シャンシャンを見て、上野動物園から東京国立博物館へ。

娘から招待券を貰ったので、「アラビアの道(サウジアラビア王国の至宝)」を見に行きます。サウジアラビアは、メソポタミア文明からは外れますが …、イスラム教の聖地でもあり、石器時代から現代まで、文明が引き継がれている中東の大国らしい国です。

祈る男(タールート島/前2900年)。日本で言えば縄文の末期。朝鮮人(弥生人)の大和朝廷が日本を侵略します。日本人(縄文人)は祈るしかなく …、祭祀が発達した時代です。祈るしか無い。そういう時代は、哀しい時代です。

男性像(ウラー/前5〜3世紀)。こういう力強い像の方が、健康ですよね。

アラム文字による奉献碑文(タイマー/前4世紀頃)。生禿が今回の展示で注目したのは、文字です。人類最初の文字が生れ、アルファベットに変化していく様を追うことができます。残念なのは、年代順に展示して貰えたら良かったのですが …。頭の中で乏しい知識を思い出しながら整理するのは大変でした。また、会場は暗いので、写真を撮りたいなら、単焦点の明るいレンズがお勧めです(ケースに入っていないものも多いので、PLフィルターはそれほど必要ではありません)。

ラテン語碑文(マダーインサーリフ/176年頃)。このような文字に至る歴史(の一部)が辿れます。

ダーダーン文字による奉献碑文(ウラー/前4世紀頃)。この時代まで来ると、アルファベットっぽくなってきています。

まぐさ(カルヤト・アルファーウ/前3世紀頃)。アンコールワットのまぐさとは違いますが、どこか通底しているような感じもあります。

饗宴(カルヤト・アルファーウ/1世紀頃)。葡萄はギリシャの酒の神デュオニュソスを象徴するそうです。現代アートっぽい感じもします。

ヘレニズム・ローマ時代の湾岸地域の作品が続きます。男性頭部(カルヤト・アルファーウ/前1世紀頃)と、男性頭部(ウラー/前4世紀頃)。アラブの作品ではないですね。

アラビアの文字の歴史に戻りましょう。古代南アラビア文字による墓碑(カルヤト・アルファーウ/前5世紀頃)。

ハサー文字による墓碑(サージュ/前3世紀頃)。これらの文字を書くのは、専門職であった「書記」なのでしょう。文字には力(権力と霊力)があった時代です。

ナバテア文字による墓碑(タイマー/203年)。装飾要素の強い墓碑。アラビア文字っぽいですね。

アラム文字の刻された葬送ステラ(タイマー/前5世紀頃)。世界共通の目玉の呪力と文字。まさに睨みを利かせています。

表敬館の天井。ステンドグラスが …、ありきたりですが。

アブドゥッラーの息子アッバースの墓碑(マッカ/9世紀)。ナウファル・アルハーシミーの息子ムハマンドの息子アルカーシムの父ナウファルの墓碑。日本の書道もそうですが、かつては、字を書くのは日常生活から異化世界までを貫く芸術だったのだと思い起こさせます。

カァバ神殿の扉(マッカ/オスマン朝時代1635年)。サウジアラビアにあるメッカ。オサマ・ビンラーデンのお父さんは、このメッカの工事で(米国のトランプなんぞという貧乏人とは比べものにならない程の)巨額の富を築きました。だからこそ、完璧に米国を屈服させ、完全に勝利することができたのです。オサマにちょっと威されただけで、米国は空軍を撤退させ、サウジアラビア国民は、米軍が居なくなって清潔になった、と今でも大喜びしています。オスマン時代の物を撤去し(トルコ色を廃し)、サウジらしい豪奢な扉を取り付けたのはビンラーデン家です。

入口の人型石柱(カルヤト・アルカァファ/前3500年頃)。 アラブの文明を堪能した展示でした。彩文土器などは、暗くて写真が撮れませんでしたが、素晴らしいものでした。中東に興味にある方は、是非お勧めの展示です。

娘から招待券を貰ったので、「アラビアの道(サウジアラビア王国の至宝)」を見に行きます。サウジアラビアは、メソポタミア文明からは外れますが …、イスラム教の聖地でもあり、石器時代から現代まで、文明が引き継がれている中東の大国らしい国です。

祈る男(タールート島/前2900年)。日本で言えば縄文の末期。朝鮮人(弥生人)の大和朝廷が日本を侵略します。日本人(縄文人)は祈るしかなく …、祭祀が発達した時代です。祈るしか無い。そういう時代は、哀しい時代です。

男性像(ウラー/前5〜3世紀)。こういう力強い像の方が、健康ですよね。

アラム文字による奉献碑文(タイマー/前4世紀頃)。生禿が今回の展示で注目したのは、文字です。人類最初の文字が生れ、アルファベットに変化していく様を追うことができます。残念なのは、年代順に展示して貰えたら良かったのですが …。頭の中で乏しい知識を思い出しながら整理するのは大変でした。また、会場は暗いので、写真を撮りたいなら、単焦点の明るいレンズがお勧めです(ケースに入っていないものも多いので、PLフィルターはそれほど必要ではありません)。

ラテン語碑文(マダーインサーリフ/176年頃)。このような文字に至る歴史(の一部)が辿れます。

ダーダーン文字による奉献碑文(ウラー/前4世紀頃)。この時代まで来ると、アルファベットっぽくなってきています。

まぐさ(カルヤト・アルファーウ/前3世紀頃)。アンコールワットのまぐさとは違いますが、どこか通底しているような感じもあります。

饗宴(カルヤト・アルファーウ/1世紀頃)。葡萄はギリシャの酒の神デュオニュソスを象徴するそうです。現代アートっぽい感じもします。


ヘレニズム・ローマ時代の湾岸地域の作品が続きます。男性頭部(カルヤト・アルファーウ/前1世紀頃)と、男性頭部(ウラー/前4世紀頃)。アラブの作品ではないですね。

アラビアの文字の歴史に戻りましょう。古代南アラビア文字による墓碑(カルヤト・アルファーウ/前5世紀頃)。

ハサー文字による墓碑(サージュ/前3世紀頃)。これらの文字を書くのは、専門職であった「書記」なのでしょう。文字には力(権力と霊力)があった時代です。

ナバテア文字による墓碑(タイマー/203年)。装飾要素の強い墓碑。アラビア文字っぽいですね。

アラム文字の刻された葬送ステラ(タイマー/前5世紀頃)。世界共通の目玉の呪力と文字。まさに睨みを利かせています。

表敬館の天井。ステンドグラスが …、ありきたりですが。


アブドゥッラーの息子アッバースの墓碑(マッカ/9世紀)。ナウファル・アルハーシミーの息子ムハマンドの息子アルカーシムの父ナウファルの墓碑。日本の書道もそうですが、かつては、字を書くのは日常生活から異化世界までを貫く芸術だったのだと思い起こさせます。

カァバ神殿の扉(マッカ/オスマン朝時代1635年)。サウジアラビアにあるメッカ。オサマ・ビンラーデンのお父さんは、このメッカの工事で(米国のトランプなんぞという貧乏人とは比べものにならない程の)巨額の富を築きました。だからこそ、完璧に米国を屈服させ、完全に勝利することができたのです。オサマにちょっと威されただけで、米国は空軍を撤退させ、サウジアラビア国民は、米軍が居なくなって清潔になった、と今でも大喜びしています。オスマン時代の物を撤去し(トルコ色を廃し)、サウジらしい豪奢な扉を取り付けたのはビンラーデン家です。

入口の人型石柱(カルヤト・アルカァファ/前3500年頃)。 アラブの文明を堪能した展示でした。彩文土器などは、暗くて写真が撮れませんでしたが、素晴らしいものでした。中東に興味にある方は、是非お勧めの展示です。