「世界遺産第7巻 日本・オセアニア」 水村光男 2002年 講談社α文庫
ブックオフで100円だったので手に取ってしまった暇潰しの本。それなりに面白かったヨ! 以下はこの本の要約と引用です。
■ 四季折々に息づく日本の粋と美
・古都奈良
和銅三年(710年)、平城京へ遷都が行われた。飛鳥地方にあった寺院は移築された。「奈良」は「平城」「寧楽」とも表記される。「平」は「ならす」の意。
薬師寺には薬草園が設けられ、学問寺として栄えた。
東大寺は、国家鎮護のために造営された「平城京の東方の大寺院」。
律宗の総本山-唐招提寺は、日本に戒律を伝えるために来日した鑑真和上によって創建された。
709年に創建された春日大社は、平城京の東部、三笠(御蓋)山の麓にある。藤原氏の氏神、鹿島神が祀られ、隣接する興福寺とともに栄華を極めた。
古来、祭祀が行われていた三笠山に常陸国-鹿島に祀られていた武甕槌神を移した。武甕槌神は常陸から白鹿に乗ってきたとの伝説がああり、境内では鹿が神獣として保護されている。
興福寺は669年に藤原氏が山城国の山科に建てた宇治寺を起源とする。北円堂は藤原不比等の一周忌に建てられた。不比等が信仰した弥勒仏が安置されている。
・法隆寺
法隆寺は、最初は斑鳩寺と言った。
斑鳩宮の夢殿に聖徳太子がこもり思いを巡らせていると、仏の道の妙義を得たという伝説がある。法隆寺の夢殿は、この伝説に基づく八角円堂。八角円堂は鎮魂の役割を持つものが多い。
夢殿の中には、太子の等身大とされる救世観音増が安置されている。1884年(明治17年)に、僧侶が止めるのを押して、フェノロサと岡倉天心によって開かれるまで秘仏であった。
・京都(平安京)
794年に桓武天皇が平安京に遷都した。二度にわたる大洪水の被害、早良親王の祟から逃れるためであった。
平安時代には、唐から密教が伝わり、最長は比叡山延暦寺を総本山に天台宗を開き、空海は高野山金剛峰寺を建てて真言宗を開いた。
10世紀になると、現世利益を追求する仏教から、浄土への往生を求める浄土教が流行した。1053年に、平等院に極楽浄土の姿を表した阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が建てられた。平等院は、源融ついで藤原道長の別荘地だった。道長の息子の頼道が仏寺とした。
京都は時宗・日蓮宗・禅宗などの布教活動の中心地となった。中国の禅林の制度に倣い、自然と人工の美、宗教と歴史を併せ持った景観美が追求され、西芳寺(苔寺)、北山殿(鹿苑寺/金閣寺)、東山殿(慈照寺/銀閣寺)の庭園が造られた。
「清水の舞台」は、観音に願をかけ、結願日にここから身を投げると、成就するならば怪我無く、否ならば死して成仏できるとされた。1872年(明治5年)、投身が禁止された。
・厳島神社
安芸の宮島の聖なる山-弥山(みせん)は、山岳宗教の霊地。厳島は人が住むことを許されない神の島だった。主神は市都岐嶋神。宗像神社の市杵島姫命と同一視される。
1146年に平清盛が安芸守になると厳島神社を信仰した。厳島神社は本社と客(まろうど)社からなる。規模は違うが同じ社殿構成で、両社は回廊で結ばれている。海中を敷地とした構造は、極楽浄土に船で渡るという浄土信仰の表れとも言われる。
・日光
家康を祀る地に日光東照宮が選ばれたのは、天海(慈眼大師)の影響。輪王寺は東照宮の別当(社務を統括する寺)となる。
・琉球王国のグスク(城)
沖縄は、琉球王国として独自の文化を持っていた。グスクは城の意。霊地としての役割も兼ねた。1429年、統一なった琉球王国では、首里城が唯一のグスクとなる。1609年、薩摩軍が襲来し、薩摩の支配を受ける。
15世紀の琉球では国王の宗教政策によって新女組織が作られ、国王の姉妹や王妃がその最高女性祭祀(聞得大君)として頂点に立った。その下には、大アムシラレという三人の女性司祭がいて、全地域のノロ(祝女)を統括する。ノロは各村落の祭祀を司った。各村落には村の守護神を祀る御嶽があった。御嶽には特別な建物は無い。古代日本の神社の原型ともいう。
斎場御嶽は聞得大君就任儀式を行う聖地。沖縄の信仰の頂点とされる。
・白川郷・五箇山の合掌造り集落
飛騨高地は豪雪地帯。養蚕のための桑の葉の集積と養蚕部屋の温度調節を目的とする合掌造りの民家が建ち並ぶ。
この地位では大家族制が営まれていた。家長とその後継者である長男だけが結婚して妻と同居し、次男の兄弟姉妹や叔父叔母や使用人が同じ屋根の下で暮らした。耕地を分散させずに、力を合わせて焼畑農業や養蚕や塩硝の生産に従事しなければ、生活が成り立たなかった。
家を多層化し多くの蚕部屋を屋根裏に設け、一階の生活熱で上層階を暖めて蚕を飼育した。
・白神山地
東アジアに残されたブナの原生自然林の一つ。800万年前から海底が隆起しはじめ、現在も年に数ミリ隆起している。
3000年前、地球のほとんどの地域が熱帯気候。ブナ林や亜寒帯針葉樹林の祖先となる森林はカナダの極北などにわずかに広がっていた。寒冷化すると、ブナやミズナラやカエデなどの植生体は分離して南下し、温帯の北部に広がった。
日本では大陸氷河が発達しなかったため、氷河の被害を受けることが少なく、木蓮や栃の木などの原始の植物群を含んだブナ林の原形を保つことができた。
・屋久島
屋久島は太平洋と東シナ海の境に位置する山岳島。世界で最も水温が高いと言われる日本海流(黒潮)が熱帯地域の熱を運び、立ち上がる水蒸気が屋久島を包み、標高1000m超の山頂も雲の中に隠れる。空中湿度75%を超える雲霧帯。雲霧帯に生える過ぎは幹の途中から不定根を伸ばして根を張り、奇怪な姿を見せることもある。
標高による温度変化は、緯度の1000倍にあたる。標高2000mの垂直分布は、南北2000kmの日本全体の植生変化を圧縮した形となる。
・原爆ドーム
1945年、原子爆弾リトルボーイが爆発。ネオ・バロック様式の建物は「原爆ドーム」と呼ばれるようになった。第二次世界大戦の遺跡としては、ポーランドのアウシュビッツ収容所に次いで二番目の登録となる。
ドーム近くの焼野原となった、市の中心街は平和記念公園となった。
■ 地上の楽園 オセアニア
・エアーズロック
オールとラリアのウルル・カタ・ジュタ国立公園のエアーズ・ロックは、アボリジニの言葉で「日陰の場所」を示す「ウルル」が正式名称。カタ・ジュタは「たくさんの頭」の意味。
アポリジニは、ラテン語の「先住民」。18世紀、人口は30万人、600の部族に分かれ、200以上の言語があった。
ウルルは聖なる場所。洞窟のいくつかは、信仰のための集会や儀式の場所として使用され、神話を語る岩壁画が描かれている。ウルルはピチャンジャラ族の聖地。ニシキヘビのクーニャ族が毒蛇のリル族と戦いをした結果できた。
アナンダ族の神話では、カタ・ジュタは、大地を作り、人間の営みの全てを生み出す仕事の最中に、人を食ったプガルンガスなのだ。
ウルルやカタ・ジュタの聖なる岩には「夢の時代」と呼ばれる時代の創造の力が宿っている。夢の時代には、無から巨大な超自然生物たちが出現して世界を作った。その代表が虹の蛇。創造の仕事を終えて引きこもったのがウルルやカタ・ジュタ。現代でも、神聖な儀式コロボリーが行われている。
・クイーンズランド
オーストラリアの湿潤熱帯地帯は、アマゾンの熱帯雨林よりも古い世界最古の1億2000年前から存在していた。ゴンドワナ大陸時代以来の原始の植物が残り、世界に19科ある原子植物の内13科がこの地域で見られる。
数千年前から住んでいるクク・ヤランジ族は、空中で鳥を捕るための道具ブーメランを作る。
・タスマニア原生地域
5万年前に東南アジアからオーストラリア大陸に移住し、3万1000年前にタスマニアに到着して住むようになったアポリジニが残した遺跡が文化遺産として登録され、ダム建設計画が中止された。
2万1000年前のオーストラリア大陸から分離したタスマニア島では、多くの固有な動植物が残る。2億年前にあったパンゲア大陸時代の「生きた化石」タスマニアデビルは、肉食性有袋類。
・マッコーリー島
地殻変動でできたペンギンたちの島。海底でインド・オーストリアプレートと太平洋プレートの衝突による隆起でつくられた。地球上で唯一、地殻近くにあるマントルが地表に出て、噴気孔は海面にまで達している。
・西オーストラリアのシャーク湾
ジンベイザメは体調20mにまで成長する。性格は大人しく、プランクトンを主食とする。
シャーク湾の海底には4000㎢の広さの海藻の森が広がる。藻構造を持つ岩石ストロマトライトは地球最古の生命体の化石。藍藻などの微生物が砂粒などを粘液で取り込んで固定することを繰り返してきたできた岩。最古のものは35憶年前のもので、今でも年に0.3mmほど成長している。
・カカドゥ国立公園
オーストラリアの北部は熱帯気候に属する。地域名はガグドゥ族に由来する。河口付近はマングローブが生い茂る。
先住民の祖先が描いた2万年以上前の岩壁画が1000ヶ所以上ある。彼らの狩猟生活や生活道具、神話や風俗や習慣、歴史上の出来事が描かれている。16世紀にインドネシアから渡ってきたマカサーン族の上陸の様子を描いた絵もある。
ガグドゥ族は、豊穣を願い生命誕生を祝って、このアーネム・ランドの自然と人間を作った大地母神インベロンベラの絵を描いた。洞窟には稲妻の神や山芋の根で女性たちを叩き殺して食べる悪魔も描かれている。
虹の蛇の絵がある洞窟オビリ・ロックには、人間の形をした「ミミ」と呼ばれる精霊の絵がある。洞窟ノーランジー・ロックの岩壁画には、人や動物や精霊などが背骨や内臓まで細かく描く「X線描法」で描写されている。
アボリジニは5万年前、東南アジアから陸を伝い、浅海のサフル陸棚を船で南下してオーストラリア大陸に渡来した。さらに一部が3万年前にタスマニアに移住した。日常生活を家族単位で営み、他部族との接触は稀。各部族には「夢」と呼ぶ共通の神話があり、歌・踊り・岩壁画・語りで伝えてきた。
「夢の時代」に形のない物体から生まれた半獣た半鳥であった精霊たちは自由に世界を歩き回り、自然を今ある姿に変えたアボリジニにとって精霊は祖先であり、土地の精霊でもある。
・テ・ワナポウナム
ニュージーランドは、1億5千年前にオーストラリア大陸と分かれた。その最南端の動植物相は、ゴンドワナ大陸時代の様子を伝える。
・トンガリロ国立公園
マオリ族は、ポリネシアから渡ってきた。三つの火山がある高原は神官や首長を埋葬した聖地。ルアペフ山は、マオリ語で「噴火している火口」。
火山はインド・オーストラリアプレートと太平洋プレートが衝突する場所。今でも地表にマグマを噴出させている。
マオリ族の伝説によると、三つの火山の火を立てたのはマオリ族最高位の神官トンガ=ナガトロ=イ=ランギ。七艘のカヌーで渡ってきた神官トンガたち。トンガがトンガリ山頂の火を見に行った不在中に、断食を誓っていた男たちが誓いを破ったため、土地の神が雪嵐を起こし、男たちを氷柱に変えてしまった。トンガが男たちを助けるために氷柱を解かす火を求めると、トンガリ山とナウルホエ山から火柱が噴出した。
北島に住んでいるマオリ族は、現生のアマの線維を編み込んだ布を作り、タロイモやヤムイモの栽培をした。部族ごとに集落を作り、代々受け継がれてきた習慣を守って生活した。「自然は宝」と考え、お互いに部族の尊厳も尊重する。複数の部族を統べる指導者をおかなかった。
マオリ族としての意識が生れたのは19世紀に欧州人が入植してからである。
マオリは、ポリネシア語で「正しい」ないし「人」。9〜10世紀にポリネシアから渡来し、飛べない鳥モアを捕まえて生活していた。
マオリ族の伝説では、14世紀に大型のカヌーで大移動してきた。ポリネシアからタロイモやヤムイモを持ってきた。
巧妙な彫刻装飾で歴史や神話を表現した。建築物・カヌー・神像・手斧、木にも石にも彫刻が施される。豊かな立体の曲線紋様の浮彫は独自のものである。