平和に対する考えをまとめてみました。
戦友が血を流して死ぬ。それを目の当たりにし、戦争を憎み平和を求める。そして、生き残るために冷静に闘う。矛盾ではない。平和への希求、だからこそ、殺す-殺される覚悟を定める。表裏一体だ。
人々の幸せを願う為政者は現実主義者。アンゲラ・メルケルもバラク・オバマも、独裁者やテロリストと膝詰めで話し合った。国民の暮らしのため、世界の平和のために。彼らは利益を語る。正義を振りかざさない。愚衆とマスゴミから弱腰の誹りを、称賛と受けとる。そういう品格と度量を持っていた。
為政者が正義を叫ぶとき、戦争は始まる。人殺しもできない腰抜け=右翼には、信念も自信も無い。だから人気取り。右翼は正義を訴え、愚衆は熱狂して叫ぶ。ハイルヒトラー!そして、皆殺し会う。
[正義×愚衆=皆殺し合]は、人類1万年の歴史が証明する厳然たる事実。真っ当な人間は、事実と向き合う覚悟がある。
国連に加盟している国は、国際法上は「戦争を放棄している」ことになっている。日本憲法の第九条はむしろ国際標準。1928年のパリ条約、所謂「不戦条約」に明確に謳われた。東京裁判ではこの不戦条約を強引に適用して、「戦争犯罪」問うた。
世界が「自衛権」を許容しているのは、国連(軍)による集団安全保障が不完全な故の「例外」。自衛と集団安全保障は全く別次元のもの。国連軍に自衛隊が参加するのは「合憲」。自衛権は放棄しているが、集団安全保障は放棄していない。国連に参加する前提条件の一つは、集団安全保障に貢献すること。PKOなどへの参加は、加盟国の義務。
自衛権を放棄している筈の「日本軍」が、「自衛隊」を名乗るのは「憲法違反」。きちんと「日本軍」と名乗るべきだ。国連軍に参加する軍隊(日本軍)は、各国(日本国)が責任をもって派遣しなければならない。
人類の歴史は戦争の歴史。戦争を根絶することは不可能という厳然たる事実を前提として、世界平和を達成する道筋と枠組みを考えねばならない。
日本は自衛権を放棄しているのだから、自衛隊は不要。日本国は、憲法に謳っているように国際社会の平和維持の機能を信を置く。必然として、自衛隊を日本軍として国連軍に所属させ、その指揮権を国連の事務総長に与える。日本軍は事務総長の指揮の下、最も危険な任務を遂行し、世界の平和の貢献する。日本国政府は日本軍の活動に一切関与しないので国連軍の最高司令官としては、「最も使い勝手の良い」軍となる。そして、その活動を世界は見ている。そして日本国政府は、他の国も国連の集団安全保障に、より貢献するよう働きかける。最終的に自国のための軍事活動を放棄させる。日本は、国連軍による世界平和を「実態のある」ものとすべくリーダーシップを発揮する ・・・ こういう筋書きを描けないこともない。
勿論、日米安保は解消される。日本軍が国連に帰属すれば、日本は「丸腰」になる。永世中立国スイスがそうであったように(事情は違うけれど)、国民一人一人が国を護る義務を持つことになる。自治体単位の「武器庫」に銃器を補完。18歳以上の国民は、短期間の軍事訓練を受ける。指導は、国連軍で実戦経験を重ねた武人(人を殺しても正常な精神を保つ人間)が当たる、などの対応が考えられる。
平和は武器を捨てることでは達成できない。「真に平和を求める者は、銃を取らねばならない」が冷徹な現実。「殺し-殺される」覚悟のない者に平和は守れない。
自衛官に命を懸けて世界平和に貢献する覚悟はあるのだろうか。一旦、自衛官を全員解雇し、真に平和を求め、命懸けで国連軍に赴く者を募集する。その時、「積極的平和主義」を唱えている政治家の子弟を参加させるよう働きかける。もしそうしないのなら、嘘つきだ(国会議員に嘘つきでない人間がいるとも思えないが)。そして、平和を求める覚悟がある者だけが国会議員に立候補する。そういう世論を醸成する。
青臭い理想論かも知れない。しかし、人類の皆殺し合の歴史と向き合うならば、そうでもしないと平和は訪れない。口先だけ「世界が平和でありますように」と言い、気が向いたら戦争難民に寄付をする。そんなことで世界が平和になる筈はない。
この厳しい道を進んで歩む人間が、日本国民にいると信じたい。日本軍が、国の利害を超えた「私心なき」国連軍となるならば、私も(銃の扱い方に多少は習熟しているので)国連軍に参加する意思がある。こんな爺を採用してくれればだが・・・


