「進化とは何か」 今西錦司 1976年 講談社学術文庫
言わずと知れた『今西進化論』の集大成。ブックオフで百円!買わない訳がないでしょう。生禿はダーウィンも今西氏も敬愛する自然哲学者です。ぞれぞれが新しい時代を切り拓いた巨人。電車の中で堪能しました。以下は、この本の要約と引用です。
《序》
進化論は科学の問題であると同時に、思想の問題でもある。ダーウィンは、自然淘汰で進化をすべて説明できるとは考えていなかった。
《正統派進化論への反逆》
ダーウィンは、生物の主体性を認めなかった。「目的論」が排斥される時代だった。進化の主体を環境の側に押し付けた。生物の行動から目的を排除して、はたしてその行動が理解できるのか。
進化の単位は、個体ではなく種が単位である。進化は種を単位とした方向性のある、適応的な変異によるものである。
《人間以前と人間以降》
現在の人間の社会では、未開社会でも、家族がその構成単位になっている。猿の社会は、家族ではなく、グループの群れである。群れは独立に生計を立てている一匹一匹からじかに構成されている。家族は役割を分担しあって、一つの生計を立てている。
《人類の進化》
アフリカから出土した200万年前のオースラロピカテス化石。オ−ストラルは南、ピテカスは猿。直立二足歩行をし、石器を使っていた。1500万年より前に人類と猿とは分かれた。
類縁の種は、お互いに棲む場所を重ならないようにしている(棲み分け)。
交配は可能でも、子供が生まれない(一代雑種)。馬よりも体が大きくて強いラバは、馬とロバの雑種。子供はできない。
人間は、必要なものを体外に作って環境に適応していく。文化による適応があるから、身体を変える必要が無くなった。暑い所から寒い所まで全地球上に広がることができたのは文化のおかげである。文化の分化は、種の分化と同じ現象である。
人間の子供は未成熟のまま生まれてくる。母親は子供を連れながら群れと一緒に行動ができない。子供と暮らす巣を作って、子供を育てなければならない。牡と牝で世帯を作っている。狼の子供は生まれて時には眼も見えない。洞窟を掘って牝が子供と一緒に残る。牡がそこへ獲物を運んでくる。小鳥は、牡牝が共同して子供を育てる。しかし、牡が牝に食物を与えることはない。
進化は後戻りしない。鹿の牡の角は、役に立たなくても大きくなり続けた。進化の結果、可適応に陥いっている。それは、人間の文化も同様である。
《パラントロパスの行方》
アフリカの狩猟生活者ブッシュマンの食生活において、肉食の占める割合は小さい。逆に森林生活者のピグミーも狩猟に熱心である。
ニューギニアの部族間の闘争は、一方の側に死者が出たらそれで勝敗が決する(皆殺しには|絶滅させたりはしない)。
200万年前の人類化石に二種類ある。パラントロパスとオーストラロピテカス。人類は、ただ一種類のサピエンスである。人類は、はじめからただ一種類で進化してきたユニークな存在。絶滅種を派生させたりはしなかった。種は変わらなければならない時がきたら、皆同じ方向に変わる。パラントロパスの化石が出ないようになったのは、絶滅したのではなく、変化が完了して、すっかりオーストラロピテカスに変わったことに外ならない。50万年〜30万年のエレクタスの時代にも、種の分離は起きない。
道具は身体の作り変えと違い、短い間に複製が可能。同じ道具を使い同じ生活様式をとっている限り、文化的には同じ種に属する。
《進化とは何か》
新しい生活の場を開拓し、そこに適応したものは別種となる。棲み分けとともに種の数は増えていった。生活の場が豊かであるために、熱帯降雨林には棲み分けがない。
種は生物全体社会を構成する部分社会である(種社会)。
生物は保守的である。自然が人工によって変わることはあっても、自然自らが変わったということはない。
種の個体には同じ特徴が備わっている。その意味では差はない。但し、個体を識別し得る個体差はある。そして、種が変わらねばならない時がきたら、個体も同じように変わる。
ダーウィンは、個体差に着眼した。この個体差をもとに、選択と交配を繰り返して品種を作り出すことができる。生物がたくさんの子供を産むが、適者だけが生き残ると考えた(適者生存)。この過程が自然淘汰である。人為淘汰を自然に当て嵌めたのである。人為淘汰は、種の中にみられる変異であって別種になったのではない。そこで持ち出されたのが突然変異であった。
突然変異は欠陥のある個体を作るだけだ。広島と長崎に原爆が落とされたとき、被爆地に新種が出現すると期待され、多くの学者が訪れたが、新種は発見されなかった。生物は、分子レベルでも親と同じ子供ができるように仕組まれている。
オーストラロピテカスが、ホモ・エレクタス(ピテカントロパス)に変わり、エレクタスがサピエンスに変わったのである。絶滅させて入れ替わったのではない。
人類は、二足歩行になったことで、頭が大きくなった。基本変化は二足歩行であって、頭が大きくなったこと、歯が小さくなった派生した変化である。基本変化は短期間に生じる。人類の頭は200万年かかって2倍の大きさになった。10万年前から大きくなるのが止まっている。歯の弱小化が生き残りに役立っているとは思われない。進化は一定に方向づけられている(定向進化論 ⇔ 淘汰進化論)。どの個体も同じ方向に変わる。ランダムな突然変異は否定される。
進化は必ずしも適応とは結びつかない。大進化はある時点で起こった一回限りの事件である。
《私の進化論の生い立ち》
棲み分け現象を種社会理論で説明し、生物全体社会の決定論まで行き着く。生物を社会-歴史の存在として、その主体として認識する。
種社会は他種と交わらない、それ自体が独立体である。一方で、生物全体の相互関連性こそは、生物進化のもたらしたものである。ある種社会の進化だけが独走することは許されない。
人為淘汰(品種改良/純種の育成)は、種の規格内に生じた変異。種の起源は説明できない。突然変異から種の形成は確認されていない。生物は分子レベルでも、種の規格を逸脱しないように仕組まれている。どの個体が生き残ろうと、種社会全体が変化を受けないで、生物社会全体の中でも役割を守り続けていく。自然は突然変異が起こらないように仕組まれた自然なのである。
環境への適応と言っても、それが具体として何を意味するかは不確定である。生き残った者が適者だということにして自然淘汰と言っている過ぎない。最適者であっても、交配を重ねればその特質は埋没してしまう。
種社会としては、種が進化するなら、すべての個体がみな同じように変わることが求められる。変わるべき時が来たら、遺伝物質もみな時を同じくして変わる。
人類は、アフリカナス−ロブスタス−エレクタス−サピエンスという単系の進化を遂げてきた。人類は、頭が大きくなるなど、一方向に変化し続けてきた。変わる方向は、初めから決まっていた。頭の大きさと智能は必ずしも一致しない。
直立二足歩行を始めたのは赤ん坊だったろう。猿の赤ん坊は手足の握力が充分発達してから生まれてくる。生まれた時から母親の胸にしがみつき、母親とともに遊動生活が可能だ。人間の赤ん坊は自分では動けない。母親は隠れ家を求め、赤ん坊を世話しなければならない。永住ではないにしても定住生活をせざるを得ない。未発達で生まれた赤ん坊は、直立二足歩行を始める。初めの一歩は、短期間に達成されただろう。激しい変化は、早く乗り越えなければならない。
人類の発生上に胎児化という現象が起こって、未発達の赤ん坊が生まれるようになった。赤ん坊の直立二足歩行が可能になった。直立二足歩行に付随した現象として頭も大きくなる。直立二足歩行を始めた時に、種としての未来の枠組みは決定された。大脳化は、適応とは無関係である。
人間はなるべくして人間になったのだ、と言っても何の説明にもなっていない。進化の方向は、種に内在する能力である。進化は、生物全体社会の発展である。