「オールブラックスが強い理由」 大友信彦 2019年 講談社文庫

 敬愛するオールブラックス。なにしろ、ニュージーランドへの移住を考えたこともある私。日本とオールブラックスが対戦したら、迷うことなくオールブラックスを応援しちゃいます。それぐらい好きです。 以下はこの本の要約と引用です。


■ 序

 ニュージーランドは、対戦したことのあるすべての国に大きく勝ち越している。1987年、初めてのラグビーワールドカップで優勝。

 オールブラックスは、ジャージ・パンツ・ストッキングの全てが黒。全ての色を混ぜ合わせると黒になる。

 ハカ(ウォー・クライ)は、マオリ族の戦いの踊り。国を代表するチーム=オールブラックスには、先住民族マオリ族の血を引く選手を必ず入れるという不文律がある。試合前の国家斉唱で、英語とマオリ語の両バージョンを歌う。ハカをリードするのは、マオリ族の血を引く選手が務める。

 オーストラリアが白豪主義を採ったのに対して、ニュージーランドは、世界で初めて先住民族の権利を尊重する条約を結び、世界で初めて女性の参政権を定めて国だ。

 オーストラリアのアポリジニは、海面の低い時期にニューギニアを経由して、5万年前にオーストラリア大陸に辿り着いた。

 ポリネシア人たちは、冷たい海水を浴びながらの長旅を生き延びる素質、体温を高める筋肉と豊富な皮下脂肪を備えていた。

 ニュージーランドの先住民マオリは、8世紀ごろに移住してきた。人類学的にはポリネシア系。ハワイやトンガやサモアやタヒチなどと同じ。19世紀に英国からの移民が始まる。

 ニュージーランドは、1840年、英国からの移民がマオリ族と土地所有権や林業・漁業権や自衛権などの尊重を明記したワイタンギ条約を結び、英国が領有を宣言した。

 ワイタンギ条約は、ニュージーランドは英国の領土となり、先住民の権利を保障した。条約が結ばれたとは言え、英語版んとマオリ語版に差があり、土地取引には紛争があった。マオリ族の保証された筈の権利は顧みられることはなかった。後にマオリ族の抵抗運動が起きる。1860年に始まるマオリ戦争は10年以上続いた。

 争いを重ねながらも、互いの違いを認め共生の道を探った。過去の歴史からも目を逸らさずに歴史を築いてきた。

 200を超える民族、160を超える言語を擁する国。その多様性の中で、共通する価値観を持っている。

 オールブラックスは、ニュージーランドという国がそうであるように、互いの違いを尊重し、互いの信じるものを尊重する。それぞれが違う能力を持つこと、違う人格を持つこと、違う発想を持つことが、力になることを知っている。だから謙虚であり続けることができる。周りを見ることができる。

 全ての色を混ぜ合わせると黒になる。民族の違い、宗教の違い、言語の違い、体格の違い、育った環境、階層、年齢、職業、経験 … 個々を構成する違いを吞み込んで、オールブラックスのジャージは黒く輝く。

■ プロローグ

 ダン・カーターは、オールブラックスで112のテストマッチに出場、世界最高の司令塔と謳われた名手。

 試合中、絶え間なく周りの状況を確認。試合が途切れると、周りの選手に意思を伝え、聞いた。

 特別なアタックを見せるわけでもなく、忠実に頑健に体を張り、倒れてはすぐに起き上がって走り、ハードワークを反復した。

 「積極的に意見を言おう。それが正しいかかどうかは置いといて、思ったことを口にしよう」ウェイン・スミス。

■ ジョン・カーワン

 日本代表のヘッドコーチだったジョン・カーワン。オールブラックスでキャップ63、テストマッチ通算35トライの豪脚ウィング。

 ラグビー専門のクラブは、ニュージーランドではどんな小さな町にもある。たくさんのクラブがあって、選手がたくさんいて、常に試合が行われている。子供の頃からそれを繰り返して、技術が磨かれていく。

 努力し向上し続けなければオールブラックスには残れない。

 「あなたが胸を張って未来に向かいたいなら、あなたの過去を背負いなさい」マオリ族の諺。

■ 田邊 淳

 田邊淳は、高校生でニュージーランドへ個人で留学した。

 「ラグビーは、チームスポーツ」「オールブラックスの強さの源は仲間意識の強さ」。

 ニュージーランドでは、激しいプレッシャーのかかる試合の中で、コミュニケーションを磨いていく。

 オーストラリア出身のエディー・ジョーンズは、チームラウンジを携帯電話使用禁止にした。「ニュージーランドの選手は、お互いにコーチングし合う文化で育ってきている」。

 ニュージーランドのラグビーには色が無い。色がないから、相手に応じて戦い方を変えていける。チームの標準「全員これができる」を互いに高め合って、判断を一致させるコミュニケーション力が大切。

 「ラフビーはシンキング・ゲームだ」「するべきプレーは先に決めておくんじゃなく、その時その場面で考え判断する。その優劣を競うゲームだ」ロビー・ディーンず。

■ トニー・ブラウン

 トップリーグの創設とともに、日本にニュージーランドやオーストラリアからはRWCで活躍したトップ選手が数多くやってきた。

 トニー・ブラウンはキャップ18。

 「大切にされていたのは、ワーク・ハードとプレー・トゥギャザーだった」「ニュージーランドではチームファーストが常識です」。

 「高いポテンシャルを持った選手を、同年代の選手の中に置いておくと、楽をして勝ってしまう。早く高いレベルに上げて、自分を高めることを学ばなければいけないんだ」。「日本の場合、高校生は良いラグビーをしているけれど、大学でレベルが停滞して、社会人に進んだとき苦しんでしまう。2〜3年かかってやっとトップリーグでプレーできる能力を身につけたときには、キャリアが短くなってしまう」。

■ 宮浦成敏

 「ニュージーランドと日本の最大の違いは、ユース世代の育成環境にある」トニー・ブラウン。

 ニュージーランド北島のハミルトンを中心にしたワイカトは、農業人口が多く、先住民マオリの血を引く人々が多い。ニュージーランド・ラグビーのハートランドだ。純朴で、頑健で、忠実なプレーをひたすら遂行する ― ラグビーという競技の原点を感じさせる選手を、この土地は数多く送り出してきた。

 密集でボールを奪い合うブレイクダウン。誰がどの仕事をするのか、役割分担を分かっていない。最初に到着した選手、二人目、三人目 … 到達した順番により、役割は違う。ボールを獲得するだけでなく、密集に入らすに備えることも大切だ。

 デシジョンメーキングのトレーニング。コンタクトプレーヤタックルなどのスキル練習には、「自分はいつ・どこで・誰にタックルするのか」を自分で決断して、周囲に伝えるが含まれる。

 毎週各地で行われる試合を視察し、選手に関する報告を作成する。情報はデータベース化される。毎月1回、選考に関する会議を行う。

 評価は具体的。パスでは「指を伸ばし、手を前方へボールが来る方にあげる」「身体の前を横切るように腕を振る」「ヒップラインをフラットに保つ」など、右へのパス、左へのパス、それぞれの習熟度を評価する。「パスが上手い」ではない。それは選手に対して「習得すべき項目」を提示することでもある。

 ユーズの時代から、代表チームが結成され、代表になるための教育を受け、競争にもさらされる。

 21歳までにプロになれなければ、もうプロにはなれないのが現実。選手たちは19歳から20歳が勝負だと知っている。

■ ルーベン・ソーン

ニュージーランドから来日した選手の中で、オールブラックスのキャプテンとしてRWCを戦った選手はルーベン・ソーンしかいない。

 注目されるのはスピードスターや、キッカーなどバックスの選手。フォワードではボールを持って相手タックルを蹴散らすペネトレイター(突破)型の選手。ブレイクダウンなどの密集回りの目立たない、痛い仕事に身体を張る選手が、相手に踏まれながらボールを獲得するから彼らは走れる。その不可欠なプレーは「ハードワーク」と呼ばれる。試合中、一度もボールに触らないことさえある。

 ニュージーランドでは、大学生以上の年齢になると地域のクラブがプレーの場となる。

 オ−クランドの周辺には、フィジーやサモアやトンガなどから移住したアイランダーが多く住む。金融機関に勤めるホワイトカラーの住民も多く、平均所得も高い。

 カンタベリーは、オークランドと並ぶ人材供給基地として、オールブラックスの歴史を築いてきた。

 「ニュージーランドでは、ラグビーはナショナルスポーツ。誰がオールブラックスに選ばれるかは多くの国民が気にかけているし、そのキャプテンともなると、国民の誰もが知っている。日本に来てからは、誰かに気づかれることを気にせずにプライベートな生活を楽しめた」「それだけにテストマッチに勝ったときの達成感は素晴らしかった。国民全体の想いを背負って、重圧と向き合って、そのうえで勝利を掴んだ幸福感は大きかった。ラグビーは国技ですから」。

 「日本のラグビーはサイズの面で、特にバックスは劣っているけれど、スキルレベルは高い。劣っているのは身体の大きさと強さ、そしてペース。ペースとは、試合を進めるスピード、リズムをコントロールすること。自分たちが持ち込んだボールはクイックで出したい。相手が持ち込んだボールはスローダウンさせたい。密集でのボール争奪戦の強弱は、身体の使い方」。身体の使い方は、実践でないと身につかない。

 ニュージーランドのラグビーが積み重ねてきた技術と情報と経験は、クラブを通じて蓄積され、再生産され、分配された。年齢層も職業も幅広く、多くのことを教えてくれます。

■ 堀江翔太

 堀江翔太は、2009年カンタベリー協会の育成部門(アカデミー)と契約し、オールブラックスを目指す若手選手と生活、プレーをともにした。

 「ニュージーランドでは練習中ずっと喋りっぱなし。日本では、組織でどう動くという約束事を立てて練習するけれど、ニュージーランドではそれがない。個々がどれだけ周りの人間を使えるか、コールして連携できるかなんです」。

 「待っているだけの人間にチャンスは与えない。チャレンジして結果を出した人間は「信頼」という評価を勝ち取る」。

 「ニュージーランドの選手は、スキルがメチャメチャ高いわけではない。フォワード言えば、身体を当てて当てて、それを繰り返していって、ディフェンスが崩れたらそこで一気にトライまで持っていく。スキルよりも我慢強さ、真面目さが強み」。

 「完璧なパスを投げる自信がないなら、相手に当たってポイントを作る安全策を、という発想は、決して間違いではないが、挑戦しなければ技術は進歩しない」「ニュージーランドには、完璧なパスなど期待するな、どんなパスでも捕りにいけ、という基本認識があった。冒険的なパスも繋がるようになる」。

 「タックルに行って、飛ばされてもそれはし方ない。そこでまた立ち上がり向かっていくものは認められる。諦めるような者は、最初からニュージーランドでラグビーをしていない。

■ エディー・ジョーンズ

 エディー・ジョーンズは、オーストラリア代表ワラビーズの監督を務めた。2012年から日本代表のヘッドコーチに就任。2016年からはイングランド代表監督。

 英国からの流刑者をルーツに持つオーストラリア。英国から持ち込まれた階級社会が根強く残っている。ラグビーは中流以上の人びとに浸透した。

 ニュージーランドの社会には階級は無い。テレビにはラグビー専門チャンネルがあって、一日中ラグビーを放送している。日本のトップリーグも放送している。

 エディは、シドニーにあるインターナショナルスクールの教師をしていた。

 オールブラックスは、結果に縛られて精神的に不安定になってしまう癖があった。

■ 坂田好弘

 坂田好弘は、日本代表で16キャップ。ニュージーランドに挑んだ日本人選手のパイオニアとなった。

 格下の相手からも学ぼうとする「ハンブル(謙虚)」が、ニュージーランドの強さ。

■ RWC2011

 1995年第三回南アフリカ大会。人種隔離政策を撤廃、全人種参加の選挙を経てネルソン・マンデラ大統領が就任し、新たな国造りを始めた新生南アフリカ。南アフリカは、ニュージーランドを決勝で破って優勝する。

■ RWC2015

 「ワールドカップで優勝するには合計600キャップ、一人平均40キャップの経験が必要だ」エディ・ジョーンズ。

 リーチ・マイケルは、15歳の時に札幌山の手高校に留学。東海大学の同級生だった知美さんと結婚し、日本国籍も取得した。一つの失敗で萎縮しないメンタルの強さがリーチの最大の武器だ。

 南アフリカ戦の後、リーチはエディの指示を無視したことについて「やっているのは俺たちだ」と答えた。指示待ちの多い日本人。事前に決めた戦法では現代のラグビーに勝つことはできない。

 日本の選手は国際試合の経験が少なく、判断力に劣る。2016年からスーパーラグビーに参加する「サンウルブズ」が結成され、選手たちの経験値も高まった。