今から40年ほど前のお話。「もう時効」だし「誰も知らない」というのももったいない?ので、書かせて頂きました。恐ろしいほどマジな話なので笑い話風にしてみたヨ。
今から半世紀以上前の事です。高校生だった私は将来「何をやるか」を考えていました。その結論は、「地球上の全ての人々が王様の生活をする」。そういう仕組みを私が作るというものでした。
王様の生活を考えて下さい。何千人と言う役務者に囲まれ「我儘」な生活をしています。一方で、役務者の方は、王様の時間と空間に従属した生活を強いられます。万人が王様の生活をするにはどうしたら良いのか。高校生の私は考えました。役務者が王様の時間と空間に縛られているのが問題なのだと。例えば、一流のシェフの役務を転化して「物化」して「風味料」にすれば、好きな時と所で作って売れば、多くの人々に王様に仕えたシェフの味を届けられる。それが市場での物財の生産と販売と言うことか、などと納得したものでありんす。
だが待てよ。床屋さんはどうする?お客さんがお店に来てくれたとしても、その「時の制約」からは解き放たれない。一度にたくさんの人にカリスマ美容師の技を提供することもできないではないか!まてよ。ロボットならそれができるかも。ロボットに理美容の最高の技をソフトとして組み込めば … 待て!ファッションは変わる。今晩どこに行くかでも、髪型を変えたい時はある。単に髪を切る技術だけではなく、場所に相応しいファッションとそれに対応する髪型とそれを実現する技術が必要だ。
だとすれば、通信網上に世界中のファッション情報とそれに対応する理美容の技をソフトとして載せ、それを縦横無尽に運用するシステムを構築する必要がある。お客様の体型や気分にピッタリの理美容サービスを提供するには、人間の心の動きも感知する仕組みも必要かも …。当時はコンピュータの創成期。物凄い数の真空管を使ってやっと四則演算ができたぐらいの時代でしたが、コンピュータと通信の技術の根本の考え方は既に出揃っていました。世界中に通信網が張り巡らされ、コンピュータは人工頭脳(人工知能ではない!)となって人間以上の知能を備えることができる。その世界では、人間は労働から解放され、王様のような生活ができそうでした。私はこの考えに飛びつきました。
上記の「人工頭脳」は、今の人工知能ではなく、まだ実現していない量子コンピュータを指します。既に、アインシュタインの相対性理論は、光よりも速く伝わる量子によって打ち破られていました。この量子の時間ゼロ、エネルギーゼロにで伝わる(演算できる)、「量子もつれ」と「量子の重ね合わせ」を応用すれば、消費エネルギーゼロで誰もが使えるコンピュータが実現できる、ということは知られていました(現在の技術は、これに程遠いものではありますが)。そして、当時の日本ではこの「人工頭脳」という言葉が使われていたのです。
てなことで、「地球上の全ての人が王様の生活をする仕組みを構築する」が私のライフワークになりました。生き方は個人の自由。王様の生活が良いか悪いかはカラスの勝手。でも王様の生活がしたい人は、それができる。そういう社会基盤を作るのは、少なくとも「悪いこと」ではない。その為にこの身を捧げることは、真っ当な人間に相応しいものだ、と思い込んでしまったのです。
「地球上の全ての人が王様の生活をする仕組みを構築する」マーケッターを目指して、私は広告会社の大広に就職します。そして、7年目。「7年目の浮気」の時が訪れたのです。
任天堂が、ファミコンゲームのネットワークを構築しようとしている、というのです。日本で、いや世界で、最も普及している「通信端末」がファミコンでした。かつ、当時のパソコンを代表するPC98なんてキャラクターをスムーズに動かせないゴミ箱と違って、かのCPU「6502」をベースにした優れモノ。OSもマイクロソフトのDOSなんてチンケなものではありません。しかも初めからファミコンは通信ゲームを視野に入れ、通信機能を内蔵していたのです。これだ!私は飛びつきました。
ファミコンネットの構築に参画しようとしていたイマジニアの起業すに、執行役員として参加します。「全ての人々の最大幸福」の社会基盤作りの第一歩とする心算でした ← あくでも「心算」。若気の至りってところでしょうかね〜。
飛び込んでみたらさあ大変。ファミコンゲームの世界は、反社会的勢力の人々(「Yaさん」と略記させて頂きます)が牛耳っていたのです。コナミのファミコン部門の女子社員が真昼間のトイレで、ゲーセン部門の社員(Yaさん)に強姦され、ファミコン部門の全女子社員が辞表を叩きつける、なんてド派手な事件は日常茶飯事の業界だったのです。
任天堂は花札の会社。Yaさんと深〜く結び着いた会社でした。当時のゲームの流通は、花札や麻雀牌など扱うエンターティメント流通(エンタメ流通)でした。任天堂の息のかかった、「三天」と呼ばれる三つのエンタメ問屋を中核とする「初心会」が牛耳っていました。
玩具問屋はエンタメ問屋からファミコンゲームのカセットを「卸して頂いて」細々とした利益を得ていただけでした。それでも積極的にゲームを扱っていたのは、百貨店や玩具店などから「ファミコンソフトを納品できないならおたくと取引はできない」と言われていたからです。当時はファミコン全盛期。ファミコンなくしては商売できない状況だったのです。その中で初心会はぼろ儲け。結果として、毎年ん十億円がYaさん業界に流れたと言われています。
私のイマジニアでの役目は営業責任者でした。私は決意します。ゲーム流通を浄化する、と。「未来の青少年に健全なゲーム環境を提供する」。それは社会価値のあることだ。そのためなら「手足の一本ぐらいならくれてやる」「命までとは言わんだろう」。女房には黙っていよう。心配をかけたくはないものね !(^^)!
調べ回ってみると、以下のような構図が見えてきました。「事を為す」には、少数の熱き心の同志が必要です。浅草玩具(浅玩)の社長は、玩具問屋協会の会長を務める業界の重鎮。その娘婿にして次期社長目される専務さんは、通産省(当時)の出身で役所にも顔が効く。娘は「玩具通信」の編集長で、業界の情報源として影響力を持つ。「朝ちゃん」と呼ばれ親しまれていた姐御さんでした。肝っ玉母さん風の気っ風の好い方で、よく相談に乗ってくれました。
浅玩さんは、ファミコンによる大きな収益を手に入れるためにも、自社を中心とする健全な流通を作り上げたいとは思ってはいても、その方法がありませんでした。そこに私が飛び込んで来たのです。創業一家の親族会議の結果、「私が矢面に立ち、あくまでも浅玩さんは私の言う通りにしただけ影の存在」ということで合意し、Yaさんの手からゲーム流通を奪い取るまで「闘い続ける」ことを約したのです。
社長を含めイマジニアの社員には「内緒」にしました。営業展開については、私に一任されていたし、私は「短期黒地ではなく、創業1年目で累積黒字を実現して見せる」。そのためには、ちょっとした「危ない橋」も渡るが、短期間に利益を最大にしてみせるから「目をつぶれ」と言い放っていました。
私は、「エンタメ流通から玩具流通へ、ゲーム流通を付け替える」ことを条件に、ソフト納入3ヶ月前の「見ずてん前現金」を各問屋さんに要求。社内に向けては、ファミコンのゲームソフトは、任天堂の工場に製造を委託しなければならず、その代金は前金。だから、「詐欺」と認定されてもし方のない取引条件を吞ませた、という話にしました。実際は、玩具問屋がゲーム流通を主導する「美味しい立場」を手に入れる為の「手付金」「前金」だと説得したのです。任天堂が前金だから、こっちにも前金で払って下さい、なんて要求が通る訳がないんですが、「荒木マジック」と煙に巻きました。
因みに、ファミコンソフトのカセットは任天堂の宇治工場で独占的に生産されていました。任天堂の収益源はファミコン本来以上に、このカセット生産によってもたらされたのです。例えば、イマジニアの初めてのゲームソフトの製造委託の代金は1億円。なんと正価換算の売上目標の約3分の1です。そして、初心会への納品は、正価の4割程度。任天堂と初心会がぼろ儲けする仕組でした。
任天堂の高卒の新入社員の夏の賞与(入社半年以下なので正式には賞与ではなく「一時金」)が100万円というのは大きく報道されましたよネ。最期のバブルの「輝き」でした。そのお金の出処はカセット製造の膨大な、真の意味の「ぼったくり」だったんでやんす。
話しを戻しましょう。上記の構図をベースに、私は動き出します。イマジニアのゲームソフトを、全国26の真っ当な玩具問屋に絞り込みます。「朝ちゃん」に相談すると、河田さん(後述)なども入れておかないと、殺されるわよ!それに敵の懐に入って情報のパイプを作るのが「大人の戦い方」って教わりました (^_-)-☆ こうして、私の初心会を蔑ろにするゲーム流通の構築が始まります。
この動きに初心会は反発します。ある日のことです。株式会社河田の某取締役から電話が掛かってきて「明日、初心会の代表としてそっちに行く」とい言うのです。彼は、同じ新宿区にあるから「俺が行く」ことになったと言うけれど、初心会の中核として「ジャレコ方式」を主宰する河田にとっては、エンタメ流通を潰そうとする私は「極悪」な存在です。それを叩くのは「俺の役目」と思ったのでしょう。
ジャレコ方式とは、河田がソフト制作会社ジャレコに持ちかけ、その後のファミコンソフト販売の流れの「業界標準」となった方式です。ソフト会社は任天堂にソフトを「納品」すると、後は自動で初心会の販売網に乗るというものです。任天堂の宇治工場で製造されたカセットは、そのまま河田に(帳簿上)納品され、河田は全国の初心会の問屋に配分します。ソフト会社は営業担当者が不必要。買取ですから、返品の恐れも無い。自ら営業するよりも利は薄くなるが、損する可能性も無い。マーケティング音痴のソフト開発者にとっては、「良い話」かもなんです。
件の彼はジャレコ方式を主導して、河田の次期社長と目される立場にのし上がった人物。その彼が私を「黙らせたい」のは至極当然。「あたり前田のクラッカー」(← 懐かしい〜〜〜)でやんすよね。私は社長以下、社員全員を社から退去させ、フツーの背広を着て待ち構えます。手足をブルブルと恐怖で震わせながら。彼は、紋付袴羽織、手には古式豊かな「御状」を持ってやってきます。大きな和紙に包まれ、巻紙に認められたそれは「血判状」。初心会の代表者全員の「血の決意」でした。業界の秩序を破壊する者は許さない。天誅を下す。改心して言うことをきくなら許してやる、てなお話でやんしたヨ !(^^)! わ〜〜〜チビリそう!任侠映画でも、こんなスンゴイ迫力はありましぇ〜ん。
私のお茶を出す手は、完全無欠に震えておりやんした。荒木家に伝わる家訓に曰く。「私憤を慎み公憤を躊躇わず、恫喝に屈せず喝采に浮かれず、汝一人の信念を貫くべし」。少なくともこの家訓は我家が家康と共に江戸に来る200年以上前からあったという筋金入りのものですねん。親に訊くと、「恫喝に恐れてもいい」のだそうです。要は、お漏らししてもイイけど、屈してはイケナイ。呼息に逃げ回ってもイイけれど、取り込まれてはイケナイ。本当に信念を貫くというのは「口で言うほど易しくは無い」というのです。ホントに実感しました〜〜〜。という訳で、恭しくお話をお聞きしました。そんでもって、何にも変えず、何も変わらず、初心会潰しの営業活動をガンガン推し進めたのではありました。
その血判状は即刻、西新宿警察所に届けました。刑事さん曰く「ルミノール反応の結果、確かにこれは血だ」「でもルミノール反応では人間の血かどうかは判別できない」「今時の血判状は自分の血は流さない」「これも犬の血かなんかだろう」と冗談めかして教えてくれました。この刑事さんと親しくなり、協力もして貰って、ゲーム業界の浄化作戦は、さらに深く五月蠅く進行してしていくのではありました。
お陰様で?イマジニアの営業責任者=荒木の名前は業界では誰一人として知らぬことの無い名前になりました。ある意味では、「やり易く」なりましたネ。私が出張れば、無理な話も通るようになりました。
エンタメ問屋やソフト会社の中にも真っ当な人間は居て、「ファミコン全盛の今だからこそ、Yaさんと手を切って陽の当たる娑婆に出たい!」と願う人はいました。三天の一つ、安藤骨牌の跡継ぎもそういう人物の一人でした。彼は「その日にそこに行くのは止めた方がいい」など、私に振り降ろされよとした「刃」を避ける助言をそれとなくし続けてくれました
それでも避けられない事件が起こります。私は営業責任者として、カセット製造を依頼するために、製作したソフトを任天堂の宇治工場に届けに行きました。この帰り道で事件は起こります。
呼んで貰ったタクシーで宇治工場を出た直後、私はYaさんの乗った車に取り囲まれ、拉致されてしまいます。手足を縛られて30分〜1時間ごとに場所を移動させられました。誘拐犯がテレビドラマでやっていることと同じなんです。やっぱりマスゴミの人ってYaさんととっても親しんだな〜と実感した次第です?(*_*)?
京都府警の刑事さんが「突入」して、私は4時間後に救出されます。私を誘拐して少しは溜飲を下げたYaさんのお友達が安藤さんに話をし、彼が警察に連絡をしたのではないかと推測しています(安藤さんはニコニコして、しらばっくれていましたが)。
社長以下、前現金のために私は苦闘していると勘違いさせていたのが、この一件でバレてしまいます。そして、ソフト製作の契約の更新は、荒木の辞任を前提とするという条件が突きつけられます。イマジニア設立から1年。私は辞任届を提出してイマジニアを去ります。
辞任の少し前。イマジニア創立1周年記念のパーティーが開かれました。私は、協力して下さった玩具問屋をお招きしました。そのパーティにぶつけて開催されたのが、「ジャレコ方式解散会」でした。どこまでも嫌がらせをしたいんでしょうね。ジャレコ方式にも参加した玩具問屋さんには、「イマジニアにパーティには出るな」というお達しが出たそうです。それでも、取締役クラスの命を受け、部長クラスの人が抜け出て、イマジニアのパーティに出て下さいました。「こんな面白いことは初めて」「向こうはまるでお通夜」「イマジニアをのさばらせたのは最大の屈辱と、河田さんは泣いていた」と上機嫌でした。私が去ることを惜しみながらも、「もう大丈夫」「後は任せてくれ」と誓ってくれました。
知己となった刑事さんから、新宿警察で講演をしてくれと依頼されます。ゲーム流通をどのように浄化したのか、について話をして欲しいというのです。この話を断られると「俺の面子が潰れる」とか脅されちゃったので、心良くお引き受けしました。
講演の当日、涙ながらに話を聞いてくれた刑事さんが何人もいました。「民間人がこれだけの事を成し遂げたんだから、我々も何かしなくちゃいけない」「警察がやるべきことは何か」と問われて、私は即答します。「ゲームセンターの浄化は、私の手の届くところではなかった」「ご存じのように、ゲーセンは女子高生がYaさんに声を掛けられて売春をさせられたり、遊ぶ金欲しさにヤンチャしてる中高生が恐喝の方法を教え込まれる悪所になっている」「このゲーセンの浄化こそ警察の仕事」「売春や恐喝は、有無を言わさず検挙できる犯罪」「皆さんのお力でその源を断つことができる」とお願いすると、全員から怒涛のような賛意と決意が伝わってきました。「必ず成し遂げてみせる」と力強いお言葉も頂きました。
新宿の所謂「オッパブ」で「揉み飲み」をしながら、親しくなった刑事さんとゲーセン浄化の方法と進捗について、熱く語り合いました。耳と口は話に夢中でしたが、手と頭はギャルのお胸の感触に全神経を集中!で御座います。その昔、刑事さんの行きつけの飲み屋はYaさんが姿を見せない「聖域」でした。蛇の道はヘビと申しますが、法に守られた?オッパブは「過剰なサービス」でお客さんのアレを悦ばせ、人気を博しておりましたですです (^^♪ Yaさんの方も、警察との「持ちつ持たれつ」の関係の一つとして傘下の店を「差出し」、互いに便益を共有していたようでした。それにしても、昔の風営法は「大らか」だったな〜 ← と懐かしんでどうするんだ、この助平爺!
「世の中を良くする」ということは、結果として既得権益を潰すことにつながります。権益を持っていた者・社は、権益を潰す張本人を恨みを抱きます。それが100人や1000人の大人数なら、その内一人ぐらいはYaさんに頼んで「叩いて貰う」御仁も出てこようと言うもの。だから、世の中で「真の仕事」をする人間は「必ずYaさんに拉致される」「逆に言えば、Yaさんに拉致された経験の無い奴は、本当の仕事なんてした事が無い奴だ」とも言ってました。実経験に基づくお話ではありましたヨ (^^)/
新宿区を中心にゲーセンからYaさんの姿が消え、上納金を差し出す必要がしなくなった店は「50円ゲーム」などを始めます。少しづつですが、フツーの子が楽しく遊べる場所に変わっていきました。やがて、新宿副都心の暇なお役人が、ゲーセンで暇潰しをしている姿を見て「何かな〜」とか思ったものです。私は「こんなこと」のために体を張ったんじゃない!て。
イマジニアを辞める前にやったことがもう一つ。それはスクエア(後に「ファイナルファンタジー」を出し、ドラクエのエニックスを合併してゲームソフト業界をリードします)に、ゲーム流通のあり方とやり方を伝授させて頂いたことです。ん億円の赤字を出してもビクともしない、お金持ちのお坊ちゃマン社長の会社です。初心会とは最も遠い存在でした。豊富な資金で、やがてはこの業界をリードする存在になるだろうと思ったからです。
営業部長は真摯に耳を傾けてくれました。問屋の選定など、スクエアさんのその後の営業展開は、「マンマ」でした。そして、プレイステーションへのソフト展開は「反任天堂」勢力の結集をもたらしたことは周知の事実ですよね。そういう日が来るのは完全無欠に「想定内」のことでありました。
イマジニアを辞してすぐのこと。NHKの記者が訪ねて来ました。噂を聞きつけて、ゲーム流通浄化のドラマを番組にしたいというのです。私はその記者に、差し障りの無い範囲で(私の差し障りの無い範囲と言うのはフツーの人からすれば、差し障り過ぎる内容ではありましたが)、お話をしました。彼は3回(4回だったかも)取材に訪れ、詳細に話を聞き、裏を取りに私に協力してくれた関係者や京都府警や西新宿警察などに出向いて証拠の品々を確認しました。そして、社に番組の企画を正式に上げます。
すると、結果は没!完膚なきまでの完全無欠、空前絶後の没!「やりたいなら今すぐ退職しろ」と迫られたそうです。集めた資料もすべて没収され、協力したスタッフも配置換え、本人も番組から外されたそうです。「番組に圧力がかかることは日常だが、こんなに激しいのは初めて」だそうでした。謝罪に訪れた彼は、「英雄はテレビに出ないんです」。「本当に、世のため人に為になることをした人は、既存の利権を持つ多く人の圧力で世に出られません」と、嘆くことしきり。私は懸命に慰めちゃいました。
当事、任天堂の山内社長は株価を3万円に引き上げることを目指した「3万円プロジェクト」を推進。野村證券はこれを全面的に支援します。いつの時代も、[Yaさん-政界(自民党大物議員)-財界(野村證券を代表とする)]一体となった、「株価操作」と疑われてもし方のない「ぼろ儲け」が行われています。野村証券にとっても、私がマスコミに登場して「不都合な真実」が暴かれるのは「困った事」なのです。
飛ぶ鳥を落とす勢いの任天堂をかつて救った京都信用金庫。この信金も任天堂への影響力を武器に、関西産業界に存在感を強めていました。任天堂の「御威光」が無くなれば、光背を無くした観音様。その権威の幻影は地に落ちます。
エンタメ流通業界だけでなく、玩具流通業界にも「暴かれると困る」事情を持つ会社はありました。北海道の服部玩具さんなどは、ファミコンソフトを餌に、ビッグカメラと提携して将来の「勝ち残り」を図っていました。その中で様々な動きがあり、それが白日の下に晒されると … 様々な会社に「ご迷惑」をおかけすることになるんですやんす。
噂によれば、Yaさんと強く結びついた西日本の某大物政治家は、役人を動かして警察や税務署などが「任天堂とその仲間達」の巨悪が暴かれないよう尽力したとのことです。そう言えば、あの時の京都府警の刑事さんも、直接の犯人Yaさんの下っ端は逮捕したけれど、明らかに糸を引いていた任天堂の中枢は手も触れず知らん顔でしたっけ。
という訳で政財官こぞって、「不都合な事実」は明らかにしたくない!という訳で、この番組の企画は闇の彼方へ葬り去られます。
その後、「Yaさんが代表を務める会社を上場させる訳にはいかない」と、ナムコの中村社長が大枚の金を貰って辞任。社内のYaさん体質を嫌った「真っ当社員」も協力したとかしないとか。中村社長は「二人殺した」全身紋々(刺青)の本格派?!のYaさんでした。お会いした時には、まさに「ホンモノは違う!」のそのド迫力に恐れ入ったもんですばい。
スッチー(← 当事の古い言い方でスイマセン)の胸を傍若無人に蹂躙したハドソンの社長がJALから利用拒否の通告を受けます。Yaさんとその仲間である自民党有力者にへつらうマスゴミ(特にテレビ)も、やっと重い腰を上げてゲーム業界のYaさん体質を面白可笑しく糾弾し始めました
浅玩さんは、遂に倒産してしまいました。直接の原因はわかりませんが、任天堂から嫌われ、圧を受け続けたことも背景の一つになったんだろうな〜と想像しています(その後、浅玩の専務さんとのお付き合いは無くなってしまったので本当の事は不明ですが)。「虎は死して皮を残す」「浅玩は潰れて健全なゲーム流通を残した」のです。合掌!
さらに後日談があります。任天堂の山内社長は、ご自宅の地下に射撃場を持っていらっしゃいました。カラシニコフを持ち、実弾で的を打ち抜くのが「ご趣味」なんだそうです。その的になるマネキンに大きな「荒木」の名札を付け、木っ端微塵に打ち砕いてニコッと笑うのが日課だという噂を複数の人から聞かされました。フェイクニュースだとしても気持ちのいい話ではありませんよね。
翻って言えば、私はそれほどの「善い事」をしたということです。世の中を善くすれば、恨まれます。テレビには出られません(ファミコンソフトを起業した若き経営者の一人としてNHKに何度か、週刊誌にも何度か登場はしましたが)。お金も手に入りません。地位や名誉とも無縁です。でも「ボロは来てても心は錦」なんでやんすよ。我が人生に悔いなし!ってとこですかね。
そこのマスゴミの人!Yaさんに拉致されましたか?記事にできないことを成し遂げましたか?ふっふっふ〜私はしちゃったもんね〜〜〜。