「原因を探る統計学」 豊田秀樹・前田忠彦 1992年 ブルーバックス
自らの研究のためだけに、世界で類を見ない「非人道的な人体実験」を行った者どもの書いた本です。
本年7月26日、元京都大学長で、国立大入試の共通一次試験制度の生みの親、岡本道雄さんが亡くなりました(専門は脳神経解剖学)。1975年、国立大学協会の入試改善調査委員長として、共通一次試験制度を導入する最終報告案を取りまとめた人物です。この答申を受けて、1985年に大学入試センターが設立され、その研究開発部教授に就任したのが、この本を監修している柳井晴夫です。
主観で決定した配点は「数字」であって、加法性を持つ「数値」ではありません。入試が出鱈目であることは確かです。だからと言って「人生を左右し得る場面で、多くの人々を実験台にした研究」が許されるべきではありませんでした。足し算のできない日本の役人は、統計学者に出鱈目を追及され、それを隠蔽する為だけに「非人道的な人体実験」を推進していきます。
そして、1990年大学共通一次試験は試験問題のプールと配点体系を完成させます。しかし、国民を食い物にする役人が、一度獲得した利権を手放す筈がありません。共通一次は「大学入試センター試験」と改称され、「非人道的な人体実験」は継続されます。
日本の国力の源泉である「教育」を腐敗させた亡国の者どもは、比類なき研究成果をものにします。50万人を超える「真剣な被験者」をモルモットにして得た研究成果には目を見張るものがありました。こうして共通一次は「統計学の金字塔」を打ち立てます。
この本は、直接ではありませんが、そのような「非人道的な人体実験」で深めた研究成果の一端でもあります。ある意味で世界に比類なき研究成果を土台にした水準の高さと同時に、人間としての無見識が同居する本になっています。
「はじめに」で、「私たちが抽出したい情報とは、統計的な因果関係なのである」と宣言しています。そして、「因果関係を確認する為に調べなければならないこと」は、以下の3つだと指摘しています。
1.AとBの間に明瞭な関係が見出される
2.Aが時間的にBより先行している
3.AとBの共通原因となり得る要因を統制しても、両者に関係が見出される
これ自体はマトモですが …。
生禿も強調しますが、「データを散布図に表現」し、「散布図から関係を読み取る」ことが重要です。その為には、同時相関図(MA Chart)が必要です。
「相関関係は少数の外れ値の影響を受けやすい」だから、「外れ値がある場合には、順位相関係数を計算する」のは、計算としては尤もですが、論理としては疑問が残ります。外れ値を省くことを、まず検討すべきでしょう。
2つの変数の間に相関があるのは、「2つの変数の背後に共通原因(因子)がある」か「2つの変数の間に因果(従属)関係がある」のどちらかと考えられます。それともう一つあることを筆者たちは無視しています。それは「単なる偶然」です。
パス解析は、「生物学者のライトによって提唱され、その後、ブレイラックらの社会学者が受け継いで、偏相関係数の大きさによってモデル選択を行う理論へと発展させた」ものです。生禿が学んだ、アッシャーのパス解析もこの系統に属するものでした。
「共分散構造モデルは、様々な多変量解析の手法を統合したモデル」です。生禿は、計算的には、[決定木 → 主成分 → 潜在相関係数 → 因子分析(初期値設定 → 3回回し)→ パス解析 / 連立方程式型の重回帰]という手順で行います。
まず、事前分析として、結果(目的)変数を判別する決定木を行い、事実の構造<結果を説明する要因の筋道>を見当します。次に、結果とその要因の変数の主成分を抽出し、その因子負荷から、主成分毎の[結果-要因]変数間の潜在相関係数を算出します。これにより、結果の要因群の構造を整理することができます。そして、因子分析によって、合成変数を形成します。その祭、所謂「確定的因子分析」を使用するのではなく、上記の潜在相関分析で抽出された、要因群(主成分)の結果に対する相関係数を初期値とし、計算回数3回で因子分析を行うと『経験的に妥当な』計算結果を得ることができます。この分析結果から、合成変数(この本で言う潜在変数)の方程式を作成し、連立方程式型のモデルを形成します。このモデル式のパラメターを重回帰分析で推定します。
尚、確定的因子分析とは、「一つの因子は、特定の観測変数だけ影響を与え、その他の観測変数に対しては影響力を持たないと、予め仮定する」因子分析です。
この本でも、「共分散構造モデルは、測定方程式(主成分分析など)と構造方程式(回帰分析など)を使って、因果モデルを表現する」。測定方程式とは、「共通の原因として潜在変数が複数個の観測変数に影響を与えている様子を記述する」。構造方程式とは、「変数間の因果関係を表現するための方程式」と説明しています。
「おわりに」には、「変数間の相関関係を求めたとしても、どの変数が原因であるかについて何らかの先見的な情報が無い限り、因果関係の解明には一歩も近づくことはできない」というフィッシャーの言葉を紹介した後、「因果分析にとって重要なのは「分析者の信念と未来を見据える視点」であると気がついた」と述べています。何を今更の感は拭えませんネ。
若い頃、生禿は、因子分析の最尤法を開発したサーストン教授へ手紙を出したことがあります。固有値解析の論理性の欠如について、サーストン教授に質し、プラグマティズムを批判するという生意気な内容の手紙でした。すると、当時、サーストン教授と共同研究をされていたガットマン教授からお手紙を頂きました。その中で、「サーストン教授は、学力の普遍的な指標として、因子分析の最尤法の一般因子を考えた。それは従来のIQなどよりも精度の高いものであることは明らかだ。しかし、新しい知能指数を導入することによる学校教育への悪影響を考えて、それを断念した」こと、そして、プラグマティズムとは「社会に対する良心であり見識である」と教えて下さったのです。
多くの批判を浴びたこの本の筆者たちが、この時点で何を考えていたのかは知りませんが、その後の言動を踏まえるならば、反省をしたとか、見識を持ったという事はなさそうです。日米の差は、技術とか資質の問題などではなく、人間としての『良心』と『見識』の問題なのだと思い知らされますね。残念でなりません。