「ケルトの神話」 井村君江 1990年 ちくま文庫
ケルト神話と言っても、ブリテン島に追い詰められたケルトの人々によって伝えられた神話や伝説を、キリスト教の教義や神話と習合させ、人々をキリスト教化するために、神父などが記録したもの。主に、アイルランドで収集されました。ご存知のように、アイルランドは英連邦からの独立運動が盛んな地域。古くからケルト色の強い独自の文化を持っていたと言われます。その思想は、ジョン・レノンの名曲「イマジン」にも影響を与えたことは有名ですね。
生禿は縄文人の末裔です。つまり、ケルトの人々とも縁続きだと思われます。ですがそれは、必ずしも民族の近縁を意味しません。荒吐(あらばき)の民が、現在のインドネシアから渡ってきた旧石器時代の先住民(狭義の縄文人)を中心に、中国東北部やロシア沿岸部からの渡ってきた人々、さらには、大和朝廷から弾圧され逃れて来た弥生人も含めて、極悪非道な大和朝廷に抗して団結し連合した人々であり、広義の縄文人と見做されます。
ケルト人も民族(血筋)ではなく、残虐非道なローマ帝国≒キリスト教会の集団殺戮を逃れて連合した人々の総称だと考えられています。歴史上、群を抜いた殺す帝国とのその宗教=キリスト教に、辺境の島に追い詰められたケルトに人々は、キリスト教と習合するしか自らの文化を残すしか道はありませんでした。ケルト人も日本の東北に残るストーンヘンジと同様の巨石文明を持っていましたが、弥生文化を取り入れた縄文人と同様な運命をたどったと考えられます。日本の各地に残る『お伽噺』と酷似するケルトの神話の数々は、ケルトと荒吐(縄文)の文化の連続性を感じさせます。
西日本には多くの集団虐殺の跡が遺跡に残されていますが、東日本には弥生人による縄文人の大量殺戮の痕跡はありません。東日本では、武勇にまさる荒吐に敗れ続けたからです。それでも、首領アテルイを謀殺し、騙して支配する極悪非道さは弥生人の面目躍如でしょう。ともあれ、大量殺戮が無く、縄文文化が残されたことは、縄文から弥生の文化の連続性を示す多くの遺跡から検証されます。江戸時代までの日本の生活文化の基底は縄文文化だと断言してもいいようです。むしろ、奈良時代は、大陸渡来の文化が、少なくとも近畿周辺を支配した、日本の歴史の中では異常な時代なのです。
一方で、ケルトの最後の女王ブーデイカ(ボーデイシア)を戴くアイスナイ族は、ローマに根絶やしにされます。民族浄化の皆殺しはキリスト教のお得意です。だから、ケルトは、さらにアイルランドの僻地に隠れ住み、同化しながら生き残る以外に無かったのです。ケルト文化よりも、荒吐(縄文)文化の方が今に残されていると考えるのが自然でしょう。それは、古代オリエントの遺物が正倉院に最も良く保存されているのと同様です。
同じ辺境でも、ブリテン諸島は残虐非道なキリスト教の本拠地に近かかったこと。さらに、バイキング(ゲルマン民族)などの侵略を受け、その文化を破戒され、北欧神話も混入していること。一方、日本列島は豊かな自然に恵まれて先住民の人口が多く、少なくとも東日本では、移住した弥生人を人口において圧倒していたこと、などにより、同じように『全てを遺す辺境の地』ではあっても、その遺り方に大きな差があったと考えられます。
ケルト人がアイルランドにやってきたのは、紀元前260年頃。ケルト民族は拡大するローマ王国や、中央ヨーロッパのゲルマン民族に追われる形で西へ移動しました。やがてハイキング王により統一され、タラの丘を中心にケルト王国ができました。キリスト教がアイルランドに入り始めたのは、5世紀ごろ。北欧(ノルマン人)のバイキングが8世紀末に侵略するまで平穏が続き、異教徒の古い伝承や詩を文字に残します。
この本は、ケルト神話をコンパクトにまとめた読み易い入門書です。オリエント〜ギリシャの模倣しかできない、文化を持たないローマ=ヨーロッパとは異なり、ケルトの人々の荒々しくも豊穣な文化の案内書としてお奨めできます。
「ドゥルはオーク、ドルは多い、ウィドは知識の意。ドゥルイドは「オークの木の賢者」です。古代ケルト人が住んでいたヨーロッパ大陸は、オークの森林におおわれていたようです。オークの実を挽いてパンを焼いていました」。
「月の下に白くそそり立つストーンヘンジの下で、ドゥルイドは儀式を行ったと思われます。巨石群は、暦や占星術のためのものと考えられています。ドゥルイドの信仰は、太陽崇拝であり、自然は霊力を持つという汎神論です。ケルトの人々は、目に見えぬ世界の存在を感じ、人間の生活と関わりを持っていると信じています。ドゥルイドは吟遊詩人(バード)でもあり、知識と歴史と現在を伝えました。詩には言葉の魂が凝縮しており、呪文と同じ力が宿ります」。
「聖パトリックは、ローマ化されたケルトの地主の息子としてウェールズに生まれました。キリスト教とケルト文化を習合し、太陽の車のあるケルト十字を持ち、「ドゥルイドはキリストなり、神の子なり、精霊なり」というキリスト教が誕生します。ケルト神話には、転生の話がたくさんあります」。アイルランドのカソリックのイギリス国教(プロテスタント)への抵抗は、キリスト教内の闘争であると同時に、純粋なキリスト教=パウロ教とケルトとの闘争でもあると考えられます。
「ケルトの神々は、地下からやってきました」。「ドンヌと呼ばれる地下の暗黒世界の神は、死と冥府の神でもあり、また父なる神でもあって、人間はそこから生まれて再びその「ドンヌの家」に戻ります。これは、ギリシャの大地ガイヤと似ています」。
「古い種族は、海の西からやって来たとされ、西の海の彼方には幸いなる国、死に国が横たわっているとされます」。「ダーナ神族がやってきて砦を作り島を支配しました。船に乗って西の方からやって来たミレー族に敗れたダーナ神族は、地下と海の彼方に逃れてそこに住み、目に見えない種族、妖精になりました」。
「ダーナ神族は、全能の神ダグダの三人の娘の一人、女神ダナ(属格ダーナ)を母とする神族です。ゴール族の記録ではブリギッドと同じ神と言われています」。
「ダーナ神族は、先史時代の石塚や石舞台の下、土砦や塚、丘の地下に宮殿を建て、常若の国を作り、永遠に生きています。シー(丘の人達)は精霊たちです。妖精は川や湖の神でもあります」。「地下と海の彼方の別世界は、不老不死の楽土として、後の世には、英雄たち、ク・ホリンやオシーンやブランそしてアーサー王も住んでいます。ハローウィンの日には、従者を従えて馬で現れ、丘を一巡りします」。
「泉には病を癒す力があり、幸運をもたらしてくれる女神や木の精が住むという信仰は今に続いており、昔は泉に今を生贄として捧げ、剣や槍など武器が投げ入れられました。泉や湖から古代ケルトの武器が発見されています」。
「ケルトの女神には、ヴィナスやアフロディテのような優雅な愛の女神は見当たりません。ケルトの女神たちは、男性から独立して強く行動してています」。
「赤枝の戦士たちは、御者の走らせる戦車に乗り、槍と楯と剣を持ち、投石器で石を射て戦うのです。ローマの軍団を手本にして組織されました。戦の無い時は、野営をして武術の腕を磨き、狩りや釣りをして、冒険的な生活をしていました。赤枝の館が戦士たちの集会の場所でした」。「太陽の神ルーを父に持つ半神半人の英雄ク・ホリン」は、「真っ赤なガウンに金のブローチ、背中に真っ赤な楯を背負っています」。後の時代のフィアナ騎士団は、馬に乗った騎士で構成されます。
ケルトの制約/禁制(ゲッシュ、複数はゲッサ)は、「命にかえても守る誓約を、人々の前で誓う」もので、言霊と誓約の強い呪力を持ちます。