「民族の世界地図」 2000年 文春新書

 民族という曖昧で複雑な問題。紛争の火種の一つとなるのも民族である。民族とは、姿形や宗教や言語、何らかの理由による「仲間意識」「同族意識」に過ぎない。「群れる」のは人間の本能なのか? 以下は、特に印象に残った部分の引用です。


■ 民族のアイデンティティ

 冷戦終了後、旧ソ連や東欧では民族意識と宗教の封印が解かれ、民族問題が噴出した。

 民族の基準の人種や言語。言語は分かりやすく、アイデンティティと結びつきやすい。

 マヤは、たくさんあるマヤ系言語の話し手の総称。

 民族を考えるときには、「我々」という意識が重要である。民族は、文化を共有する(エノトス)でもある。「エスニック・グループ(民族集団)」は、「我々」意識を共有する集団を意味する。

 人間は一属一種だが、外見上の違いから、ネグロイド(黒人)、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄人)の三大分類。さらに、オーストラロイド(オーストラリア人)、アメリンド(新大陸の住民)に細分される。

 中国系移民とその子孫。中国籍をそのままにしているのが「華僑」で、居住国の国籍を持つのが「華人」。

■ 民族と言語

 「世界祖語」は存在しなかったというのが有力。かつて言語の種類は1万以上もあった。現在は6千語程度。グローバリゼーションによって分化の均一化が進んだ。

 言語を系統別に分けた語族は20ほど。アーリア神話と結びつく印欧語、ノアの息子のセムとハムの子孫の言語とされるセム・ハム語など。系統不明な言語は多い。

 「国語」は日本特有の用語。国粋主義の色合いが強い。スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語が「公用語」。インドでは、公用語のヒンディー語、準公用語の英語のほかに、アッサム語、ベンガル語、タルミ語など17の憲法公認語がある。

 アフリカでは、北部のアラブ圏ではアラビア語を、サハラ以南のブラック・アフリカでは旧宗主国の言語を公用語に定めている。民族の言葉を唯一に公用語とするのは、エチオピアなど小数。

 旧ソ連を構成していた国々は、ロシア語とキリル文字への恨みもあり、独立後主要民族の言語のみを公用語としている。

 スワヒリ語は、アラブ商人が、アフリカ沿岸で商取引を円滑に行うために、意図的に広めた言語。

 消えてしまった言語には、文字の無かったものが圧倒的に多い。

 マン島では、ケルト系のマンクス・ゲーリック語が話されていた。

 前3千年以前、メソポタミアのシュメール人が粘土板に記した記号が、最古の文字といわれる。シュメールの絵文字や線状文字、それ続くアッカドの楔型文字、シュメールに影響を受けたとされるエジプトのヒエログリフ、エジプトの表記大系基礎を置くセム文字(原カナーン文字)、そこから派生したフェニキア文字。

 海洋民族のフェニキア人の作った文字は、地中海周辺の諸民族に利用される。ギリシャ文字はその代表。そこからラテン文字やキリル文字が生まれた。ラテン文字は、キリスト教の広がりに伴ってヨーロッパ中に普及した。ケルト人のオーガム文字やゲルマン民族のルーン文字を駆逐した。

 セム語系のアラム文字は多くの文字体系を生んだ。現代アラビア文字やヘブライ文字。さらにインドにまで及び、ヒンディー語を表す文字デーヴァナーガりー、ベンガル、タミル、シンハラなどの表記を発達させた。

 インドの文字から、チベット文字、カンボジア文字、ラオ文字、タイ文字、ジャワ文字などが派生する。

 バスクはカスティーリャの支配下にあっても地方特権持ち、独自の言語・文化を継承してきた。バスク人は、少なくともイベリア半島の最古の先住民。バスク人の起源については、クロマニヨン人の末裔という説が有力になっている。クロマニョン人は、コーカソイドの祖先ともされる。

 ハンガリーはヨーロッパの中のアジアといわれる。ハンガリーの人々は自らをマジャール人と称し、言語もマジャール語と呼ぶ。マジャールとは、アジア系のフンとアヴァール族についでハンガリー盆地に進出してきたアジア系遊牧民。マジャール語はウラル語族に分類される。

 マジャール語の遠戚にフィンランド語とエストニア語がある。ウラル語族のなかでフィン・ウゴル語派を形成する。フィンランド人やラトビア人やリトアニア人の祖先はアジア系であった。フィン・ウゴル語派民族の祖先の地、ヴォルガ川中流域には、祖先を同じくする少数民族が存在する。

■ 民族と宗教

 ヒンドゥー教は、12マイルいけば言葉が変わると言われるほど民族構成が多様。インド人という民族はいない。

 ヒンドゥー教は開祖を持たないという意味では「民俗宗教」である。統一された教義はない。多数のヒンドゥー教徒は儀礼を守り伝えるだけだ。ヒンドゥー教の自覚の最大公約数は、カースト・ルールを守る。その上でどんな思想を抱こうとも自由である。

 バラモン教は、アーリア人がインダス文明の担い手だったドラヴィダ人など先住の諸民族を支配するための統治システムだった。

 タルミ人は、前2500年頃、インドに侵入してインダス文明を興し、アーリア人によって南インドに追いやられたドラヴィダ人の子孫である。

■ 民族の移動

 印欧語族は、特定の民族を指すのではなく、共通の起源をもつ言葉を話す人々の総称。中央アジアを故郷に持ち、コーカソイドの祖と考えられる。アーリア人だとする考えも根強い。イランは「高貴なアーリア人」の意味だ。

 ユーフラテス川北部から地中海東岸へ、そしてエジプトへ。エジプトで、ヒクソスは王朝を打ち立てる。現在のシリア、トルコ南部の地中海沿岸を経て欧州へ向かう流れもあった。その一部は「海の民」と呼ばれる武装集団となって地中海に漕ぎ出し、北アフリカ、エジプト、レバノン、トルコ東部へと侵攻を図った。

 海の民の中にはパリシテ人もいた。このとき既にイスラエルの民もここに住んでいた。両者の衝突はこの頃に起源があるとも言えよう。

 コプト人はエジプト独特のキリスト教徒。紀元直後にエジプトにキリスト教が伝わった。

 ケルト美術の特徴は、抽象性。神々の表現は人体を模さず、自然物の中に精霊を認め、そのまま崇める。「人面」も写実ではない。万物は様々な様相をもちあわせているという彼らの世界観は、渦巻文、植物文、抽象文によって表現される。中世欧州のロマネスク様式に影響を与える。

 遊牧民は国境を持たない。ユダヤ教とイスラム教が興ったのは遊牧民の活動の場。しかし、イスラム教は商業都市メッカを中心に興ったため、都市に定住していない人々を蔑視する傾向にあった。「ベドウィン」は「町に住まない人」の意味。

 中国南部あたりが原郷らしいグループが、南下してきた人口に押し出されて、台湾やインドネシアなどに渡り、島伝いにオセアニア、先住民がいなかったミクロネシアやポリネシアに散っていった。アウトリガー・カヌー(浮材をつけたカヌー)の分布は、オセアニア、フィリピン、インドネシア、南インド、スリランカ、マダガスカルなど、アウウトロネシア語族の広がりと一致する。

 ジプシー(ロマ)の言語=ロマニー語は古代インドのサンスクリットに近い。ロマは、パンジャブ地方を原郷とするアーリア系民族である。ロマは、その地の人々の伝統の上に、独自の音楽や舞踏を開花させ、フラメンコやハンガリーのジプシー音楽を作った。

■ 先住民族、少数民族

 中国の民族政策は、少数民族に特定の区域内での自治を認める「民俗区域自治」を謳っている。内モンゴル自治区、新疆ウィグル自治区、寧夏(ねいか)回族自治区、広西チワン自治区、チベット自治区。自治区を与えられているのは北方騎馬民族である。彼らは清朝の版図に組み込まれても、農耕文化を基盤とする中華世界に馴染むものではない。

 北米ではかつて300以上の言葉が話されていた。中南米の先住民は「単身赴任」のスペイン人に虐殺されたが、北米に押し寄せたのは家族ぐるみの移住者。彼らが欲したのは土地だった。白人は先住民と交わらず、ひたすら土地を収奪した。コマンチやスーなどの諸部族は、本来は定住の農耕民だった。馬は元々アメリカ大陸にはいなかった。

 「エスキモー」の語源は「生肉を食べる人」。侮蔑のニュアンスを嫌い呼称として用いない集団も多い。また、彼らは異なった文化伝統を持っている。

 狩猟採集民「ブッシュマン」は、サンと総称される。近隣の牧畜民は「コイコイ(コイ)」。コイコイは、かつて「ホッテントット」と呼ばれた。

 黄みがかった褐色の肌を持つサンとコイコイは、背が低く、顔だちも黒人とは違い、ネグロイドと分けられることがある。彼らの起源は不明だが、アフリカ大陸最古の住民であることは間違いない。かつて彼らは広い地域に分布していたが、西部から移動してきたバントゥー諸語系の農牧民に押されて西部に追い詰められた。

 神話や複雑な親族関係を語るアポリジニーの言語は、かつては250種類もあった。

■ 民族紛争

 オスマントルコの影響を受けた、セルビア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、マケドニアに対して、北部のスロベニア、クロアチアはカトリックに組み込まれ、欧州の影響を受けてきた。

 北アイルアンド紛争は、ケルトの血を引くアイルランド系(ゲール)のカトリック教徒と、アングロ・サクソンの血の濃いイングランド系でプロテスタントの対立。

 「強い人」の意味のクルド人。現在は2500万人とも言われる。クルド人の起源は、前2000年頃始まった印欧語族の移動により移ってきたイラン系の人々と土着のグティ人混血した頃にあるとされる。

 南アラブは前8世紀頃からイエメンに南アラビア王国を興した。北アラブでは、隊商都市パルミラ王国(現シリア)やナバテア(現ヨルダンのペトラ)が建設された。南北では言語も文字も異なる。北アラブの文字が現在に伝わった。南アラビア王国の崩壊後、アラビア半島では遊牧生活が主流となった。定住生活者と遊牧生活者(ベドウィン)が区別された。

 アラビア語を話さないイラン。イスラム文化圏では宗教文書ではアラビア語、文学表現にはペルシャ語が用いられるようになった。ペルシャ語は、中央アジア、アフガニスタン、インド北部、トルコにまで広がった。

■ 中東−アラブとユダヤ

 イランは人種の坩堝。ペルシャ語を日常語とする人は約半数。

 キリスト教徒は、ユダヤ人=裏切ったユダとペテロが許せない。

 現在、最もユダヤ人が多いのは米国である(600万人)。

 古代のレバノンは、フェニキア人の国だった。レバノンは「宗教のモザイク国家」である。