「分かち合いの経済学」 神野直彦 2010年 岩波新書
スウェーデンの「オムソリー(=社会サービス)」の語源は「悲しみの分かち合い」。著者は、スウェーデンの財政政策に傾倒しています。そのあまり、論理性と現実性を欠く部分があるとしても、その主張には耳を傾けるべきです。日本の閉塞状況を乗り越えていくために必要な知恵があります。
■ はじめに
1929の世界恐慌の中で「希望の島」と讃えられたスウェーデン。「国家の家」という「分かち合い」のビジョンを掲げた。競争(奪い合い)は絶望を、協力(分かち合い)は希望をもたらす。
■ なぜ今「分かち合い」なのか
日本は2002年から長期にわたる好景気を経験する。景気上昇過程で、労働賃金は低下し続けた。
日本のセーフティネットは、正規従業員として企業共同体に帰属していることを前提としている。非正規労働者には、雇用保険、厚生年金、健康保険に加入する資格が無い。
非正規従業員雇用の企業のメリットは、低賃金、解雇容易性、社会保障負担削減。
「ほとんどの人は善良で親切である」に対してフィンランドの学生の8割が肯定している。日本の学生は4割以下。人間の絆が人間環境が破壊されている。
日本では、「小さな政府」が主張され、公共部門が民営企業化された。
私的所有権が設定されていない共有地の「コモンズの悲劇」は、市場原理を正当化する根拠とされている。「コモンズの悲劇」は、分かち合いという共同社会を形成できなかった悲劇である。
分かち合いの経済は、共同体の紐帯=信頼関係が必要である。
市場経済の領域が拡大すると、無償労働の存在が縮小していく。
市場経済は、私的所有を保護する暴力(権力)無しには成り立たない。
市場経済を拡大させる一方で、家族やコミュニティを重視することは矛盾である。
■ 危機の時代が意味すること
危機の時代、歴史の曲がり角で必要なのはスピードではない。スピードを上げれば転倒してしまう。冷静に判断することが必要だ。
市場社会は、経済・政治・社会が財政を結節点として結びついている。
1929年の世界恐慌は、世界経済秩序「パクス・ブリタニカ」の崩壊。重化学工業を貴族とする産業構造が形成された。現在の世界恐慌は、アメリカを覇権国とする世界経済秩序の崩壊の危機である。
ポランニーは、ファシズム・社会主義・ニューディールを市場経済から社会防衛だとした。こうした社会反動の結果、ブロック経済化が進み、第二次世界大戦という破局を迎える。「生き残りをかけた競争」は、破局に向かう。
ブレトン・ウッズ体制は、ドルを基軸通貨とする固定相場制。完全雇用・経済統制・社会福祉・労働組合を重視した国内介入主義を前提とした。政治システムが市場経済に介入して国際社会システムの形成を意味した。
固定為替相場の維持には、租税負担などの要因によって資本逃避が生じない資本統制が容認される。資本の移動が統制する権限が国家に与えられていた。混合経済と福祉国家の前提条件となっていた。
重化学工業を基軸とする産業構造の下では、交通網やエネルギー網=社会インフラが要求される。
第二次世界大戦という総力戦を遂行するには、所得税と法人税を基幹税とする税制制度が形成された。戦時経済の資本統制と絡み合いながら、資本所得への課税は強化された。戦後の租税制度は、高率の法人税と高い累進性の所得税を継承した。
所得再配分を強めることは、重化学工業が産出する耐久消費財の需要を高めた。社会の統合性が高まると、労働意欲も高揚し、生産性も向上する。
第二次世界大戦後には高度経済成長「黄金の30年」が実現する。市場経済への介入を肯定するケインズ的福祉国家が目指された。
1973年の第四次中東戦争では戦況が互角。イスラエルは休戦に追い込まれる。イスラエルを支援した米国に対し、アラブ諸国は石油輸出国機構を通じて原油価格を4倍に引き上げた。
大量生産・大量消費を実現する重化学工業は、自然資源多消費型産業である。自然資源価格の上昇を技術革新が抑制していた。技術革新が停滞すれば、自然資源価格は上昇する。
ブレトンウッズ体制の下、米国は覇権国として、国際流動性を供給する責任を負わされていた。
変動相場制への移行は、福祉国家の所得再配分を可能にする資本統制が認められなくなることを意味していた。
1973年のクーデターで独裁政権を樹立したチリのピノチェト将軍は、フリードマンの仲間達を経済閣僚に据え、新自由主義に基づく経済政策を展開する。フリードマンは「チリの奇跡」と賛美した。
1979年、新自由主義を標榜するサッチャーが政権の座に就く。新自由主義を掲げるレーガンが米国大統領に就任。1982年、新自由主義を唱える中曽根政権が誕生する。
新自由主義は福祉国家を否定する。スタグフレーションは、規制を緩和し、国営企業を民営化し、小さな政府を実現することで解消されるとした。
資本統制は解体され、金融自由化が進められた。グローバルに動きまわる資本に重課することができなくなり、所得再配分が困難になる。
不平等が激化すれば社会統合が困難となり、強い政府を主張することになる。
新自由主義下での製造業の生産性の向上は、人件費の抑制によるもの。
バブルは産業構造を転換する必要のある時代に、新しい産業の創設と投資が向かわない時に生じる。
中国にしろインドにしろ、新しい産業構造を創出したわけではない。地球の人口の1/3に及ぶ中国とインドが、自然資源多消費型産業構造を走らせれば、自然資源価格が高騰する。
■ 失われる人間らしい暮らし
企業に大量の労働者が雇用され、労働組合に組織され、政治的発言力を強め、社会保障制度を充実させる「大きな政府」を実現させた。
新自由主義は、労働者の発言力を弱め、社会保障を削り、企業の権限を大きくした。
日本は戦後も福祉国家を目指すこともなく、「小さな政府」だった。
「大きな企業」が雇用保障機能や生活保障機能を担えば、政府は小さなままでよい。生活給による日本の年功序列賃金は、扶養家族手当のように、政府が社会保障として提供すべき給付まで含まれていた。
重化学工業では、筋肉労働が大量に必要になる。家族内の労働は女性が担う。
高度成長期における日本政府は、公共事業では土木事業国家だった。農民や中小自営業者の生活を保障したとも言える。
日本では共同体が存在していたが故に、福祉国家の時代であっても「小さな政府」が可能であった。
日本的経営を支えたのは、重化学工業の成長だった。重化学工業が行き詰り、経済成長が停滞すれば、日本的経営も破綻する。
日本的経営が行き詰れば、「大きな政府」が要求される。1973年は福祉元年となった。しかし、新自由主義が押し寄せ、高福祉・高負担路線は打ち砕かれる。1981年、第二次臨時行政調査会は、増税なき財政再建を提唱した。家族が社会保障を支える国家への転換を提唱した。
福祉国家とは所得再配分国家である。
知識社会へとシフトすると、現金給付=失業保険・疾病保険・老齢年金・生活保護による所得再配分では限界がある。現金給付による生活保障は、女性が家族内で福祉サービスなどを生産することを前提としている。
知識社会にシフトすると、女性も労働市場に参加する。政府が福祉サービスを提供せざるを得なくなる。
欧州諸国と比較して、日本の社会支出は著しく小さい。欧州諸国の現金給付には、家族現金(児童手当)がある。現物支給では、高齢者現物と家族現物(育児サービス)がある。
全ての社会構成員に労働市場へ参加する条件を保障する、知識社会に移行する条件になる。新しい産業が要求する能力の習得する条件を整備する必要がある。教育サービスこそが、知識社会では格差を是正する。
スウェーデン政府は、人間能力を高める教育こそが、経済成長と雇用確保と社会正義を達成できると主張している。日本の教育サービスが低水準であることは、貧困と格差を広げるだけでなく、固定化してしまう。
■ 分かち合うという発想
「人間は共同体的動物である」アリストテレス。
知識は個々人が「蓄える」ことに意味がない。知識に所有権を設定して取引しても知識産業は成立しない。知識は共有する集合財と考える方が良い。他者を蹴落とす競争が繰り広げられる社会では、知識産業は活性化しない。
工業では生産と生活が分離する。競争する生産と協力する生活が分離していく。知識産業では、人間同士の協力関係が基盤になる。
日本は工業化社会のルールに呪縛されている。
地方政府は生活の場におけるコミュニティ組織を基盤にして形成される。欧州では、教会をシンボルとしたコミュニティ組織を基盤にして地方政府が形成されている。
市場社会では、生産の場と生活の場が分離している。それを政治システムが統合する。
社会システムには二つの部門がある。インフォーマル・セクターは、集まること自体を目的とした帰属集団。家族やコミュニティ。ボランタリー・セクターは、目的のために組織された機能集団。
社会システムは強制力を備えていない。政治システムは暴力という強制力を独占し、社会統合果たす。政治システムは自発的協力の限界を克服する。
危機が生じたときは、「分かち合い」を強化した方が危機を回避できる。
スウェーデンでは、経済学者ミュルダールの理論に基づく完全雇用政策、メッレルが唱道する労働者災害補償保険・国民年金・医療保険・失業保険を導入して、世界恐慌を克服し、福祉国家を建設した。
社会的補助支出にような貧困者に限定した現金給付が高いほど、格差も貧困も激しくなる(再配分のパラドクス)。格差や貧困の低いスカンジナビア諸国は、福祉や医療や教育という社会的支出が大きい。
貧富に関わらず育児サービス・養老サービス・医療サービスは無料。スカンジナビア諸国では、利用者負担は所得比例となっている。多くの欧州諸国では、教育サービスは無料である。サービス給付が提供されていないと、生活保護の給付は膨らむ。
■ 今の財政の使命を問う
「分かち合い」とは、生きていく上で遭遇する困難を、共同体として解決していくことである。
財政とは、パブリック・ファイナンス。
財政収支の赤字を根拠にして。「分かち合い」を削減する。新自由主義に基づき法人税の減税が実施される。
日本の財政法第四条では、公債の発行を禁止した上で、「但し書き」によって、公共事業や出資あるいは投資などの資本支出に使途を限定して公債の発行を認めている。
新自由主義の米国、欧州経済モデルのドイツ、スカンジナビア・モデルのスウェーデン、そして日本との経済パフォーマンスを比較する。「小さな政府」と財政支出の均衡は無関係。「大きな政府」のスウェーデンは財政収支が黒字。「小さな政府」の日本は突出した赤字である。「分かち合い」の小さい米国と日本が貧困な社会に陥っている。
「分かち合い」の経費は削減できても、警察や刑務所の経費は削減できない。社会支出を削減しても、強制力を強めて秩序維持の支出は増加する。
ケインズ的福祉国家では、資源配分機能・所得再配分機能・経済安定化機能から、所得税・法人税中心税制が目指された。
新自由主義は、逆進的負担をもたらす消費税(付加価値税)を推奨する。
「小さな政府」である米国は、付加価値税を導入していない。
■ 人間として、人間のために働く
市場に介入せずに自由放任にすれば、努力する者が報われる社会となると、市場原理主義は主張する。
市場では構成員に同じ権利が与えられるわけではない。富める者ほど大きな権利を持つ。
人間の行為で、自己だけに関係する行為など存在しない。行為は社会的意義を持つ。
日本の企業は疑似共同体だった。終身雇用と年功賃金、つまり雇用保障と生活保障がなされていた。
二極化する労働市場を克服する三つの同権化。賃金の同権化は、同一職務であれば同一賃金を保障する。社会保障の同権化は、正規や非正規という身分によって社会保障への加入に格差があることを解消する。労働市場参加の同権化は、育児サービスや高齢者福祉サービスを提供し、加えて、教育・職業訓練・再教育により、労働市場への参加を保障する。
「同一労働、同一賃金」の原則を確立すれば、最低賃金をめぐる問題も解消される。
賃金も社会保障給付も同権化されると、企業の雇用費用が高まり、雇用の確保が困難になるころもある。産業構造を転換させるためには、三つの同権化が必要なのだ。衰退している産業から、新しい産業へと労働者を転換させるために、雇用の弾力性を高めていく。
スウェーデンでは、在職者がステップアップする目的で、教育を受けるための休暇を取得することが保障されている。教育期間中の生活は、政府が融資する教育ローンによって保障されている。福祉は、働くための福祉に発展している。
日本は重化学工業化を推進する中国やインドに対抗するために、低賃金と低税率を求めている。
■ 新しき「分かち合い」の時代へ ― 知識社会に向けて
経済とは、人間が自然に働きかけて有用物を取り出す活動である。工業社会の最大の制約条件は(自然)環境である。
情報は、生産の場と消費の場を近づける。多様な需要に対して、無駄のない多様な生産が可能になる。
知識社会にシフトする三つの政策。第一は、人間の能力を高める教育投資。標準化された反復訓練によって身につける能力は必要とされなくなる。問題を解決する創造性が求められる。スウェーデン政府は、経済成長と雇用確保と社会正義を同時に達成しようとすれば教育しかないと明言している。国民の能力が高まれば、所得分配が平等となり、社会正義が実現できる。
第二は、健康な生活を可能にする医療と自然環境。第三は、社会資本の培養。社会資本とは、人間と人間との信頼の絆。
生活の保障と教育の機会が与えられなければならない。