「科学と非科学」 中屋敷均 2019年 講談社現代新書

 タイトルが面白いので手に取りました。面白かったけれど … 中身は薄かったかな。以下はこの本の要約と引用です。*は私の見解です。


■ プロローグ

 現代において「非科学」は、社会に存在してはならぬものという響きがある。

■ バーバラの見た夢

 「メンデルの法則」によれば、形質は交じり合うものではなく、塊として振舞う粒子のような因子により決定される。

 1951年に発表されたバーバラ・マクリントックの仮説は「動く遺伝子」。トウモロコシを交配して育て、その細胞を顕微鏡で観察するのが彼女のアプローチ。それで遺伝子の動きを理解できた。合理と直感が一体化していた。

 現在では、多くの研究者が予算の獲得や研究全体の統括を行い、実験は研究員がやっている。バーバラは、全てを自分でやっていた。

*私の場合
 断食座禅をすると、ドーパミンが出て思考が活性化されます。思考は本来、非言語です。思考すると心象(イメージ)が現われます。それが数式(モデル)になり、そのシュミレーション(思考実験)によって、思考の結果が言語化できます。

■ 神託を担う科学

 神託の地-デルフォイ。紀元前5世紀のペルシャ戦争の神託は有名。神託を授かるビュティアと呼ばれる純潔の巫女が、アポロン神殿の中心にある地中深く掘られた場所に座る。トランス状態になった巫女の言葉を男性神官が書き留め、意味を解釈する。その場所の湧水からは、メタン・エタン・エチレンが検出される。エチレンの麻酔効果により、対外遊離や陶酔感が得られる。

 デルフォイの神託は、社会合意を形成する「装置」だった。デルフォイ信託が必要とされたのは、古代ギリシャが民主政であったからである。神託が賄賂で捻じ曲げられていても、それは問題にはならない。王であれ、教会であれ、神託であれ、社会合意を形成するための装置にとって、必要なのは権威である。その権威を疑う者は罰せられる。それらの装置の権威が失われれば、社会秩序の崩壊につながる。

 現代は、「理性で世界を理解することができる」と「信仰」されている。

 福島第一原発の事故。SPEEDIは原子力発電所から放射性物質が放出された時、放出源情報・気象情報・地形データなどを基に、放射性物質の拡散を予想する。SPEEDIの情報を適切に公開していれば、無用の被曝を防げたという批判がある。SPEEDIの運用は初めてだった。避難の参考となる情報を公開するなら、現地の放射線量を計測することが必要である。しかし、サンプルを収集し分析している間に住民は被曝していく。正確さを追求すれば役に立たないし、役に立つことを優先すれば正確さを欠く。何もできなかったのは致し方無いことだった。

 社会に「神託」を下す装置としての科学と、この世の法則を追求する科学。「科学」は、分からないままに「神託」を下さなければならない。社会問題に科学がコミットするとき、社会の要請との妥協の産物となり、問題は複雑になる。

 繰り返し起こることは法則化できる。法則化できたことは、他の現象にも応用できる。同じことをすれば同じ結果が返ってくるという仮定がある。

 試験管の中では100%効果がある薬の効き目が、体の中に入ると効果が消えてしまう。酵素が分解してしまう。薬が患部まで運ばれない。効きを阻害する物質がある。レセプターに個人差がある。

 現実の命題に対する科学の回答は、確率的なものになってしまう。「大体、安全です」に対して「もし、うちの子が何かあったらどうしてくれるんですか」と怒られたら、お手上げだ。

 農薬の検査項目は増えている。急性毒性、慢性毒性、発癌性、環境への作用、残留性 …。「病原菌を殺す薬が、人間に無害な筈がない」。抗生物質は、人には害が少ないものである。現在の農薬の多くは、抗生物質よりも危険性が少ないものばかりである。

 安全性試験は対象の農薬を単独で供試しており、混合物の毒性は調べていない。この問題は医薬品や食品添加物でも同じ。だから、「大体、安全です」と答えるしかない。どんな対象でも「ゼロリスク」にはならない。「偶奇(偶機)」のリスクは必ずある。

 どこまでが分かっていて、どこからは分かっていないかを説明できるのが専門家。実証されている領域に比べて、実証されていない領域は大きい。

 根拠となる事象の情報が開示され、誰もが再現性を検証でき、自由に反論が可能なのが科学。この世で言われていることの多くは不完全なものである。間違いが分かれば修正すれば良い。それだけのことだ。過去の蓄積を記録し、そこから変化する。不動の真理は無い。

 2013年の「ネイチャー」誌には、医学生物学論文の70%以上で結果を再現できなかったと報告している。

 「科学」の確からしさを判断するモノサシは、「ノーベル賞」や「ネイチャー」や「有名大学」などの「権威」。権威主義に基づく判断は解り易く、ある程度は役に立つ。「分からない」という不安から逃れる。権威主義はそこに忍び寄る。

 「科学は、最も攻撃的で、最も教条的な宗教」ポール・カール・フェイヤアーベント。

 権威は硬直する。権威は間違えられない。権威は不安に応えるために存在している。権威は、権威が崩壊する恐怖に耐えられない。「権威ある研究者」の間違った学説が、その人が存命中はまかり通る。

■ 不確かな科学とともに

 航空科学によって飛行が可能であることが証明されたから、飛行機を作ったのではない。リリエンタール兄弟やケイリー卿が行った飛行の原理に対する科学のアプローチは大切だった。しかし、分からないままに人は飛んだのだ。飛びたいから飛んだのである。科学は、彼らの意思を追いかけた。

 「科学の真理とは、その時つける最善の嘘」日高敏隆。「厳密に考えると、何も確かなことは無い」は、「意味の無い情報」である。

 「AIには恐怖心が無い」羽生善治。生物は「見えない危険」を避けようとする。「闇」に何を見るかは、個人の感性や経験に依存している。

 リスクは0にできない。運が悪ければ死ぬ。

 福島第一原発で、津波対策が行われなかったのは著しく不適切だとは言えない。事故以来、津波対策が行われている。原発が完全に制御不能な状態に陥ったら、関東北部から東北の全域が避難対象となり、避難者数は3000万人を超える。「たかが電気のために、広大な国土が使えなくなる危険を持ち続ける必要があるのか」坂本龍一。原発一基には広島型原発の1万発分の放射性物質が存在する。危険性はあまりにも甚大である。

 危険を恐れながらも、踏み込まなければ、何かを成し遂げることはっできない。それは確かだ。一方で、怖れに基づいた抑制は、「神の戒め」や「村の掟」のような」形で存在していた。科学の限界を認識し、傲慢合理主義から超える。

 アフリカ象は、大きな牙を持つ。密猟の影響で牙を持たない方向に進化した。

 若手の研究者は、優秀であっても安定したポストが得られない。40歳を超えても、家族がいても、任期が来れば職が無くなってしまう。そんな職に就きたいとは思わない。評価される「目先の研究」ばかりになる。

 運営費交付金を貰うために、文科省の指示に従う。大学院生が、企業に必要なデータを出す。研究費を出してくれた企業のために働いている。

 「放射線に耐える奇妙な果実」という名の細菌は、放射線量の高い場所ではなく、ごく普通の環境で棲んでいる。生命は、この無駄によって、核戦争が起きても生き延びる。

 科学に対する投資は、無駄なものだ。学問の自由、大学の自治。それはイデオロギーではなく、新しいものを生み出す場として、必須の要素だ。

 分子と分子の結びつきの特異性。生体分子の特異性により、形が生まれる。それにより、生命は成り立っている。遺伝情報は、分子を特定の形に整列させるもの。

 人と人の「つながり」は社会も形作る。

■ エピローグ

 「偶然とは、無知の告白である」ピエール=シモン・ラプラス。偶然の連続に安易に意味を与えてしまう。人間特有の誤謬であろう。