*物理法則は時刻tとt+Δtの間の関係を示す微分方程式の形で与えられる。t+aにおける変化を差分と言い、二つの時刻の間の変化を規定する方程式を差分方程式と言う。

 ヒルベルト空間の不定計量。南部陽一郎さんの第三量子化。この空間の中では、順序のつけられる点とつかない点がある、と言うのです。

*ヒルベルト空間
量子力学の運動状態は無限次元のベクトル空間での一つのベクトルで表され、その長さは正である。しかし、負であるようなベクトル空間も考えることによって簡単になることがある。

 我々は外界と言うものを視界で認識します。視線が動いて現在のイメージができる。時間の幅があるんです。子供は、三角形の縁をなぞる。これで三角形が見えたと思うわけです。大人は、三角形の頂点の近所をさっと動くだけで三角形を認識します。

 網膜には中心に感度の良いところがあります。網膜は拡がっていて、周辺部も見えている。視線でたどらなくても全体をパッと認識できる。

■ あとがき

 非局所場は、時空に広がった素粒子像にもとづく素粒子論の統一記述。

 物理学も、人間が創り出したもの。