旅の二日目。京都から高速バスに乗って淡路島経由で徳島-鳴門へ。

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バスの車窓からの瀬戸内海。学生時代に恋人を追って来た四国。なんか、ドキドキします。女房と若き恋の話で盛り上がりました。

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 乗客の中にはお遍路さんもいます。徳島は、お遍路の出発点ですからね。

20250330s8433大塚美術館
 大塚美術館に到着しました(大塚美術館は別途にアップしますね)。

 大塚美術館の設立は、大塚グループの創業75周年記念事業の一環。関連会社である大塚オーミ陶業の技術を活かして、世界的な美術作品の陶板複製を展示しています。世界の美術館を巡らなくても、一か所で多くの名画を鑑賞できる場所を作りました。そして、「陶板画」は、劣化せず半永久的に保存できます。セラミックですから、屋外展示や触れることが可能です。

 女房と私の関心領域である古代を中心に、それ以外はサ〜と見ただけ。それでもたっぷり6時間半かかりました〜。足も頭もくたびれて宿へ。この疲れ方は、若い頃のルーブル美術館以来かも。女房は持病の足の付け根に激痛。頭は強烈な頭痛。私より重症です。

 という訳で、美術館を出ると寄り道せずにホテルへ。

20250330s9086夕日 20250330s9094
 宿は「鯛丸海月」。オーシャンビューの部屋にしました。曇天なのが残念ですが、夕暮れの瀬戸内海を一望できます。

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 窓から見えたのが養殖用のブイ。タクシーの運転手さんに聞いたら、ワカメの養殖だとか。瀬戸内は様々な魚を養殖していますが、ワカメもやっているですね。

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 眺めの良いのは外だけでなく内にも。なんとバスルームがガラス張り。ベッドからも脱衣所からも丸見えです。まるでラブホですよ!私が大喜びしていると、女房が「このホテルは露天の大浴場が自慢なんだから行ってらっしゃい」と部屋を追い出されてしまいました。

 大浴場からも海が見えて、温泉ではなかったけれど気分は最高 (^_-)-☆ 女房は二人で入れるぐらい大きい部屋のお風呂でのんびり足を延ばして(広げてではない!)気持ちよかった〜とのこと  ← 残念 !(^^)!

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 夕食はバイキング。鳴門ですから海鮮が中心です。まずは前菜から。食べるのに夢中で写真を忘れましたが、5盆食べて満腹になっちゃいました。それでも別腹。デザートも一盆。しっかり食べました。味はフツー(ちょっと残念でした)。そうそう、テーブルで温めて食べる鍋が取り放題なのが嬉しかったヨ。

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 ホテルのロビーにあった木偶人形。人形浄瑠璃「熊谷陣屋の段」で用いられる「熊谷」です。

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 ホテルの窓からの瀬戸の日没。小島や岩礁の灯。船の汽笛。旅情ですね〜。

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 この部屋をとったのは朝日を見たいから。瀬戸大橋が赤く染まり、鴫?が朝日のなかを飛んできて魚を狙っています。絶景です。

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 漁船がやってきたワカメを採っています。

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 次々に漁船がやってきて漁を始めます。

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 日が昇り、漁船が帰っていきます。

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 すっかり明けました。旅行中、日本列島は寒気に覆われ荒天続きだったのですが、この日の鳴門は晴天。幸運でした。

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 朝食。美味しかった〜。量が食べられなくなった年寄りには、バイキングよりも、量は少なくても美味しいものが嬉しい。

 淡路島の伊弉諾神社まではタクシーで。途中で高速を降りて、海岸線を走って貰いました。

20250331s9509慶野松原
 慶野松原。防風保安林です。全国的に松枯れで松林が減っていますが、ここは比較的残っているようです。

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 プロポーズ街道!夕陽を見た後、告るんですね!お幸せに !(^^)!

20250331s9516事代主神社 20250331s9522
 事代主神社(戎神社)。蛭子さんです。瀬戸内の海に似合っています。

20250331s9527高田嘉兵衛記念館 20250331s9565
 タクシーの運転手さんに「高田嘉兵衛の資料を集めた高田屋顕彰館-嘉兵衛物語」に寄って貰いました。10時開館なのですが、9時半に開けて貰っちゃいました ← ちょっと強引でしたが …。

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 高田嘉兵衛は当時としては大型の「辰悦丸」を自費で造船。北前船の航路を開拓し、函館港を自費で建設します。さらに、北方四島への航路を開いて、北海道の交易の基盤を確立します。

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 その後、ゴロヴニン事件でロシアに抑留されますが、自力でロシアと交渉して日ロの友好関係を維持して帰国します。その功績は日ロ双方で高く評価されています。今でもロシアは嘉兵衛の功績を忘れていません。

 帰国した嘉兵衛は、高田屋奉納船三隻を寄付。別に軍船「安宅舟」も自費で建造しています。地元の港も改修し、私財の全てをつぎ込んで貿易の発展に貢献しました。