大好きな無著について調べました。無著は高校生の時に修学旅行で出会いました。それ以来、唯一、彫刻としてはではなく、「仏像」として向かい合う存在になっています。

無著3
(写真はネットからお借りしました)

・興福寺の無著

 興福寺は法相宗の大本山であり、北円堂はその中でも特別な場所です。北円堂は、藤原不比等の首一周忌に際して元正天皇の命で建てられた、興福寺の中で最も神聖な堂の一つです。

 現在、北円堂に安置されている像は、鎌倉時代の建久年間に火災で焼失した後、名匠・運慶の一門によって承久3年(1221年)頃に完成したものです。

 無著は、運慶の指導のもとに運助が担当。天平彫刻の写実性と、弘仁彫刻のたくましい量感とをあわせ持ち、自信にみちあふれる姿です。

 興福寺北円堂において、無著(むじゃく)と世親(せしん)の兄弟が、本尊である弥勒如来の脇侍として安置されています。

 無著と世親が「法相宗」の基盤を作った実在の人物であり、弥勒菩薩から教えを直接授かったという伝説があります。4〜5世紀頃のインドの学僧である無著は、瞑想を通じて兜率天(とそつてん)に登り、未来仏である弥勒菩薩から『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』などの教えを伝授されたとされています。

 弥勒は教主。無著は弥勒の教えを地上で体系化した長男。世親は、兄に導かれて大乗仏教に転向し、教義を完成させた次男。このように、彼らは「師匠と弟子」の関係にあるため、弥勒如来を中央に置き、その左右を固める脇侍として配置されるのが最も自然な形となります。

 通常、仏像は「三尊形式」をとります(例:薬師三尊なら日光・月光菩薩)。北円堂では菩薩ではなく、あえて「歴史上の人物」を脇侍に置いています。弥勒如来は未来に現れる仏ですが、無著・世親を配することで、その未来の救済が「空想」ではなく、受け継がれてきた「学問・伝統」に基づいていることを証明しています。

 北円堂の配置は、仏像のセットではなく、「弥勒の知恵が、無著・世親という人間を介して、ここに届いている」という法相宗の正統性を示しています。

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・運慶の写実の基となった興福寺の天平仏

 天平時代の仏像の写実性は、細かい表現が可能だった乾漆技法により実現されました。その代表が興福寺の十大弟子です。

 十大弟子は、天平6年(734年)に光明皇后が母・橘三千代の追善供養のために建立した西金堂に、本尊の釈迦如来を守るように安置されていました。

 仏師は、将軍万福。当時の国家機関である「造仏所」に属していた専門家集団の一人です。彼らの手によって、脱活乾漆技法が用いられました。

 釈迦の主要な弟子十人の内、現在は六体が現存しています。仏教教理の上で「二大弟子」とされるのは、舎利弗(しゃりほつ)と目犍連(もくけんれん)です。仏像として有名なのは三体。舎利弗は智慧第一。お釈迦様の右腕。阿難陀は、多聞第一。お釈迦様の身の回りの世話をした従兄弟。羅睺羅(らごら)は、お釈迦様の「たった一人の実子」。「ラーフラ(羅睺羅)」にはサンスクリット語で「障害」という意味があります。出家を志していたお釈迦様が、我が子の誕生を知った際に「修行の妨げが生まれた」と嘆いたことに由来すると言われています。

 興福寺の羅睺羅は、「最も天平彫刻らしい魅力に満ちている」。「静謐(せいひつ)な美しさ」と評価されています。現存する六体のうち、他の弟子たちは目を見開いていますが、羅睺羅像だけは静かに目を閉じています。これは、内省的に己を深く見つめる「密行第一」の姿を象徴しているとされます。舎利弗などの年配の弟子とは異なり、若く気品のある顔立ちで、両手を袈裟の中に隠して静かに立つ姿は非常に優美です。乾漆技法によって作られたその顔立ちはリアリティがあります。

 乾漆技法は、漆を塗り重ねる過程で塑像(そぞう)のような肉付けが可能です。そのため、十大弟子像に見られる「個々の顔のしわ」「浮き出た血管」「憂いを帯びた表情」といった、まるで生きている人間のような繊細な写実性が生まれました。

 興福寺の八部衆像も西金堂に安置されていました。八部衆は、インド神話に登場する異教の神々や魔族、怪物たちでした。お釈迦様の説法を聞いて改心し、仏教を力強く守る八つのグループの総称です。

 興福寺の八部衆は、一般的な経典の記述とは一部異なる独自の名称が含まれています。阿修羅は、三面六臂の戦いの神。迦楼羅(かるら)は、毒蛇を食べる巨大な鳥。五部浄は、象の冠を被った姿。沙羯羅(さから)は、蛇(龍)の冠を被った少年。鳩槃荼(くばんだ)は、増長天に仕える鬼神。乾闥婆(けんだつば)は、獅子の冠を被る、香りを食べる音楽神。緊那羅(きんなら)は、額に一本の角を持つ、歌を司る音楽神。畢婆迦羅(ひばから)は、大蛇の神格化。

 八部衆の多くは鎧を着て武器を持ち、憤怒相をしています。しかし、興福寺の阿修羅像は、「戦わない」阿修羅。鎧を着ず、華奢な少年の姿で、武器も持たず合掌し、複雑で繊細な表情をしています。乾漆技法ならではの薄くしなやかな造形が、他の荒々しい像とは一線を画す「神聖な美しさ」「光を透かすような美しさ」を生んでいます。

 八部衆と十大弟子は、同じ天平6年(734年)に、同じ「脱活乾漆」という技法で作られました。どちらも中が空洞の「漆と布」でできているため、非常に軽量でした。これにより、興福寺が火災に見舞われた際、僧侶たちが真っ先に抱えて運び出すことができたため、奇跡的に現在まで残ったと言われています。

 人間味あふれる表現も共通しています。怪物の姿をしている八部衆でさえ、その表情にはどこか人間的な悩みや意志が感じられます。これは天平時代の「精神性までを写実する」という高い芸術性の表れです。