「回避性愛着障害 − 絆が希薄な人たち」 岡田尊司 2013年 光文社新書
神経発達障害が疑われる子供たちの学習支援をしているので、こういう本は読まなきゃ!なんです。それに自分自身のためにもね。読んでみると、大学での講義の参考にもなりました。ありがとうございました!!! 以下はこの本の要約と引用です。
■ はじめに
回避性パーソナリティの人は、人と距離を置き、傷つく恐れのあることを避けようとする傾向が強い。親密なつながりを避けたり、結婚や子育ての責任を回避する。
愛着が希薄な回避型愛着スタイルが広がっている。日々の対人関係や家族との生活、性生活や子育て。親密さを前提とする関係が困難になっている。人類が別の種に分岐していると言えるほどの変化が生じている。
■ 新たな種の誕生?
愛着スタイルは、幼いころからの母親との関りに始まり、様々な対人関係を経験する中で確率される。
愛着スタイルは、安定化型と不安定型。不安定型は、不安型(とらわれ型|子供では両価型)と回避型と恐れ・回避型(子供では混乱型)と、未解決型に分けられる。未解決型は、愛着の傷を生々しく引きずる。
不安型は、相手にしがみつこうとする。回避型は、クールで表情を変えない。困った事が起きた時、不安型は大騒ぎする。回避型は、ただ一人で耐える。誰にも甘えられない。
恐れ・回避型は、不安型と回避型の両方の要素が混在する。他人に過剰に気をつかい親しみを求めるが、誰にも心を許せず他人が信用できない。最も不安定な愛着スタイルである。
回避性愛着障害は、重度で社会適応に困難を生じている症状を指す。
回避型の人は、自分の心中を明かさず、素っ気いない反応をしがち。一人で過ごす方が気楽。回避型の持ち主は、冷酷な人もいる。情緒を抑え、密接な関係や責任を避け、自由でいようとする。回避性パーソナリティに人は、傷つくことに敏感で、親密になったり、目立ったり、責任を負うことを避ける。
愛着スタイルを決めるのは、主に環境要因。特に1歳半までの養育環境が重要である。それ以降では、恋人や配偶者からの影響が大きい。
生まれて間もない赤ん坊への反応を増やすように指導された母親の子供は、成人しても変わらず安定型を示すことが多い。母親のスキンシップと共感応答が愛着は安定したものになる。
愛着は、抱っこや授乳だけでは育まれない。愛着した相手からの愛撫でなければ安心感は保証されない。愛着は、特定に人との特別な結びつきである。求めた時に、変わらずに応えてくれる存在に愛着する。
母親との愛着が安定した子供ほど、活発に外界を探索し、他者と交わろとする。「安心基地」は、積極的に活動する後ろ盾となる。愛着が安定した子供は知能も高い。
愛着は、オキシトシンとアルギニン・バソプレシンの働きによって支えられている。オキシトシンを阻害すると、オシドリの夫婦関係も崩壊する。オキシトシンの働きが良い人は、ストレスに関連した病気に罹りにくい。安心できる環境に育った人は、脳内にオキシトシン受容体が増える。
プレーリーハタネズミは、快楽中枢の線条体にもオキシトシン受容体が多く存在する。サンガクハタネズミは、オキシトシン受容体が少ない。
回避型の人は、親密な関係に苦痛を感じ、セックスにも煩わしさを感じることがある。
愛着が安定している子供は、母親と離れることに不安を感じるが、母親が戻ってくると喜ぶ。両価型の子供は、母親と離れることに過剰な不安を示し、再開しても怒りを示す。回避型の子供は、母親が居なくなっても、戻ってきても無関心である。メールの返事が遅いと不機嫌になる人は、不安型の特徴を示している。
回避型の人は、子供時代のことを、特に辛い体験のことを思い出さない。死別に対して、悲しみの感情を覚えない。そうすることで、自分を守っている。
回避型の中には、親から支配を受けたタイプがある。人に甘えられない面と、過度に依存してしまう面を併せ持つ。自立に困難を抱えやすい。
親にありのままに受け止められてきた人は、自分の感情を素直に表現することができる。
回避型の人は、とっさに反応できず、沈黙してしまうことがある。感情によって言葉が出てくるのではなく、頭で考えて言葉にしているからだ。
情感が乏しくとも、禁欲で正義感が強く、社会に貢献する人もいる。
・回避型愛着とパーソナリティ
回避型パーソナリティは、対人関係に負の感情しか抱かない。
依存性パーソナリティは、相手の顔色を窺い迎合して、庇護を得ようとする。
強迫性パーソナリティは、親から義務を強要された。秩序を重んじ、勤勉に努力する。鬱病になりやすい。
自己愛性パーソナリティは、賞賛と奉仕だけを求めようとする。他者からの避難には激しい怒りで反応する。過度な甘やかしと共感の不足の中で育てられた場合に多い。
反社会性パーソナリティは、他者を冷酷に利用する。子供時代に、親から否定されてきた。
シゾイド・パーソナリティは、他者との共感する関係を持とうとしない。自閉症スペクトラムと重なっている場合が多い。
妄想性パーソナリティは、他者が信じられず、警戒心が強く、他者を支配しようとする。信じられる人を求めつつ、誰も信じられない。
境界性パーソナリティは、気分が揺れ動き、自己否定が強い。気まぐれで移り気。
・自閉症スペクトラム
愛着スタイルが安定している人もいる。
どのような場合でも、安全基地を確立し、愛着を安定させることが、生きずらさを救ってくれる。
■ 回避型愛着と養育要因
個人主義化した近代社会ほど、回避型の割合が高くなる。近代化以前の社会では、回避型の人はほとんど存在しなかったと考えられている。
子供が母親に何かを求めてきたとき、母親がその子の気持ちを汲み取って応える。共感応答は子供の発達を助ける。そして、子供自身も共感応答する能力を身につける。
父親との関係が希薄だったり、抑圧的だったりすると、父親に対して抱く居心地悪さが、他人に対する恐れへと変化する。
肉親の早すぎる死や別離は、結果的にはネグレクトと同じ効果が生じてしまう。転居や転校も愛着にダメージを与える。
過剰な支配を受けた人は、自分の感情が曖昧(失感情症)。態度と本音の乖離が起きやすい。手順通りの仕事は完璧にこなすが、発想は苦手。主体性を持とうとすると、反攻に明け暮れる。
動物は傷ついた状況を回避する習性を持つ。期待して傷つくことを回避する。感情を消して葛藤を逃れようとする。回避反応は、本来一過性のものだが、長期化した場合には、社会生活全般に影響が及ぶ。
両親の不和は、子供にとって大きな苦痛である。愛情を肯定できない。
母親の死後、ヘルマン・ヘッセは次々と作品を発表し成功していく。自らの生きずらさについて自覚をもつようになるのは、中年になってユングの分析を受けるようになってからである。
■ 社会の脱愛着化と回避型 − 近代化・過密化・情報化がもたらしもの
画面を見る時間が長い人ほど、愛着が薄い。触れ合う時間を奪い、夫婦関係や子育てを困難にしている。
マインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰か不足している状態。
親との関係が不安定な人ほど、インターネット依存になりやすい。
母親は、家事だけでなく子育てからも解放されようとしてきた。哺乳類では、乳離れするまでの間、母親は子供を体に密着させているか、手元に置き目を放そうとしない。
自分の都合のいい時間に子供を構おうとするが、それは本来の応答ではない。それは無視と同じである。ビデオ育児も無視である。
愛着が希薄になるとダメージを受けるのは、夫婦関係の維持と子育てである。
子供を甘やかさず、早くから自立させようとする傾向が強い北ドイツは、回避型が多い。
生まれたばかりの赤ん坊は、母親から引き離され新生児室に集められる。母親に会うのは授乳の時だけ。泣き叫んでも、応えてもらえない時間を味わうことから人生を始める。添い寝が否定され、ベビーベッドに寝かせるようになる。自立は、他人に甘えなくなれば達成できるというものではない。
女性の職場進出が進む。ゼロ歳児が預けられると悪影響が現れやすい。
早期の母子分離は、愛着を軽視したものである。回避を促進する。
■ 回避型の愛情と性生活
回避型の人は、自己開示が苦手。他者との間に密接な関係を築くことが難しくなる。回避型の人は、歓びや関心といった肯定表情が抑えられる。気持ちが曖昧になり、決断が苦手になる。熱くなれず、「止めておこう」となる。
回避型の人は、相手を思い通りにしようとする一方で、相手の気持ちには応じないという解離もある。回避型の子供は虐める側になりやすい。
不安型の人は、自分の感情に囚われやすい。他人の痛みを見ると強いストレスを感じる。相手が求めていることを掴むのが上手ではない。
人と密接な関りを持ちたい、喜ばれたい。熱心に世話をしようとする。だが、それは独り善がりになりがち。過保護干渉が起きやすい。
施設化の進んだ現在の介護システムは、脱愛着型社会の結果。親が祖父母を介護する姿を、子供が目にすることもなくなりつつある。
安定した愛着の人は、愛する人との愛情の交換や反応を楽しむことができる。大きな満足をを得られるので、新奇な刺激を求めることはない。
不安定な人は、関係が短期間で終わりやすい。不安型の人にとって、性行為が重要な意味を持つ。自分を支えてくれる存在に対する性奉仕は代償でもあり証でもある。
回避型の人は性関係を持つ回数が少ない。自慰する頻度は多い。セックスに至るまでの厄介に思える。アイドルやキャラクターへの強い憧憬を持つことも多い。性行為においては、相手を支配しようとし、SM傾向を帯びたりする。乱交に陥ったり、禁欲生活をすることもある。
「上げまん」は、性活力のみならず、社会での成功も左右する力を持つ。
不安型の人は、情緒につながりを求め、性行為よりも、抱擁されることを求める。回避型の人は、情緒抜きにセックスを好む。相手の反応をみながら興奮するということが少ない。不安型の人には味気ないものになる。
回避型の人は。感情の力が弱い。相手の気持ちに気づかないこともある。自分の期待に支配されて行動するので、行き違いが生じやすい。自分の要求に応じるべきだと考える傾向もみられる。
回避型にとっても不安型にとっても、セックスを拒否されることは動揺を引き起こす。回避型の人は傷つけられた感じる。不安型の人は、決まり事のように求められるのは暴力に思える。
回避型の人は、自分の考えを主張しない。譲れない執着があるから、守るべき存在があるから、争いや葛藤が生じるのである。
回避型の人は、愛するがゆえに生臭い関係になるのを忌避してしまう。現実の生活には、繊細過ぎる感性は耐えられない。
回避型の人が長続きするのは、仕事や趣味を共有する仲間。
不安型の妻は、回避型の夫を世話をして、バランスが保たれる。不安型の夫が、情緒不安定な妻を支えるにもよく見かける。世話焼きに生き甲斐を感じる人と、世話を必要としている人の組合せは最良な結婚と言える。
■ 回避型の職業人生と人生
大きな企業が、役員候補を選ぶときに、社員と取引先から広くヒアリングを行い、対象者の評判を収集する。高感度が上位の人は、ビジネスで成功する確率が高い。愛着が安定した人は、信頼関係を築きやすい。同時に、仕事に感情問題や対人関係を持ちこまない傾向がある。
不安型の人は、仕事にも不安定な愛着問題が持ち込まれる。仕事の問題が、人間関係に置き換わってしまう。
回避型の人は、仕事は仕事と割り切り、仕事に情緒が入る混むことは少ない。仕事に熱中する。人望と言う点では難がある。仕事をする上で、協力や配慮が必要になると、ぞれを雑事としか思えない。結果、職場で孤立する。仕事で大きな成果を挙げても、実力に相応しい評価を受けない。回避型の人は、準備や管理でつまづく。頼れるのは、自分の技能しかない。
回避型の人の行動には、自分のことなのに、無関心と投げやりさがある。
真面目で責任感が強い、強迫性パーソナリティの傾向と、回避型の愛着スタイルは重なっている場合、鬱になりやすい。
現状を変化させるには、大きなエネルギーが必要。回避型の人に心のエネルギーが乏しいのは、幼いころから安全基地を持たず、安心して探索行動ができなかったためである。
回避型の人は、失敗の恐れがあるために、目標に向かう努力が足りない。こうした否定的な見方は、親からの刷り込みが多い。親から褒められたことが少ない。回避型の人にとっては、成功の機会も負担が増えるので気が重い。
アイデンティ理論で知られるエリク・エリクソンは、自らアイデンティティの危機を経験し、長いモラトリアムを経て、自分の道を形成した。彼はフロイトの娘のアンナ・フロイトに出合う。彼女は、児童精神分析を確立しようとしていた。エリクは、子供たちが遊びの中で、無意識の願望や、傷ついた気持ちを表現することに注目する。言語表現に重きを置いていた精神分析の枠組みを超越する。
回避的なスタイルの人は、自己鍛錬に救いを見出すことがある。自分の道を究めるための時間を確保するためには、経済基盤が必要である。種田山頭火が放浪しながら暮らしていけたのは、托鉢(乞食=こつじき)という生活手段があったからだ。
■ 回避の克服
回避型でも、現実適応ができている場合は回避問題は起きない。回避は、自分で改善することができる。
回避を脱する第一歩は、避けている問題に向き合い、それについて語ることである。最初に、傷ついた体験を語ることが重要である。それに向き合うことで、膠着した事態を動かす。
「症状」を問題にし、それを軽減しようとする。安定剤などを投与する。日々の苦痛は和らぐが、回避が固定化するだけで、本来の治癒からは遠ざかる。
語ると言う作業を繰り返す中で、肯定し得る何かを見出す。それが回復の鍵を握っている。
「逃げていてもしょうがない」と腹をくくる。恐れている状況を、思い描く、エクスポージャー(曝露治療)は、囚われを克服して、回避を突破する技法の一つ。
不安な想像に囚われている。ぞの予期不安の状況を語ることから始めると準備をし易い。本人が逃げずに向き合うことができれば、不安は薄らいでいく。
期待や理想の高さが、回避の壁になっている。「こうあるべき自分」という囚われ。これが失敗に対する恐れを強める。理想を求めて無理をし、疲れ果てるとまた動けなくなってしまう。「大したことではない」と第三者の視点に切り替える。
本人が乗り越えたい、そのために向き合ってみようという気持ちを持つようになると、エクスポージャーは有効に働く。
森田療法の森田正馬(まさたけ)も、不安神経症を克服した経験の持ち主だった。動機が襲ってきても、自分がやろうとしていることに集中することにした。症状を治そうとしても治らないが、熱中していれば症状は自然に無くなる。この経験が「あるがまま」という森田療法の理念が生れた。
積極的に行動し、自分のペースで物事を運ぶことで、状況はコントロールし易くなる。
回避に陥った人にとって、ネットの世界が現実への架け橋となることは少ない。ネット介した関係は、内側前頭前野などの社会脳が働きにくい。相手の顔が見えない状況では、ミラーシステムも活性化されないので共感も働かない。社会的な刺激の不足によって、回避型の傾向が強まってしまう。画面接触時間を短くする。メル友などにはその旨を通知しておく。
回避型の人は、たわいないおしゃべりが苦手。同好の士との交歓の場を持つことが大切。
■ 愛着を修復する
治療効果を左右するのは、治療法ではない。治療者との間の質である。共感と肯定の応答鴎、居心地の良い関係は、安全基地に他ならない。治療技法や薬物には大きな意味はなく、安全基地を得たことが何よりも大きな治療効果をもたらす。
愛着を安定させることが、生きずらさや社会不適応を改善する鍵。安全基地は、都合のいい逃げ場所ではない。自立の支えであり、努力と自制を求めることも必要である。信頼関係を維持する上で脅威となることは封じておく必要がある。安全基地であるためには、厳格にルールを強要するのもよくない。悪い点には寛容で、良い点に目を注ぎ、寄り添う心の大きさが求められる。
遠慮のない関係があ安全基地というわけではない。起きやすいのは自分の思い通りにしようとすること。相手に対する「慎重さ」も必要である。
自分の安全が守られてはじめて、相手に心を開くことができる。そこから回復のプロセスが始まる。
不安型のパートナーが、関心の証を求めようとして、回避型の相手を責めれば、ますます心を閉ざしてしまう。
回避型の人は、苦しいときほど、関りを避けようとする。答えない自由を保証することが重要である。
子供時代、安全基地に守られて育った者は、生涯続く安心感を手に入れる。
回避型の人は、集団でいるときは、気楽につきあえるが、二人になると気づまりになる。
誰に対しても攻撃的な態度をとる。回避型の人にしばしば見られる防御反応の一つである。
振り返りと再体験を経る中で、自分を傷つけた体験の記憶が蘇る。苦痛を伴うが、それは自然である。膠着状態が破れる。少しづつ変化が生じる。悪化したように見えることもある。だが、この反応が、回避を脱するためには必要である。自分を縛ってきたものを捨てるためには、攻撃的になる必要がある。変わろうとするエネルギーを変化につなげていく。「行動を起こしてみたら」という一言がきっかけになることもある。
不安定な愛着スタイルは、愛着が傷を受けたことから始まっている。ある時期までは、安定した愛着を形成していた場合には、愛着が傷ついた状況を回想し、自覚できることがある。自覚できる場合は回復のチャンスがそれだけ大きくなる。
無自覚な傷に、自覚された傷が加わった場合は多い。そのときは、記憶にある傷を自覚するだけでも、回復の手助けになる。
記憶に無い傷の痕跡は、様々な形で尾を引いている。親に対する反発。自分では制御できない反応も痕跡を示している。親や周囲から聞き知った譲許から、その人がどのように扱われたのかを推測することは難しくない。
人生の壁にぶつかったとき、その人が放置してきた問題が疼き始めることもある。
回避が強い場合には、自覚的な作業が困難なので、修復に数十年を要することもある。安心感が保証され、そのまま受け止めてもらえることが判ると、しだいに体験を語るようになる。
認知行動療法は、愛着が不安定で、他者への不信感が強い場合は、あまり役に立たない。自己否定が強い人にとって「あなたの考えは偏っている」と言われることは、反発や落ち込みを招く。
マインドフルネスは、ありのまま受け止めて、気づきを得ること。サンスクリット語の「気づき/悟り」を英語に訳した言葉。悟りは、囚われを脱し自由な境地を得ること。マインドフルネスの起源は瞑想にある。
マインドフルネスはありのままに受け止めて、それを感じる。価値判断から自由になる。価値判断は囚われである。何かに囚われてるから「なければならない」と思ってしまう。
症状をあるがままに受け入れてしまうと、症状など大して重要ではない感じるようになり。気にも留めなくなって、気がついたら無くなっている。
マインドフルネスは、実践し体験し身につけていく必要がある。体験する中でしか、会得できない。
今という瞬間を大切に味わうことができなければつならない。今この瞬間を、ここにこうして存在すること、それをありのままに味わう。
マインドフルネスは、呼吸や体感に注意を向け、それをありのままに味わうことから始める。苦しい感覚も、ありのまま受け止め、味わうことで、乱れない心と豊かな気づきを手に入れていく。
愛着基地に受け止められることも重要だが、誰かを支える体験も重要である。愛着は、相互の仕組みであり、世話を受けることによっても、世話をすることによっても活性化される。生き物の世話をすることで、心を取り戻す場合もある。動物とのふれあいは、愛着を活性化させ、生きる喜びを取り戻す力を持つ。
父親であれば、父性の源であるアルギニン・バソプレシンが活性化されることで、敵から妻子を守ろうとする本能が目覚める。子育て中の親は、別人のように強くなる。但し、許容範囲を超えた負担がかかると、回避反応が誘発される。
人生は何もかも自分で決められるような単純なものではない。無数の因果や偶然の結果。思いがけない危機や機会。大事なのは、機会に対して尻込みせずに活用できるかどうかである。やってみないことには何も始まらない。
回避型の人は、外から手を引かれると、案外動けるもの。差しのべられた手に素直にすがってみよう。
最近の心理療法では、コミットメントを重視する。コミットメントは、自分の意志を表明すること。「こうしたい」と自分の意思を明確に述べる。それが変化を強化する。有言実行の方が、行動が伴いやすい。
カウンセリングが変化を促すのは、自分の気持ちを受け止めてもらえるという中で、自分の考えを口にし、強い決意に高められえていくからである。
我々は結果を選ぶことはできない。我々に選べるのは、今この時を、いかに生きるかということだけだ。
■ おわりに
人々の脱愛着化が進んでいる。単独生活を好む傾向が浸透する。社会の持続が危うくなり始めている。回避型愛着スタイルと、個人の生存と幸福が共存する「生き方」を見つけ出さなければならない。社会は滅びても、個は生き残り、新たな社会が生まれる。我々には、その生命力がある。