「サンデルの政治哲学」 小林正弥 2010年 平凡社新書

 有名なサンデルについての本なので、ちょいと覗いてみたが … 著者が解るように説明しようとしていないのが残念でした。結局、サンデルの立場は、道徳としてはシッダールタと同じ「中庸」なにかなあと認識する次第です。 以下はこの本の要約と引用です。*印はWeb検索の結果です。

*コミュニタリアニズム(コミュニタリアン思想)は、個人の権利や自由だけでなく、コミュニティ(共同体)や共同の価値、社会的責任を重視する政治哲学や社会思想の一つです。この思想は、個人主義や自由主義が強調される現代社会において、共同体の価値が軽視されていると主張し、個人と共同体のバランスを取ることの重要性を訴えます。コミュニタリアニズムは、個人と共同体の調和を模索し、持続可能な社会の構築に寄与する思想として注目されています。
・共同体の重要性
 コミュニタリアニズムでは、個人は単独で存在するのではなく、社会や文化、歴史的背景の中で形成されると考えます。個人のアイデンティティや幸福は、共同体の一部としての関係や責任によって支えられるとされています。
・共通善(Common Good)の重視
 自由や平等といった個人的な価値観だけでなく、共同体全体の福祉や利益を考慮することが必要とされます。個々の行動が社会全体に与える影響についての責任を強調します。
・社会的責任と道徳
 コミュニタリアニズムは、個人の自由や権利だけでなく、社会的責任や倫理的義務も重視します。たとえば、家族、地域社会、国家に対する義務を果たすことが強調されます。
・個人主義批判
 特に過度な自由主義や市場原理主義が、社会的絆やコミュニティの価値を弱体化させると批判します。
・現代社会における意義
 コミュニタリアニズムは、経済格差や社会分断、気候変動といったグローバルな問題に取り組む際に、共同体的な視点を提供します。また、地域社会や家族、学校といった基盤的な共同体の再構築を目指す動きとも結びついています。

*現代の共和主義
 現代の共和主義は、多様な価値観や課題に対応しながら、公共の利益や市民の自由を追求する理念として進化しています。それぞれの国や地域で異なる形態を取る一方、共通して市民の平等や法の支配といった原則が重視されています。
・共和主義の基本理念
 市民の平等: すべての市民が法律の下で平等であるべきとする考え。
 共同体の利益: 個人の利益よりも公共の利益を重視。
 市民の参加: 政治は市民が積極的に参加するべきであり、政府の正当性は市民の同意に基づく。
 権力の制限: 権力の集中を防ぎ、法の支配を確保する仕組み。
・現代の共和主義の課題
 ポピュリズムとの衝突: 市民の声が多様化する中で、ポピュリズムが共和主義の基本原則と矛盾する場合がある。
 多文化主義との調整: グローバル化に伴い、多様な文化や価値観を持つ市民をどう統合するか。
 経済的不平等: 公共の利益を実現する上で、経済的不平等が大きな障害となる。
 デジタル民主主義: インターネットやソーシャルメディアを通じた市民参加の拡大が新たな課題と可能性を生んでいる。

*アリストテレス(Aristoteles, 紀元前384年〜紀元前322年)の哲学
 アリストテレスの哲学は、現実世界の観察と理性による分析を重視し、理論と実践を統合する点で特筆されます。
・形而上学(Metaphysics)
 アリストテレスは存在の本質や究極的な原因を探求しました。彼は物事の「四原因(質料因、形相因、起動因、目的因)」を提唱し、あらゆる事物の説明にはこれらの原因が必要と考えました。
・倫理学
 アリストテレスの倫理学の中心は「幸福(エウダイモニア)」の追求です。幸福とは、人間がその本性に適した形で生きることにあるとされます。「徳(アレテー)」は幸福を達成するための鍵であり、知性的徳(知恵や思慮)と倫理的徳(勇気、節度、正義など)の2種類があります。徳とは極端を避け、中間を選ぶことで成り立ちます
・論理学
 三段論法(syllogism)などの論理的推論の方法を記述。現代の論理学や科学的推論の基盤となるアイデアを提示しました。
・自然学と生物学
 自然現象を観察し、それを説明するための体系的アプローチを採用しました。生命体や自然界を目的論的視点(目的や機能に基づく説明)で理解しました。生物学的研究では、分類や観察を重視し、多くの動植物について詳細な記録を残しました。
・政治学
 人間は「ポリス的動物(ゾーン・ポリティコン)」と定義し、共同体の中で生きることが本質的としました。最良の国家とは市民の徳を促進し、共同善を実現するものと考えました。
・美学
 「模倣(ミメーシス)」が芸術の本質であり、悲劇は観客に「カタルシス(浄化)」をもたらすと論じました。


■ はじめに

 HNKの「ハーバード白熱教室」でサンデルブームが起きた。

■ 新しい「知」と「美徳」の時代へ

 政治経済は、リーマン・ショック以降、新たな考え方を求めている。アメリカではオバマ政権への交替、日本では鳩山政権が「友愛」を掲げた。倫理性が発現した。

 日本では政治哲学が導入されなかった。政治哲学を研究すると、主権とか天皇制に触れてしまう危険があった。

 コミュニケーションが難しいほどの孤立に陥った人にとって、他者と交わる経路が日本には少ない。その閉塞感は、犯罪や自殺に通じる。

■ ハーバード講義の思想的エッセンス

 三つの正義感。福利、自由、美徳。

 市場経済を至上視する考え方に対する批判。経済学の「効用」は、功利主義の流れに中にある。功利主義では、快楽を幸福と考える。

 功利主義は、正しさを結果から判断する。結果主義は、個人の行動や国家の政策に適用され、快楽の合計の最大化を目指す。

 金銭と快楽が連動していると考えれば、GDPの成長が社会の幸福の増大となる。

 費用便益分析。もたらす幸福とコストの差額で政策や行動を決定する。人間の命や幸せを単一の尺度で測ってもよいのか。

 義務論。行為は道徳に従った義務としてなされるべきである。結果に関わらず、「するべきだからする」。

 権利論。個々人の自由な意思を尊重するリバタニアリズム(自由至上主義)。権利の中心は私的所有権。経済政策においては、民営化、規制緩和、福祉の縮小を主張する(ネオリベラリズム)。サッチャー政権やレーガン政権以来、世界を席巻した。中曽根内閣の第二臨調、国鉄民営化、小泉内閣の郵政民営化。

 リバタニアニズムは、市場経済の自由を重視し、課税による再分配を否定する。国は、治安や市場のルールを守るだけでよい。シートベルトの着用や、売春禁止法を拒否する。

 人間は自己⊃肉体を所有している。労働の成果、財産も所有する。自己所有の考え方は、肉体から財産までを含める。代理出産や自殺幇助も許容する。

 米国では、政治的自由は前提になっている。リベラリズムは政治的には福祉を擁護する進歩的な考え方を指す。

 カントは、近代思想を代表する哲学者。理性・自律・自由を体系的に定式化した。近代になって、人間は自分の理性で考え、行動できるようになった(自律)。普遍的人権の基礎になっている。行動を道徳的に価値のあるものとするのは、結果では無く、動機である。今日の自由主義の思想的源流となった。

 カントによれば、正直な商売をする理由では、利益になるからからではなく、正直でありたいからが正しい。

 近代憲法の基本原理となった「社会契約」は、現実には存在しなかった。

 双方が同意すれば契約は成立する。必要なのは自律性である。じかし、実際には契約が成立しても、契約が公正であるとは限らない。「契約は自由意思に基づく同意」には限界がある。

 契約が成立するためには、互恵性が必要であって、場合によっては同意が無くても、互恵性があれば契約の履行を迫れらる場合もある。当事者の立場や知識や能力が違う場合、同意しただけでは互恵性があるかどうかは不明である。

 市場原理に基づいた報酬は、道徳適価とは言えない。出自や才能や努力は道徳的に恣意的である。道徳適価は、「目的」に即して考えるべきだ。

「善ありし正義」は、アリストテレスに源泉を持っており、目的論に到達する。今日の世界では、科学的世界観の発展により、目的論的世界観は衰退している。

 自由主義者の考える「自由で独立した自己」は、自分のしたことだけに責任を負う。実際の人間は、家族や社会の状況を負っている。自己とは、そういう背景や文脈を背負った「負荷あり自己」である。

■ ロールズの魔術を解く 〜 リベラリズムと正義の限界

 経済学では、個人の効用の測定可能性が否定される。

 日本国憲法では、生存権が「福祉の権利」の根拠となっている。

 ロールズは、「人間の合意」として正義を考えた。「善」については人によって多様な考え方があるから、「合意できる正義」が優位となる。

 米国のリベラリズムは、社会民主主義に近いイメージがある。

 米国の保守主義には、王権を擁護することはない。身分制には反対である。

 リバタリアニズムは、共和党に近く、市場経済を擁護し、貧富の差を許容する。企業の自由を失わせる課税や規制に反対する。

 リバタリアニズムは、人間がばらばらな個人であることを強調する。

 幸運や不運によって資産や所得は変わっていく。資産や所得は道徳価値とは関係がない。

 所有の主体が「私」ではなく「私たち」であるコミュニティが存在する。最終目的を共有する協力の枠組みもあり得る。

 共同体によってアイデンティティが形成されている面があり、共同体は自分自身の存在に関わっている。

 コミュタリアニズムは、企業や官僚への権力集中に反対し、中間的な共同体(コミュニティ)が侵食されるのを懸念している。

 コミュタリアニズムは前近代的で、自由を抑圧するという反論が、自由主義者からなされた。

■ 共和主義の再生を目指して 〜 民主制の不満

 自己統治がない所に自由はない、というのが共和主義の自由感。

 米国ではキリスト教原理主義が力を持っていて、レーガン政権やブッシュ政権が成立した。

 共同体の中で育った人は、「選ぶ」という問題ではなく、自分の一部を構成している。

 言論の自由。政府は言論に対しては中立でなければならない。善は個々人が決定すべきもので、国家権力が立ち入るべきではない。

 自由な選択によって家族を作ったり止めたりすれば、育児を始めとする責任を負うことは困難になる。

 経済が発展して富が大きくなると説くが小さくなる傾向がある。

 南北戦争後の産業資本主義を擁護する流れの中で、共和主義は捨てられた。リンカーンは、「賃労働者として働くことは、奴隷と同じである」という見解に異は唱えなかった。自由労働という理想を抱いていた。

 大好況の後、計画経済を通じて経済を再建しようとした。ケインズ的な財政政策に頼るようになった。経済成長が目標として合意された。

 リベラリズムは、福祉の権利を主張し、ベーシック・インカムを含む最低賃金保証を主張している。

 地方の分散的な権力と、人格形成を含む多元的な公民形成を重視するのが米国の共和主義。

 経済はグローバリズムが進むが、政治や文化では進んでいない。

 人間は、多元的に位置づけられた自己、様々な共同体の関係の中で生きている。

 決定をなるべく小さな単位(共同体)で行い、できないことを、より大きな単位で補完していく(補完性の原理)。

 ワーキング・プアや労働者派遣法の改正などの労働立法も課題となっている。自由至上主義政策のせいで状況は深刻になっている。

■ 遺伝子工学による人間改造

 サンデルは生命を「贈物として与えられるもの」「天賦のもの」と考えている。

 盲的という点から考えると、病気の治療は、視線への介入であるが、健康のためになされる。その目的によって統御されている。「治療」と「増強」の線引きは難しいが、線引き自体は重要である。

 ヒトラーは、1933年に政権を掌握すると優勢断種法を制定。米国の優生学者たちは喝采した。米国の優生学的な処置は1970年代まで持続した。

 親は子供を選択ことはできない。与えられたものを受け入れる。親であることは、謙虚を学ぶことである。

 サンデル哲学の核心は、私たち人間は、「天賦の生命を善く生きる」ことを目的とする存在である、ということだ。

 「贈り物」は「贈り主」を前提にしているという反対論。生命の「聖性」を語るときに、形而上学的な意味は要らない。無条件の愛。不完全な人間であることを前提とした仕組みを作っていくべきではないか。

 米国の保守派は、受精卵の段階から生命と考えている。どこから人間になるかを決めることは難しい。だからといって、「胚は人間である」とは言えない。

 コミュタリアニズムにはユダヤ系の人が多い。ユダヤ教は、ユダヤという共同体を規定している。彼らは共同体を背景にしつつ、倫理を考える。

 ユダヤ教は、事前に対しての人間の支配と統治を肯定する。

■ コミュタリアニズム的共和主義の展開

 国民の間に不満が高まり、講義の政治が現われてきた。

 小泉政権は、郵政民営化のように市場原理主義政策を採ったが、靖国参拝のような国家主義的な性格もあった。

 貧富の差が拡大すると、金持ちは公立学校や公共の公園や交通機関を利用せず、共通善が視界から消える。

 政府による収入保障ではなく、尊厳ある雇用を増やすことが大事である、とロバート・F・ケネディは主張した。

 市場の道徳的限界。生命を自分の所有物とみなす考え方でなく、生命への畏敬の念が必要なのである。

 近代の世界観の中心になっている「原子論」。最小の単位である個人が契約して国家を作るという考え方が現われた。

 米国のように「戦争があるのは当たり前」という世界の中では、「認められる正義の戦争を可能な限り限定しよう」という正戦論は、戦争抑止の意味を持つ。

 リベラル-コミュタリアン論争。「共同体の多数派が言うことが正義なのか」「自由を圧殺する危険がある」。リベラル派が権利ばかり主張することを批判して、それに対応する責任を重視することも強調した。

 コミュタリアニズムは、多数派主義ではない。個人と社会のバランスが大事だ。権利と責任の双方が大事だ。善や正義についても道理に敵った多元の考え方が存在する。正義は内在的な善に立脚している。

 菅首相は「最小不幸社会」という概念を掲げた。

■ 本来の正義とは何か

 自由主義者は、価値観は多様であり、何が善かは個人の自由とする。倫理性と切り離した「正義」に人間が合意できると主張する。

 サンデルの主張する「善ありし正義」は、特定の時代と社会を超えたもの。しかし、普遍なものとも主張はしていない。共通善が政治の目的と考えている。