ウズベキスタンの旅(2日目)。
ホテルの窓から見た朝日。さあ、ゾロアスター教〜イスラム教へ、宗教芸術の旅が始まります。
タシケント駅。ウズベキスタンの新幹線、韓国製の「アフラシャブ号」に乗りました。日本の新幹線より乗り心地が悪い。日本のロングレールなど、技術って凄いんだな〜と感心しきり。社内で妙な軽食が出ました。何かな〜 (*_*)



アルク城。素朴な美意識を感じさせるお城です。
*アルク城の最初の建設は紀元前4世紀頃に遡るとされています。サーサーン朝やその後のイスラム征服(7世紀)により、アルク城は再建され、強化されました。特に、イスラム時代にはブハラが重要な文化的・商業的中心地となり、アルク城もその重要性を増しました。

ねむの木に花が咲いていました。女房が夜は「葉が寝る」から「ねむの木」なんだと教えたら、ガイドさんが感心してました。
桑の木には沢山の実が生っていました。通りがかりの人が採って食べるんだそうです。



カラーン・モスク。黄色のレンガが多く使われています。青が増えるのは後世のことなんだそうです。
柱は彫刻が施された胡桃の木。壁は日干し煉瓦。黄色が主体のモスクに、親しみが湧きました。特に木の柱は素朴な味わいがあって好きです。
*カラーン・モスクは、1127年にカラハン朝のアルスラン・ハーンによって建設されました。この時期、ブハラはすでに重要なイスラム学問と文化の中心地であり、モスクの建設はその地位を強化するものでした。
13世紀初頭、モンゴル帝国のチンギス・ハーンの侵攻によって、ブハラ市は大きな被害を受け、カラーン・モスクも破壊されました。
16世紀初頭にシャイバーニー朝のウバイドゥラー・ハーンによって再建されました。現在のモスクの構造はこの時期のもので、特に1514年に完成したものとされています。
カラーン・ミナレットは1127年に建設され、高さ約47メートルで、当時としては驚異的な高さでした。ミナレットは「死の塔」という別名もあり、時には犯罪者の処刑にも使用されたと伝えられています。