「生殖医療の衝撃」 石原理 2016年 講談社現代新書

 所謂「不妊治療」を中心とするものだろうと思い手に取りました。遺伝子検査の事業を運営していたこともあり、この分野は興味を持ち続けています。生命倫理に関わる課題もあります。日本国はこれらに問題に正面から向き合っていません ← 日本国はどのような問題に対しても、この30年きちんと向き合ってはいません。それが現在の日本国の停滞の最大の原因です。考えるヒントをたくさん与えてくれました。ありがとうございました。 以下はこの本の要約と引用です。*はWEB検索結果です。


■ はじめに

 現在、精子と卵子は商業製品として販売され、世界各地に宅配便でデリバリーされている。精子と卵子が、様々な役割を獲得し、押し付けられてきたか。その物語をお読みいただき、重大な課題をご理解いただければ幸いである。

■ プロローグ 全てはその日から始まった

 最近では日本で生まれる子供の1/24は、生殖医療により妊娠した子供たちなのだ。

 1969年に初めて体外受精の成功が「ネイチャー」に報告されたとき、様々な懸念が報道された。

 1990年代以降、生殖医療は各国に普及した。

■ 世界を変えた3つの技術革新

 通常の体外受精は、シャーレ上で、卵巣から採取した卵子に精子を混ぜて、受精が起こるに任せる。顕微授精は一つの精子を卵子に注入する。

 膣に射精された精液に中には数億個の精子が含まれている。精子は人の最も小さな細胞で、主要部分は0.005mm。卵子の1/20の大きさだ。卵管膨大部に辿り着くには数時間を要す。ここまで辿り着く精子は数十から数百個。最初の精子が卵子を取り囲む透明帯を進入通過し、細胞膜に結合して融合すると、その他の精子は卵子に入れなくなる。

 体外受精は、卵子に精子を振りかけるだけ。この場合でもある程度の数の運動精子が存在しない限り、受精しない。数万個の精子を一緒に培養しないと受精は起きない。

 顕微授精では、精子をいきなり卵子の中に入れてしまう。しかも細胞膜の融合などは省略し、精子尾部まで含めてそのままだ。

 顕微授精が安全と言い切るためには、誕生した子供たちの健康を長期にわたってフォローし、罹患率や死亡率、生殖機能に障害が無いかなどを確認しなければならない。今日に至るまで、明らかな問題点は指摘されていない。

 今や世界では、生殖医療の70%が顕微授精を用いている。この技術により子供を持つことが可能となったカップルが多数であった。顕微授精を使えば、体外受精よりも高い確率で受精させることができる。

 男性側の不妊症の有効な治療法は見つかっていない。

 凍結は生殖医療では必須の技術。鮮度を落とすことなく、肉や魚を凍結することは難しい。凍結の際に氷の結晶ができて、組織を破壊してしまう。この氷の結晶が大きくならないように急速凍結する。融解するときも、氷の結晶で細胞が破壊されないように急速に加熱すなければならない。

 世界で初めての凍結胚移植による妊娠は、1983年。我国で近年、生殖医療により生まれる子供の3/4は凍結保存された胚を融解して子宮内に移植し、生まれている。

 現在使用されている胚凍結法は、ガラス化法。高濃度の凍結保護剤に細胞を漬け、細胞内の水分を引っ張り出し、その後直ちにマイナス196℃の液体窒素に投入し急速に凍結する。細胞はガラス状に凍結される。ガラス化法は、様々な細胞バンクや骨髄バンクで広く使われている。

 子宮に戻すタイミングが制限される自然胚移植と違い、凍結胚移植は胚を子宮に戻すタイミングをコントロールできる。

 胚の凍結や融解は多くの動物で研究され、畜産の現場では広く実地利用されてきた。牛では、凍結融解胚移植による生産が標準となっている。

*凍結胚移植により生まれた子供たちは、自然妊娠により生まれた子供たちと同様に健康であると言い切れるか?
 現時点での研究結果から判断すると、凍結胚移植により生まれた子供たちは、一般的に自然妊娠による子供たちと同様に健康であると言えるでしょう。しかし、さらに長期的な研究が進むことで、より詳細なリスクや健康上の違いが明らかになる可能性もあるため、継続的な調査が求められています。

 胚培養の進歩は、卵子と精子が受精してできた胚を長い時間にわたって、体外で培養できるようにした。

 通常は、4から8細胞に分割した胚を子宮内腔に移植する。胚移植は2日目から3日目に行われる。胚が子宮の内膜に埋まり込んでいく着床は5〜6日目に起きる(人の着床については、よく解明されていない)。着床可能になるには、胚がさらに細胞分裂を繰り返して、胚盤胞という状態にならないといけない。以前は胚盤胞まで培養することは困難だった。胚盤胞の移植により、妊娠初期の流産率も低下する。

 発生直後の胚の中では、細胞数が増加するだけでなく、様々な生化学変化が起こっている。培養液については、現在でも多くの問題点が残されている。

 間隔を空けて撮影し(タイムラプス撮影)、24時間を1分に縮めて観察することができる。胚発育をタイムラプス撮影で観察すると、それぞれの発育速度や分轄時期、様々な胚発育に指標にはかなりの個体差があることが明らかになった。

■ 精子バンクというお仕事

 精子バンクは、利用者が自らの精子を預けることから始まった。抗癌剤治療や放射線治療を受けると、精子の産出や受精能力が低下する。予め精液を凍結し、子供を持つ可能性を残そうとする試みであった。

 凍結精子では、HIV感染の有無を診断できる。1988年、米国では提供精子を用いる人工授精では、凍結融解精子を用いるよう求めた。凍結精子を用いることで、感染症を回避できるようになった。

 治療の難しい男性因子のあるカップルに用いられる唯一の有効な方法は、第三者から提供された精子を女性の子宮内に注入するしかない。

 精子凍結は、卵子凍結と比較すれば容易である。精液の入手は難しくない。小さな精子は、凍結融解に対する耐用性が高い。凍結保存された精子は、長期間経っても変化することはない。

 我国では死後生殖は認められていない。遺産相続など数多くの課題を創出する。

 女性にとって、子を持つために必用なのは精子であり、男性ではない。英国のHFE法は、2008年の改定で、父親の必要性を削除した。

 近年、子供たちが自らの生物学的な父親を知ることを求める動きが強まり、精子提供を非匿名化、つまり、子供たちが求めれば、精子提供者を同定できる法制度を導入する国が出現した。独身女性やレズビアンカップルは、非匿名精子を選択することが多くなった。家庭の中で父親が存在する場合は、匿名精子を選択するのが多数派である。

 精子バンク会社のホームページを見ると、精子提供者のプロフィールが掲載されている。注文すれば数日後に、国際宅配便で自宅まで凍結精子が配送されてくる。

 精子提供者の候補者の中で、提供までに至る男性は10%。精子ドナーに対する遺伝子検査が行われる。

 自ら膣内に注入する人工授精のための精子を購入する女性にとって、精子提供者の精子運動率は妊娠に成功するために重要である。独身女性やレズビアンカップルは、自分で行う人口受精の可能性が高い。

 非匿名化では事情が異なり、精子の提供者によって商品価値が変わってくる。

■ 卵子を求める女性たち、卵子を預ける女性たち

 卵巣から排卵された卵子は、卵管に取り込まれる。膣と子宮内を泳いできた精子と卵子は卵管内で受精し、子宮に運ばれる。この過程は体外では再現できなかった。

 体外受精に用いられる卵子は、子宮の持ち主の卵子である必要は無い。生殖には非自己を排除する免疫機構は働かない。生まれてくる子供自体が非自己であるからだ。1983年には、第三者女性からの提供卵による子供が生まれている。

 悪性腫瘍化学療法の代償として、医原性の不妊症になる患者が増えている。白血病や悪性リンパ腫がその代表例。乳癌は頻度の高い疾患であるため、若くして抗癌剤治療によって卵巣異能を失った患者数は多い。

 実際に多いのは、加齢に伴う卵巣機能の低下のため、自分の卵子が生殖医療に使えない女性である。加齢に伴って、流産する確率やダウン症の発生確率は高まり、妊娠率は低下していく。2013年には、初めてお産をする女性の平均年齢が30.4歳になった。

 我国においても、抗癌剤治療前に、自分の卵子や卵巣組織を凍結保存できる。職業上のキャリアを追求する女性が増加したことで、当面は出産を予定していない女性が、将来の妊娠の可能性を残すために、自らの卵子を溶結保存することもある。

 卵子バンクも登場した。精子と異なり個人で受精することはできないので、クリニックが顧客となり、凍結卵子を注文する。卵子バンクのホームページには、卵子提供者の顔写真付きのプロフィールが掲載されている。卵子提供できる女性は20歳代に限る施設が多い。

 日本では、提供卵子を用いる生殖医療はほとんど行われていない。

■ 男でもなく、女でもなく

 1838年11月8日、エルキュリーヌ・バルバン(通称アレクシナ)は女の子として出生した。医師を受診したアレクシナは、男性であると判断された。法廷は性別変更を命じ、アベルという男性になった。修道院の女学校教員への道も断たれ、自死を示唆する手記を残して死んだ。11月8日はインターセックス(中間の性)の日」である。

 性別は、分別時に立ち会った助産師や医師が、身体のつくり(外性器の形状)で判断した「見かけの性別」。

 「遺伝子の性」と「見かけの性」は必ずしも一致していない。様々な「性」を生きる人々がいる。

 卵子や精子になる細胞は、妊娠8週程度の胎児の段階で、生殖機能のもとになる始原生殖細胞として出現する。始原生殖細胞は、胎児の体内で、将来の精巣や卵巣となる器官(性腺原基)を形成する。この段階では性差は認められない。

 男の子になる胎児においては、Y染色体上に精巣決定遺伝子SRY遺伝子がある。産生されたSRY蛋白質が、性腺元気が精巣へ分化するように誘導する。

 染色体XXでは、精巣決定遺伝子を持たないため、性腺原基は卵巣へ分化する。生物としてのデフォルトは卵巣である。

 性染色体がXXYの場合、性腺は精巣となる。頻度は低いが、染色体がXYであっても卵巣も持つ方や、XXであっても精巣を持つ方もいる。異なる染色体で交換が起こる染色体の乗換えの結果、その染色体上には存在しない遺伝子が紛れ込んでしまう。

 性染色体にある遺伝子の働きの違いによって、性腺が精巣になったり卵巣になったりする。「性腺の性」は「遺伝子の性」と一致することが多いが食い違うこともある。

 「見かけの性」を決定するのは、精巣から抗ミュラー管ホルモン(AMH)と男性ホルモン(テストステロン)が分泌される。これらが子宮にや卵管になるミュラー管を退縮させ、ペニスを形成させる。ホルモンが働かないこともあり、性染色体がXYでありながら、女性器になることがある。

 未分化性腺を形成するために必要な遺伝子が働かないと、卵巣・精巣のどちらも形成されない場合もある。

 妊娠中の女性が外部から男性ホルモンに曝露されると、胎児である女児の外陰部が男性化する。

 性ホルモンの働きは複雑である。機能するには受容体が必須である。細胞質内に入った男性ホルモンはその受容体と結合し複合体を形成する。それが細胞の核に移行し、補助因子の助けを借りて、DNAから情報を読み出し、さらに新たな蛋白質合成のトリガーを作る。この機構のどこか一ヵ所が働かないと、ホルモンは機能しない。

 自分の身体をよく知り、好きになる。全ての人に必要なことである。

 曖昧な外性器を持つ新生児について、「社会的性別」を生後一ヵ月までに確定すべきという考え方は時代遅れである。乳児について、曖昧な外性器を形成手術することは避けるべきだ。

■ ある性同一性障害者の告白

 虎井まさ衛さんは2001年放送の「3年B組金八先生」で上戸彩さん演じる性同一性障害者のモデルとなった作家。自分の「身体の性」に対して「心の性」が違和感を感じる人がいる。現在は、性同一性障害は廃止され「性別違和」が用いられる。

 「心の性」を「身体の性」に近づけようとする試みはことごとく失敗した。現在は、希望する性に近似した身体にする介入が行われている。「性別違和」は個人差が大きい。治療の要否は本人の希望によるべきである。

 性別変更を終えた方が、夫婦どちらかと血縁関係のある子供を持つのは、第三者の関与なしには困難である。

■ 革命前夜

 2012年、膣と子宮の欠損する女性が子宮移植を受けたことが報告された。遺伝子の性は女性で、膣と子宮が欠損する以外は女性だが、月経が発来しない。造膣術が行われ、幸せな結婚生活を送る女性はたくさんいるが、子供持つことはできない。お産が終われば子宮は摘出できる。臓器移植の影響は比較的少ない。

 人間の遺伝子改変を伴う生殖医療はタブー視されてきた。

 ミトコンドリア置換によって胚が3人目の親を持つ可能性がある。ミトコンドリア病には治療法がない。健康な第三者のミトコンドリアを導入すれば、ミトコンドリア病の発症を防ぐことができる。ミトコンドリア置換は、体外受精前後の卵子の核を、第三者から提供された卵子に移植する。

 幹細胞は、複数の種類の細胞に分化する可能性があると同時に、自己複製する能力を持つ細胞。造血細胞は、白血球・赤血球・血小板など血液を構成する各種細胞に分化する。

 iPS細胞は、精子や卵子などの配偶子への分化誘導が可能な筈である。女性から男性へ性別変更した方が、iPS細胞を経由して精子を得られれば、自分の遺伝子を引き継ぐ子を持てると考えるのは当然だ。

 技術上の課題よりも、法的・倫理的な課題がある。

 「作成された生殖細胞を取り扱う者は、当該生殖細胞を用いて人胚を作成してはならない」2010年文部科学省の指針。

 「遺伝子組換え」はウィルスなどを用いて、変異を起こした遺伝子に代わる正常遺伝子を、ランダムに挿入することで組換えを行う。挿入する遺伝子がどこに入るかは確証がない。「ゲノム編集」は、特定の遺伝子だけを修復することができる。

 農産や畜産では、ゲノム編集は実用段階に入っている。

■ 遺伝子のポリティクス

 日本では「代理懐胎」は、事実上禁止されている。禁止する国は多い。

 第三者の精子や卵子を用いても、受精胚を戻すのが女性当事者の子宮であれば、妊娠・分娩という営みは当事者カップルの内側で完結している。

 2013年の時点で、インドの大都市の殆どに代理懐胎を提供するクリニックがある。代理懐胎は、有償委託契約とならざるを得ない。

 我が国では本人と遺伝関連のある子供でも、出産の事実が無ければ、母子関係は認められない。遺伝関連があれば認められる父子関係とは異なる取扱いである。しかし、海外で代理懐胎により子を得た夫婦が、帰国後に実子として出生届が受理されている。

 病因となる細菌やウィルスが同定された。同様に、疾患の原因遺伝子が特定された。

 1989年、着床前診断による、単一遺伝子疾患の診断が報告された。着床前診断を行うとすると、対外受精をしなければならない。筋ジストロフィーの患者団体をはじめ、多くの遺伝子疾患の患者家族団体が研究資金の供与を行った。

 着床前診断の適用となるのは、単一遺伝子疾患。殆どが流産となることが確実な染色体構造異常などが対象となる。しかし、重篤な疾患についての着床前診断が行われている事実がある。着床前診断の対象となるかあどうかの判断は、家族の意向を尊重すべきだろう。

 自然に起こる流産の大部分は、染色体異数性に原因がある。

 着床前診断と着床前スクリーニングが無制限に拡大することに対しては歯止めが必要である。

 着床前スクリーニングは、全ゲノム解析に近づいている。遺伝子解析に用いられている次世代シークエンサー(NGS)により、誰もが自分のゲノム配列を簡単に知ることができるようになっている。

 我国には、生殖医療に関連する法律が何もない。世界的にして極めて珍しい。

 必要なには、第三者配偶子を利用する、あるいは代理懐胎により生まれた子供たちの地位と権利を明文化する法律である。具体的には、「子供を生んだ女性が母」「女性の夫が父」「配偶子提供者はその子供を認知できない」。この三点が明文化されればよいのだ。

 殆どの国において、家族法の改定が行われた。日本の生殖医療の行為規制は、業界団体である日本産科婦人科学会のガイドラインによる自主規制にのみ基づいている。

 多くの国で、様々な法規制が導入され、評価され改正されてきた。不妊治療を受けるための海外渡航が当たり前になり、一国家の法規制が無意味になった。

 日本国民の殆どは非宗教である。その結果として、共通の価値観を持ちにくい。互いを尊重し、異なる立場や考え方を認め合うためには、有利な背景と考えるべきだ。