「世界は分けてもわからない」 福岡伸一 2009年 講談社現代新書
「生物と無生物のあいだ」の著者、福岡氏の書いた本。気にはなったが、パラパラとめくると科学書というより随筆。手を出しませんでした。けれど「暇になった」ので読んでみることにしたという次第。
科学者としての自らの限界を知りながらも、誠実に科学しようとする氏の姿勢には敬意を表しつつも … 分かる「出口」を見出そうとしない氏の諦観?達観?にモドカシサも感じてしまうのは私だけではないでしょうネ! 以下はこの本の要約と引用です。*はWEB検索結果です。
■ パドヴァ 2002年6月
グルタミン酸は蛋白質の中に最も多く含まれているアミノ酸です。グルタミン酸は脳に侵入することはできません。
特定のビタミンの摂取不足によって、タミン欠乏症が起こることは現実には殆どありません。逆にサプリメントとしてビタミンを摂取しても効果はありません。
酵素は、分解と合成の動平衡状態のさなかにあります。
■ ランゲルハンス島 1869年2月
見つめられているとき、私たちはその気配を感受します。魚類には眼底に反射板が備わっています。反射板は、光が届きにくい海で生息する生物が獲得した光増幅装置なのでしょう。梟のような夜行性の鳥類、猫や狸の眼も光ります。眼底で光を反射しています。人間の眼も光ります。「赤目防止装置」は、フラッシュ光を浴びた眼が反射した光を解消するものです。このような反射光に対して、私たちの目は感受性が高いとしたら、「視線」を感じていることになります。中心視では見ない暗い光も周辺視では見えます。
1977年「パワーズ・オブ・テン」は、世界に階層構造があること、無限の入れ子構造にになっていること、を可視化して見せました。パワーズ・オブ・テンは、10のn乗という意味。
■ ヴェネツィア 2002年6月
須賀敦子「地図のない道」に、インクラニリ(不治の病)という名の水路が出てきます。当時の病院は隔離の場所。梅毒にかかった娼婦たちを収容するための施設でした。
■ 相模原 2008年6月
コンビニの棚に置かれているサンドウィッチやお弁当の賞味期限は、製造後36時間以内。コンビニが納入業者に要求する保証時間は72時間。多くの微生物は少々条件が悪くても増殖が可能です。彼らの代謝と増殖活動の結果として、酸や嫌な臭いがします。嫌な匂いの由来は、蛋白質に含まれる硫黄成分です。粘着物質や毒素も作り出されます。
保存料のソルビン酸は、微生物の生育を妨げます。ソルビン酸には[−COOH]がついています。いずれの酸にも[−COOH]の構造があります。ソルビン酸は様々な〇〇酸に似ています。これらの酸を分解する酵素はソルビン酸にとりつきます。代謝反応が止まります。そのため、ソルビン酸は微生物の生育を抑制します。
ソルビン酸は広範囲の加工食品に添加されています。ソルビン酸は、食品に添加される程度の濃度では、人間の細胞に対しては毒として作用しません。人間と微生物では代謝の経路や酵素の仕組みが異なるからです。
水溶性の物質の急性毒性の場合、50%致死量は体重に比例します。ラットと人は代謝や解毒のし方はほぼ同じです。ソルビン酸含有量0.3%の食品を1kg食べても50%致死量の1/100以下でしょう。
慢性毒性は、長期間食べ続けて異常が起きないか、子孫に影響が現われないか、を調べます。特に油に溶けやすいものや、重金属は要注意。身体の脂肪などに蓄積し易く、長期にわたって作用する可能性があります。水溶性のものは、すぐに分解・解毒の経路に乗りやすく、体外に排出され易く、危険性は低いと考えられます。
「インビトロ」の「ビトロ」は「ガラス」。インビトロ実験=試験管内(現在は使い捨てのプラスチック)の実験。インビトロ実験は、相互作用の振舞いについては何の情報ももたらしません。
人の細胞は、シャーレに移すとすぐに死んでしまいます。分裂する能力が高い皮膚の細胞や肝臓の細胞は増え続けます。
私たちの大便の大半は、腸内細菌の死骸と消化管上皮細胞の剥落物、体内の分解産物の混合体です。
消化管を微視的に見ると、どこからが自分の身体でどこからが微生物なのか判然としません。大量の分子が交換されている界面は、きわめて動的です。
抗生物質は微生物に対する代謝阻害剤。消化管内で腸内細菌叢に制圧的に作用し、整腸作用が変調します。
ソルビン酸は弱いとはいえ長期間に継続して接触されます。日常的に腸内細菌叢に与える影響は不明です。
■ ES細胞と癌細胞
地図が読める人の方が理知的です。山で遭難するのは地図好きな人です。俯瞰して世界を構築しようとしてもできません。
ジグソーパズルの各ピースは、周囲との関係性だけを手掛かりに世界を構築します。分散的な振舞いです。パズル全体の絵柄を見る必要はありません。
分散行動原理は、生物学的にとても重要な原理です。60兆個の細胞が行っているのは、こういう振舞いです。
DANは地図でも手順でもなく、蛋白質カタログです。受精卵の細胞分裂は、互いの細胞が交信しているのです。各細胞は単純な規則に従って、隣接した細胞と交信し、排他的に自らを変化させます。まるで誰かが指揮しているかのような秩序を以て。しかし、指揮者は存在しません。
細胞は周りの細胞との相互作用が失われると、自分が何になるべきか分からなくなります。ほどなく死滅します。ですが、ほんの僅かな細胞だけが生き残ります。この細胞こそが「ES細胞」です。
細胞は分化を果たすと分裂を止めるか、分裂速度を緩めます。周りを囲まれたことが、分裂の停止命令として働きます(コンタクト・インヒビション:接触による増殖阻害)。
ES細胞を、初期杯以外の段階の生体の中に入れると、増え続けることしかできない=癌細胞になります。
今なお私たちは、癌細胞もES細胞もコントルーすることができません。
心臓の細胞は、心臓の形や大きさやを知りません。心臓の一部であることも知りません。
■ トランス・プランテーション
生命現象に「部分」と呼べるものは実在しない。ある部分がある機能を担っているとする考え方は、「見立て」にすぎません。部分とは幻想です。
血管やリンパ管や神経が身体全体に広がっている。各臓器は連続な経路を形成しています。ひとつの受精卵が分化する連続した変化。絶え間ない分子の交換、エネルギーの交換、情報の交換があります。境界はありません。
■ 細胞のなかの墓場
生命現象において部分と呼ぶべきものはない。このテーゼを素朴に受け止めるとオカルティズムに陥ります(バイタリズム)。
「死」に、その瞬間と呼べるような境界はありません。生命現象は「流れ」。本質は、エネルギーと情報がもたらす効果にこそあります。
細胞は、壊す仕組みを大切にしています。蛋白質の合成ルートは一通り。分解する経路は何通りもあります。
個々のアミノ酸には、アミノ基(-NH2)とカルボキシル基(-COOH)があります。アミノ酸同士は、一方のアミノ基と他方のカルボキシル基で結合します。COOHのOHがちぎれ、NH2のHがちぎれてH2Oができます。そして、[−CO-NH-]という結びつきができます。
新しい形が生れるということは、新しい秩序が生み出されること。秩序とは情報と同義語です。より精妙な秩序には、より多くの情報量が含まれます。秩序を生み出すには=情報を作り出すには、エネルギーが必要となる。
[DNA→mRNA→リボゾーム]。mRNAの配列情報に沿って、アミノ酸が一つづつ一方向に連結されます。蛋白質は、大きなエネルギーと情報が担われています。エネルギーの受け渡しは、ATPやGTPによって行われます。
*ATPとGTPの異同
GTP(グアノシン-5'-三リン酸)は、GDP(グアノシン二リン酸)から、アデノシン三リン酸(ATP)のリン酸を受容して生合成される。ATPが生物体内で高エネルギーリン酸結合のエネルギーを利用して、様々な生合成や輸送、運動などの反応に用いられるのに対し、GTPは主として細胞内シグナル伝達やタンパク質の機能の調節に用いられる。
[−CO-NH-]結合は、僅かな揺らぎで、水の分子H2Oが近くにあれば、結合の中に水分子がOHとHに分かれて入り込み、結合は二つに開裂します。この過程は、連結するより簡単に起こります。大きなエネルギーは必要としません。高い秩序を持つもの、内部に高いエネルギーを持つものは、すぐに無秩序さを増します。高エネルギー状態が拡散します。消化酵素は外部の特別なエネルギーを必要としません。
消化は、前の持ち主の情報を解体します。蛋白質は、持ち主固有の情報をアミノ酸配列として持ちます。この情報が侵入すれば、自己と非自己の間に起こる情報のせめぎ合いが発生します。これを回避するために、意味を持たない要素にまで分解します。
消化酵素は、全ての蛋白質を区別せず分解します。自己消化は激しい痛みを引き起こします。消化酵素は膵臓の細胞が合成します。
オートファジー、プロテアソーム、リソソーム、オートファジー … 細胞の中には幾重にも蛋白質の分解システムが備わり、その能力は作り出すよりも大きく多岐にわたります。エネルギー供給を必要とする分解の仕組みも存在します。
細胞は、エントロピー増大の法宇則が秩序を破壊する前に、エネルギーを駆使してまで、自らを破壊します。その上で直ぐに蛋白質を再合成し、秩序を再構築します。
*エンタルピー(H)
エンタルピーは物体が持つエネルギーの総量を表す熱力学的な概念であり、単位はkJやkcalで表されます。比エンタルピーは単位質量当たりのエネルギーを示し、kJ/kgやkcal/kgで表されます。エンタルピーの語源はギリシア語のエンタルポー(温まる)だと言われています。
エンタルピーは温度だけではなく圧力や体積のエネルギーも含んでいます。このような考え方から温度によって膨張、収縮する気体には定圧比熱と定積比熱という2種類の比熱が存在します。 熱力学では、温度のみで表されるエネルギーを内部エネルギー、圧力や体積などの仕事量も含んだエネルギーをエンタルピーと呼んで使い分けています。
■ 脳の中の古い水路
「256諧調というのはやはり不足だ。人間の側方抑制によるコントラスト強調が働く限り縞模様(マッハバンド)は出てしまう。とは言っても256諧調以上をモニタで表現することは現状できない。残る手段は誤差拡散しかない」(平山尚)。
顔に対する驚くほど先鋭化された水路が作られました。
■ ニューヨーク州イサカ 1980年1月
ATP分解酵素は、ATPを分解しながら、そのエネルギーを使って仕事を行います。
癌細胞では、ATP分解酵素が異常をきたしています。
■ 細胞の指紋を求めて
SDS-PAGE(ドデシル硫酸ナトリウム-ポリアクリルアミドゲル電気遊動)は、サイズや電気的な性質や分子量などに応じて、蛋白質を仕分けする方法。
■ スペクターの神業
ATP分解酵素は、ナトリウムイオンを細胞膜の内側から外側へ汲み出し、濃度勾配を作り出します。細胞の形態維持、神経インパルスの発生、筋肉の運動、様々な活動がナトリウムイオンの濃度勾配に依存します。
リン酸は、水酸基(-OH)を持つアミノ酸に付加されます。すると、リン酸基がもたらすマイナス電荷が発生します。重要な駆動部に電荷が生じると蛋白質は機能を停止します。リン酸化を行うのは、蛋白質リン酸化酵素。
■ かすみゆく星座
発癌の背後には、一群のリン酸化酵素が存在し、それをつなぐリン酸カスケードも存在します。細胞の増殖と分裂を調整するリン酸化酵素は、MAPキナーゼと名付けられました。MAPキナーゼは、一群のターゲット蛋白質をリン酸化して、そのスィッチをオン/オフすることによって、ターゲット蛋白質を制御する酵素です。
MAPキナーゼそのものをリン酸化して、この酵素の活性を調整するMAPキナーゼキナーゼも存在します。MAPキナーゼキナーゼの活性を調整するのは、Ras蛋白質。Rasはあ、情報伝達の中継点に位置します。細胞は外から様々な情報をレセプターで感受します。レセプター部が感知した情報を受け取るのがRas。Rasはその情報を、MAPキナーゼキナーゼに伝え、カスケードをたどって下流に伝達されます。
ある種の癌細胞では、Rasが突然変異を起こして異常に活性化されています。
ATP分解酵素は、チロシンの部位でリン酸化されます。
この世界のあらゆる要素は互いに関連し、全てが一対多の関係で繋がり合っています。世界に部分はありません。部分として切り出せるものはありません。輪郭線も境界も存在しません。
この世界のあらゆる因子は、互いに他を律し、あるいは相補しています。物質・エネルギー・情報をやりとりしています。この世界には、本当の意味で、因果関係と呼ぶべきものは存在しません。
世界は分けないことには分かりません。しかし、世界は分けても解らないのです。
分けても分からないと知りつつ、なお私は世界を分けようとしている。世界を認識する契機がその往還にしかないからである。