「ソグド商人の歴史」 エチェンヌ・ドウ・ラ・ヴェシエール 2019年 岩波書店

 ソグド人の歴史に関する「世界的研究者による中央アジア史研究の基本書」とのこと。女房の蔵書から借りて読んでみました … とは言っても、最後の「結論」の部分だけ拾い読み。だって、私は女房のように研究者と言うわけではないからね。因みに、女房の専門は、古代の中央アジア〜西アジアの宗教美術。仏教を中心に、ゾロアスター教からマニ教までの時代をカバーしています。これで、ほんの少しだけ、女房に近づいた≒女房とのウズベキスタン旅行を楽しめるっていう訳です (^^♪ 以下は、この本の要約と引用です。


 前二世紀、ソグド人の交易は地域内に留まっていた。その後300年間、中国の絹は、初めは外交的な贈り物として、次にインド商品とバクトリア商人が輸入する交易品として輸入された。

 バクトリア人を介して、南方に広まっていたラピスラズリが黒海の北に現れる。ソグド人はバクトリア人の後に続いてインドと中央アジアの間で商売をし、その共同体が、クシャーン帝国やタリム盆地、甘粛、中国の各王朝の都に徐々に形成されていく。

 4世紀から5世紀に起きた侵略と戦争は、インドと中国の間に貿易に被害を与え、バクトリアを荒廃させた。結果としてソグド人は自由に行動できるようになった。ソグディアナは、中央アジアにおいて人口が集中する場所となり、5世紀から6世紀には、ソグド商人は交易ルートを自分たちに有利なように変更した。この時代にソグド人の交易のエネルギーは最大に達した。

 幸いなことに、中国から突厥帝国に貢物が支払われたことで、ソグド商人は貢物の絹を掌握した。中国が中央アジアに軍事的に拡大した。その結果、タリム盆地のソグド人は膨大な利益を得た。ソグド人は中国の軍隊と役人に奢侈品を供給し、対価として絹を得ることができた。

 ササン朝の保護政策によって南方での活動が阻止されると、ソグド人は、はじめは突厥、次にハザールの政治的保護を得て、より遠くビザンツへと販路を開拓した。テュルク・ソグド人社会が突厥第一・第二可汗国と中国において交易の主導権を掌握し続けた。

 ササン朝帝国の崩壊によりソグディアナがアラブ軍によって徐々に征服され、次に中国で安禄山の反乱が起きたことによって、政治的な均衡が変化すると、遠距離交易は致命的な打撃を受けた。この時期にペルシャ商人は海上交易を発展させ、8世紀にはライバルのソグド人に対して優位に立つことができた。

 ソグド人の交易が地理的に最も拡大した時、クリミア半島から朝鮮半島まで、ユーラシアのステップ地帯全域を包括していた。遊牧民と安住民の仲介者の役割を担ったソグド人は、馬の交易に関与したことで、イスラーム時代の毛皮と奴隷の交易の先駆者ともなった。奴隷と香はソグド人が最後まで扱った。ソグド人はその交易を10世紀まで掌握し続けた。