「百人一首」 1994年 マールカラー文庫
何をトチ狂ったか、「小倉百人一首」です。以下に好きな歌とその解説と歌人と逸話、それに私自身の思い出噺などを記しました。
■ はしがき
「小倉百人一首」は、時代順に配列され、和歌史を上でも重要な文献です。カルタになったのは室町時代。江戸時代には広く親しまれました。
■ 百人一首
5. 猿丸大夫
奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋は悲しき
6. 中納言家持(大伴家持)
万葉集の編者。785年、桓武天皇の治世において、藤原種継が暗殺される。種継は桓武天皇に近い有力な貴族で、平安京遷都に関与。桓武天皇は犯人とされる者たちを厳しく追及。藤原氏との対立により、大伴家持も反乱を企てたとして疑われ、政争に巻き込まれ処刑された。後に無実が証明され、名誉が回復された。死後には、藤原種継殺害の主犯とされ、子が流罪になった。
12. 僧正遍照(吉岑宗貞)
天つ風 雲のかよい路ふきとぢよ 乙女の姿しばしとどめん
美男で歌が上手く、多くの女性に歌を贈った。出家後は妻子にも執着しなかった。
43. 権中納言淳忠(藤原淳忠)
あひ見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思わざりけり
53. 右大将道綱母
嘆きつつひとりぬる夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る
ある夜三日ぶりに藤原兼家が通ってきた時、彼女は門を開けなかった。翌朝、この歌を色の褪せた菊にさして兼家に贈った。
本朝三美人の一人。蜻蛉日記の作者。藤原兼家との結婚生活は決して幸せなものではなく、夫の浮気や不在に苦しんだことが『蜻蛉日記』に描かれている。
64. 権中納言定頼(藤原定頼)
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
網代は、川に杭を並べて下流に簀子(すのこ)を作り、上がってくる氷魚を捕る漁。その杭を網代木と言う。
77. 崇徳院
瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思う
流された隠岐で院は写経をした。経を都に送ったが送り返された。院は怒り狂い、その後は爪も髪も切らず、天狗のような姿で過ごしたという。
母が好きだった歌。正月のカルタで、この歌だけは誰にも渡しませんでした。
80. 待賢門院堀河
長からむ心もしらず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ
「末長く変わることはない」というあなたの心がわかりません。お会いして別れた今朝は、寝乱れた黒髪のように心が乱れて物思いに沈んでおります。
88. 皇嘉門院別当
難波江の蘆のかり寝のひと夜ゆゑ みをつくしてや恋わたるべき
難波江の入江に茂る蘆の刈根の一節(一夜)のような、旅先のたった一夜の仮寝を契ったばかりに、あの澪標(みおつくし)のように、生涯を尽くしてあなたを恋続けることになるのでしょうか。澪標は航路標識のこと。
96. 入道前太政大臣(藤原公経)
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは我身なりけり