専門科目の「マーケティング論」。履修する学生は20名足らず。それなのに、明らかにゲーム依存症の学生が3名もいます。
私は、認知行動療法などでゲーム依存症を治療することに必ずしも賛同しません。
ゲームで暇潰しをしている人はゲームの内容を全く理解していません。プレイして暇をつぶしているだけ。楽しんではいません。
ゲーム依存症が「治っても」、何の楽しみもなく、何かの暇潰しに没頭する生き方は改善されないからです。問題は、「生き方」なのであって、依存症ではありません。何の楽しみもない暇潰しの人生から、面白可笑しい人生をどうやったら歩めるか!それが問題なのです。
私は、彼らに「ゲームが本当に面白いと感じるのであれば、どうかゲームを楽しんで下さい」とお願いします。ゲームのキャラクターがなぜそのような性格なのか、その道具や武器にはどんな由来があるのか、敵キャラの出現確率はなぜそうなっているのか、それを制御する方法はあるのか?これらのことを理解して、ゲームを味わい尽くして欲しいのです。
本当のゲームの面白さを知るのは、世界の神話や伝説、民族・文化・歴史・地理、そして個々の様々な道具や武器の成り立ち使われ方。さらにはCPUやメモリーの特性や動作。様々な知識や経験が必要になります。
私の娘がかつてこう言いました「ゲームを楽しむためには、ゲームで暇潰しをしている時間は無い」と。
引き籠りゲーマーの生活の多くは「寄生」で成り立っています。自律して生活する生活基盤を持っていません。
本当にゲームだけやって暮らしたいなら、家族からの支援が無くなった後も、自律したゲーマーとして暮らしていける能力を自ら養わなければなりません。その覚悟があるのか?を問うと「無い」と答えます。だから、とりあえず大学院に行って、ゲームを楽しむ生活を続ける。完璧なモラトリアムです。
生活保護を受けたり、障害年金をもらう心算も無いが … 自分の将来について何も考えていないのです。
「一日中ゲームだけをやって暮らす日々を想像しなさい」「本当に楽しいですか?それで満足できるならそうやって生きていくのも悪くはありません」「本当にいいのですね」「 … 」。
私の助言は「本当にゲームを楽しんで下さい」「それが出発点になります」。これに尽きます。
「生きるとは、死ぬ時までの暇潰し」かも知れません。ですが、私は学生たちに「暇潰し以上」の「楽しい人生」を送って欲しいのです。