ブランディングで最も印象に残っている出来事。大昔、出資法が改正されてナイキが本来の意味で日本支社を持つ準備が始まり、ナイキの「ホンモノのブランディング」をナイト会長の直轄のプロジェクトの一員となりました。

 ビックリしたのは、ちょっとした販促物でさえ、とんでもなく分厚いブランド・コミュニケーションとその表現についてのガイドを参照し、「ブランド規定」に適合するかどうかを検討しなければならないのです。それがブランド・マネージャーの仕事の大半でした。挙句の果ては、本社に問い合わせるのです。答えが返ってくるのが3ヶ月後なんてこともありました。結局、本社が認定した販促物をそのまま使うようになりました。

 後に、ナイキのブランディングがもてはやされ、日本で最も成功したブランディングの事例となったときには、マーケティング学者が書いた「嘘ばっかり」のケーススタディを腹立たしく眺めていたものです。学者は「本当の事」を何も知らない、という事実を実感しました。

 ナイキのブランディングで教わった事を少しだけ書いておきます。

 まず、ブランドは消費者の頭の中にあるもの。つまり、ナイキというブランドはナイキ社の自由になるものではなく、すべきものでもない。社会の中に根付いた「アイコン」だからこそ価値がある、ということ。日韓共催Wカップ。ナイキ主催の代々木公園のイベントの盛り上がりに接したジャパンのブランディング担当責任者の言葉を思い出します。「もう『ナイキ』は我々の自由になる=単なるシンボルではなくなった。我々のブランディングは成功した」。

 次に、エアマックス狩りなんてブームが起きてしまった時。ナイト会長が激怒!「ナイキを流行物=廃れ物にするな」。今で言う「バズる」はブランディイングの失敗を意味する。当時は、安室奈美恵さんに「どうやったらエアマックスを脱いでもらえるか」なんていうのが、ナイキジャパンの取締役会の重要議題でした。即座にTV広告を中止し、スポーツイベントとスポーツ専門紙に絞り込んだ展開で汗を流しました。ハイエース2台と2トントラックで「草イベント」で全国行脚をした日々が懐かしい!

 もう一つ。レクサス発売前、佐々木さん(当時は広告担当取締役)と、ナイキのCM制作会社のワイン&ケネディの日本支社長を引き合わせたことがあった。その時、佐々木さんが、ブランディングのためのCM作りについて尋ねると、「広告ではブランディングはできない」と。そんなことも知らないのかといった顔。私に向かって「貴方がいながらこんな質問をするなんて」と叱責された。佐々木さんは米国での、イベントと雑誌、これらに連動するレクサスを象徴する人物を核とした広告展開で、レクサス発売を成功させて副社長になりました。後に、このことで感謝されましたが、「あの時に、せせら笑われたのが忘れらない」とも。広告でブランディングはできません。

 さらにもう一つ。広告でブランディングができないことは、かのディビット・アーカーも認めるところ。論文にはそう書いてあったのに、本では「広告もブランディングに貢献することがある」と書いています。そこでアーカーに「なんでそんなことを書いた」と訊くと、「JWトンプソンから、8千万円の研究費などの提供を受けた」と白状しました。そうだよね。マーケティング学者は金で転ぶんだよね。てなことを実感した次第です。